第6話 夏至祭

 浜辺に倒れていた櫛彦くしひこら五人の若者を見つけたのは、曽良そらの祖父、綿津見わたつみであった。


 皆々は、夏至祭げしさいのために、忙しく立ち回っていたのだが、その全員が浜辺に集まってきた。


 綿津見わたつみは、驚いて近寄り、一人一人の命を確かめた。五人は共々に、死人の如くに倒れていたが、かすかに息をしているではないか。すぐに、五人は岩窟いわくつに運こばれた。


 比古次ひこじは驚き、櫛彦くしひこを抱きかかえて名前を叫んだ。薬師やくしのカカチがけつけると、気付けのくすりがせた。宇都姫うつひめを呼び、八尺瓊勾玉さかにのまがたまをもちて祈りが捧げられた。


 五人は、意識を失ったまま七日過ぎたが、八日目、ようやく曽良そらが目覚め、意識を取り戻した。続いて年下の曽真利そまり沙鳥さとりが目覚めた。葦香あしか櫛彦くしひこは、まだ意識がない。


 葦香あしかは慣れない阿波あわの魂と五人の魂をつなごうとしたのか、疲労が顔に現れていた。うなされる日が続いた後で目が覚めた。


櫛彦くしひこは大丈夫であるか。」


 疲れた顔で櫛彦くしひこを思いやった。その櫛彦くしひこかすかに息を続けてはいるが、目覚める気配はなかった。曽良そらは大きな不安に襲われ、櫛彦くしひこの顔を何度も覗き込んだ。


「目を覚ましてくだされ、われの命と引き換えに、この世にお戻りくだされ。あめのみなかぬしの神、たかみむすびの神、かみむすびの神にお願い申す。」


 曽良は、必死で櫛彦くしひこの魂に呼びかけた。


「あの日の空の青さ、雲の白さ、波の寄せる音に、つい心を許してしまった。早瀬の海を渡ったのが間違いであった。」


 祈る言葉に涙があふれて、言葉にならない。


「もしも、このまま、櫛彦くしひこきみが目を覚まさなければ、われは一体どうしたらよいだろう。とても一人では生きていられない。」


 櫛彦くしひこの浅い呼吸を見ると、気持ちは沈むばかりであった。


雲野之比古次神くもののひこじのかみになんと申し開きをすればよいのか。はたまたわが一族の頭、津島之綿津見つしまのわたつみに申し上げる言葉もない。櫛彦くしひこの君よ、眼を覚ましてくだされ。」


 曽良そらはつきることのない魂の痛みを叫び続けた。その傍では、宇都姫うつひめが、弟の葦香あしかと共に、眠る暇もなく看病した。


 その思いが通じたのか、それから十日の後、櫛彦くしひこに生気がもどり、ほおに赤味がさすと目が開いた。目の前の曽良の心配そうな表情に笑顔が戻った。


曽良そらよ、何という顔をしている。われは夢を見ていたのか。曽良そらよ、鳴戸なると門戸もんとかみは、われらを受け入れてくれたのであろうか。」


櫛彦くしひこきみよ、よくぞ、眼を覚まされました。意識いしきが戻らなければ、われはどうしたらよいのか、身の置き所もありませんでした。」

 曽良そらは、緊張きんちょうから解放かいほうされたのか、しばらくは放心ほうしんのまま、目の置き場もなく焦点しょうてんが定まらなかった。


「あめつちの神々よ、ありがたきかな。もはやわれの命は櫛彦くしひこきみにお預け申しております。この後は、どこまでも命に代えてお仕え致します。」


「曽良よ、覚えているか。鳴門なると門戸神もんとのかみとの約束を。」

 櫛彦くしひこは、どうしても門戸の神との約束のことが気がかりであった。


「覚えておりますとも。たしかに、われら櫛彦くしひこきみと共に、鳴戸なると門戸もんとかみと約束を交わしました。瀬戸せと大神おおかみの御前に、比古次神ひこじのかみをお連れすることを誓い申された。」


 早速、櫛彦くしひこは、鳴戸の門戸の神との約束のことを比古次(ひこじの)神に申し上げると、大いに喜ばれた。


「皆々、よくも元気に命を取り戻してくれた。今宵は、年に一度の夏至祭である。目出度めでたいい日である。うたげを催そうぞ。瀬戸の海を訪ねて、初めての祝いごとである。」


 祭りの準備をしていた皆々が、比古次神ひこじのかみの周りに寄ってきた。


「海の幸、山の幸を持ちより、故郷ふるさとの神々への思いをよせ、新しき瀬戸の神々の御前おんまえにご挨拶をしなければなるまい。さあ、櫛彦くしひこ黄泉よみくによりよみがえった。祝いの準備じゃ。」


「おおっ、おおっ」


 その夜は、久々に皆の顔に喜びの笑顔が戻っていた。宇都志うつし一族は、雲野之比古次神くもののひこじのかみに続いて櫛彦くしひこきみが、宇麻志うまし一族は宇都姫うつひめと弟の葦香あさかが揃い、アツミ一族は津島綿津見つしまのわたつみ麻績彦おみのひこ。そのほか、奴奈川羽菜玉ぬなかわのはなたま火金留早丹多かねとめのはやにたと上陸以来の面々が揃った。


 青沼あおぬま火守衆ひもりしゅうが、淡路あわじしま初火はつひおこしを行って以来、この火は消えたことはない。火守衆ひもりしゅうの頭、ヒカムは、今宵のお祝いに火祭まつりの準備を整えていた。


 麻績彦おみのひこは、麻績おみのオババからもらった蜂蜜はちみつを取り出し、蜂蜜白湯はちみさつゆを皆が飲めるように手配した。


 すでに、木を切ってわんを作ったのはハヤニタであった。黒曜石よりもはるかに固く、鋭い星屑ほしくずのカケラを持っていたので、ハヤニタにとって百人分のわんをつくるのは容易たやすいことであった。


 曽良そらの父、綿わたは仲間を集めて、曽良そらの代わりに海に出てうおを釣った。猪頭之鷹ししかしらのたかは、島に着くいなや、仲間と野山を駆け巡り、ウサギやシシを追い干し肉を蓄えていた。


 いよいよ、祭りが始まった。暮れ行く夕日に向かって、雲野之比古次神くもののひこじのかみは新しく迎えられようとする瀬戸の海に心よりの礼を尽くした。


 そして、北に向かい、あめの神、極星きわぼちを仰ぎて拝し、つちの神にこうべを垂れ、一行の行く末を祈った。


 日が暮れると、真っ暗なあめつちの中、浜辺に寄せる波の音だけが際立っていた。沖より小舟にひとつの燈明とうみょうが灯され、波の音と共に近づいてくる。


 浜に揚がった燈明とうみょうは、波打ち際にとどまると二手に分かれて松明たいまつが動いた。右に五十、左に五十の火が灯された。百の明かりがともった。松明を手に持っているのは、曾真利そまり沙鳥さとりの二人であった。


 二つの松明は、十歩ほど前に進んだ。そしてまた、左に五十、右に五十の火が灯った。次第に祭壇の近くにやって来た松明は、祭壇を右と左に回って奥の暗がりに入った。


 真っ暗な闇の中で、松明が交わった。その時、火が立ち昇った。空高く、一気に火が立ち昇った。


「おおっ」

「おおっ」

「おおっ」


それぞれの顔が、立ち上る火焔に照らされて、喜びと希望の笑顔を映しだしていた。あたりは、たちまち明るくなった。祭壇さいだんの前に出たのは、青沼あおぬまのヒカムであった。


雲野之比古次神くもののひこじのかみよ、櫛彦くしひこきみよ、宇都姫うつひめよ、葦香あしかきみよ、そして、ここにおいでの皆々様方、今宵こよいはおめでたき日。どうかごゆるりとお楽しみ頂きますように。」


 皆は立ち上がり、お互いに顔と顔を突き合わせて、喜びを隠さなかった。この時、比古次神ひこじのかみは、皆々を前にして宣り給うた。


「この地は、われらが瀬戸せとうみに参って最初の島である。ここに、高天原たかまがはら相応ふさわしい西にしみやを建て、瀬戸せとの神々とのなごみの地となそうと思う。綿津見わたつみよ、皆々の心を一つにして、宮づくりに励んでくれ。」

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