第3話 淡路島の風景

 比古次ひこじは、弟の櫛彦くしひこ従弟いとこ葦香あしかを連れて島を歩き、また船を漕いでは島の周辺を探索した。


 どこを探しても人の住む気配はない。東南の海岸は絶壁ぜっぺきで海からは寄り付けないが、島の西は、なだらかな平野が広がっている。


 元気いっぱいの若衆にとって、山すそに沿った山頂までの山歩きは、楽しみであった。とりわけ山頂からの景色は素晴らしかった。遠く見やると、自分たちがやって来た大海原おおわたはらが一望できる。


 その海を挟んで、遠く東には紀伊きいの山々、西には、阿波あわの島が横たわっている。男衆も女衆もみな、この山頂からの眺めに心が落ち着いた。


 ある日、櫛彦くしひこは、ひとつ違いの葦香あしかに、

比古次神ひこじのかみには内緒で、われらだけであの山頂まで競争してみないか。」

と持ち掛けた。


 葦香あしかは、櫛彦くしひこに対して競争心があったので、

「それは面白い、皆で山登りを競ってみようじゃないか。」

とすぐさま櫛彦くしひこの提案に応じた。


 側にいた年上の曽良そらも誘いに乗った。曽良そらの弟、曽真利そまりは、まだ十一歳であったが、「われも連れて行ってくれ」と頼んだ。


曾真利そまりが行くなら、われも一緒や」

といって沙鳥さとりもついてきたので、五人は、揃って山道を歩いた。


 櫛彦くしひこはあめ族の血筋で、星や太陽のことに詳しかった。太陽が昇った後の山際やまぎわを眺めながら、


「今日は、あの尾根の小高い峰からお日さまは昇った。やがて夏至げしを迎えるが、夏至げしには、もっと左の尾根から昇るぞ。皆も、お日さまの昇る位置は覚えておくがよい。」


「お日さまは、毎日、違う場所から昇りなさるのか。」


「夏のお日さまと冬のお日さまの昇る位置は、この位違うぞ」


 櫛彦くしひこは両腕を広げて見せた。曽良そらもまた、綿津見わたつみの血を引く航海族。櫛彦くしひこ指南役しなんやくとして仕えているが、その櫛彦くしひこが自らの言葉で、年下の弟たちにそのようなことを教えている姿がまぶしく見えた。


「お前たち、よく聞いておけ。夏至げしまつりまでは日も近い。夏至げしまつりはわれら日高見ひたかみ族、一番の祭だ。」



小さな弟たちは、目を丸くして、櫛彦の話に聞き入った。


「今日は、空も晴れて雲もない。心をからにして、よおく見てみよ。透き通った青空のその向こうにもっと青い空が見えるであろう。あの青空の真ん中に、どっしりと腰を据えて動かない星がある。夜も昼も同じ場所にいてわれらのことをじっと見ている極星きわぼちだ。見てみよ。どうだ、見えるかな。」


 年下の曽真利そまり沙鳥さとりは、言われるままに、頭を天に向けて目を凝らした。


沙鳥さとり、見えるか。」


 沙鳥さとり曾真利そまりも首を振った。櫛彦くしひこが口を挟んだ。


「お日さまの明るさが邪魔じゃまして空の向こうの空は見えまい。われにもまだ見えないぞ。いま、曽良そらに教わっているところだ。」


 沙鳥さとりは、目を細めたまま、曽良そらに向き合った。


「曽良には見えるのか、大人になると皆、見えるようになるのか。」

「誰でも見えるわけではない。生まれ持った目の力と訓練が必要じゃ。」

「ならば、われら日高見族の中で、極星きわぼちが見えるのは、曽良の外に誰がいる」


話を聞いていた櫛彦くしひこが応えた。


沙鳥さとりもなかなか興味があると見えるな。ならば、曽良そらに付いて回り、教えてもらえ。今は、比古次神こじのかみ綿津見爺わたつみじい曽良そらの三人じゃ。」


 曽良そらは、櫛彦くしひこから極星きわぼちが見える三人と言われて、恥ずかしそうに照れ笑いをして話し出した。


「いやいや、夜と昼に関わらず、空の向こう側を取り仕切るのは宇都志うつし一族の仕事である。空から降る水のことを「あめ」と言うように、空の星の動きを知る宇都志うつし族はあめ族と言われているぞ。」


「われらは、アツミ一族ではないか。なぜに、じい曽良そらにも見えるのだ。」


沙鳥さとりが食い下がった。


「われらアツミ族は、もともと先祖伝来の航海族であり、宇都志うつしの神々を支えて仕えてきた。空の向こうのことを天津御虚空あまつみそらというが、この「あまつみそら」を心に映し出すことができるのが宇都志うつし族である。」


「空の向こうに、もうひとつ空があるのか。「あまつみそら」というのか」

 沙鳥さとりは、懸命けんめいに、空の遠くの「あまつみそら」を眺めている。


「われらは、「あまつみそら」の定めに従って航海が出来ている。櫛彦くしひこの君は、今は極星きわぼちが見えずとも、いつも心は「あまつみそら」にある。極星きわぼちが見えるか見えないかは重要ではない。心を「あまつみそら」に置くことが大切であるぞ。」


すると、今度は曾真利そまり曽良そらに迫った。


「われも、曽良そらのように極星きわぼちが見たい。兄者よ、教えてくれ。」


「教えやろうとも。われのすることを毎日、じっくりと見ておけ。すると、そのうち見えるようになる。」


曾真利そまりの目が輝いた。


「まずは、夜のうちに極星きわぼちの位置を覚えておけ。夜が白み始め、お日さまが昇ってくると、次第に星の姿が消えていく。その消えゆくさまをじっとこらえて極星きわぼちを見逃さないことだ。」


 曾真利そまりは、直ぐにでも見たいと思っているのか、曽良の目線を追って目を細めた。


「それよりも、間もなく夏至げしまつりを迎える。おまつりに備えて、お前たちに教えておくことがある。」


曾真利そまりの顔が引き締まった。


「われは、爺様じいさまから麻縄あさなわのない方を教わっている。夏至の祀りに使う縄じゃと爺様は言っているぞ。」


「おう、そうか。曾真利そまりも祀りの準備を手伝っているのか。ならば、なおさらのことだ。」


 曾真利そまり沙鳥さとりは、兄の曽良そらが何か大切なことを話してくれるのだと大喜びである。


夏至げしは、お日さまが一年で最も極星きわぼちに近づく日だ。海に出るアツミは極星きわぼちが命だ。夜も昼もあの場所を動かず、われらを見守っていなさることを忘れてはならない。」


曽良は、極星きわぼちに向かって指をさした。


「空に輝いて、動くことのない星だ。お日さまとても毎日その昇る位置、空を駆ける道は変わるが、極星きわぼちは動かない。」


 曾真利そまりは、「星は皆、毎日、天空を東から西にまわっているぞ。」と思ったが、だまって話を聞いていた。


「お日さまの力は明るくて大きい。夏至が近づくと、日に日に近づいて極星きわぼちを飲み込んでしまうのではないかと見まがうが、それでも極星わぼちちはじっと動かず、うろたえることはない。」


「お日様が、キワボチに近づいてくるのか。」


「夏至は、年に一度、お日さまが極星きわほちにもっとも近づいて、挨拶にくる日である。夏至の日を終えるとまた、お日さまは遠ざかっていくのだ。」


 弟たちは、皆、うなずきながらも、曾良そらの知識を羨ましく、尊敬の思いで聞いている。


夏至げしは、極星きわぼちがお日さまに犯されない神聖な星であることを教えてくれる、最も大切な日なのだ。」


「へえ~、キワボチはそんなに凄いのか。お日様よりも凄いのか。」


二人の弟は、口を揃えて驚いた。

「お日さまが昇ると極星きわぼちも夜空の星も皆、消えてしまうが、宇都志うつし一族は、キワボチの輝きを見失ってはならない。これを見逃さないのが、宇都志うつし秘術ひじゅつである。空の向こうの青空を見よ、そこには、夜と同じく無数の輝く星空を見ることが出来る。よいか沙鳥さとり、われが指差す所に極星きわぼちが見える。あの位置を覚えておけ。」


 曾真利そまり沙鳥さとりは、曽良そらには見えるという極星きわぼちに目を凝らしながらうなずいた。


 櫛彦くしひこ曽良そらが昼間の星空ばかりを語るので、そばにいた葦香あしかが横から口をはさんだ。


「われは、宇麻志うましの一族。あめ族とは違い、大地の命を守る血筋である。天津御虚空あまつみそらに心を捧げるときの心構えを教えよう。」


 葦香あしかが、ものを言うのは珍しい。今日の山登りが、よほど気分を晴らしているのであろう。


「人は心を空にすると、命を亡くすものだ。たましいが脱け出てしまう。だがな、ひといのち大地たいちいのちと繋がっていることを感じることができれば、たましいは脱け出さない。生きるもののたましいをつなぐことで、人は心を空にすることが出来る。曽良そらよ、われが言っていることが分かるか。」


 葦香あしかが言った心をからにすることとは、地母神じぼしんが持ついのちわざのことである。大地に生きるものたちの魂の声を聞くことで心を空にしても命を失うことはないという。


 葦香あしかも少しは自慢したかった。宇麻志うまし族の男の存在も理解してほしかったのである。


 なにせ、宇麻志うまし族は、母方の母神ははかみを中心に母神、姫神、姫と厳格な階層と位順くらいじゅんがあり、姫衆こそが集団の中心にある。男衆は五歳ころから、母神集団ははかみしゅうだんの外に追いやられ、狩りや漁で得た獲物を母神に捧げるハバキとなる。


 葦香あしかは、八尺瓊勾玉やさかにのまがたまを守る宇麻志うましの血筋である。国常立神くにのとこたちのかみとなった諏訪トメ神の長男である。

 

 祖母神は宇迦之御魂うかのみたまとなって宇麻志一族の全滅を救ったシロタエの蛇神かかかみであるのだが、血筋とは言え、男衆のくらいは低い。せめて男同士でいる時ぐらいしか自慢することはないのである。


 葦香あしかの言葉に誘われて、櫛彦くしひこは問うた。


曽良そらには、天津御虚空あまつみそらが見える。さすがに綿津見わたつみの血筋であるな。われは、宇都志の子あり、天津御虚空あまつみそらまつる一族でありながら、まだ、あのお日さまと共にある極星きわぼちを見たことがない。」


 曽良そらは、櫛彦くしひこが何を言い出したのかと、ぶかし気な顔をした。


葦香あしかの話は、もっともであるが、われは、葦香あしかのように大地のきずなを感じることもなければ、命を失う程に、心を空にすることもない。葦香あしかは、昼間の極星きわぼちを見たいのか。」


 笑うこととのない葦香あしかが、にんまりとした。


「われは、あめ族ではない。空を見るよりもいつくばる生き物とモノノケのたましいを見る。モノノケの姿ならいつでも見えるぞ。」


 二人の話を聞いていた曽良そらは、つい、口を出してしまった。


「なんだ、お前たちは、もう大人の真似まねをして恐ろしい世界に首を突っ込んでいるのか。曾真利そまり沙鳥さとりが怖がっているぞ。」


 年長の曽良そらがたしなめると、二人は恥ずかしそうに顔を見合わせ、空を見上げた。

 五人の少年たちは、真っ青な青空を眺めて、深呼吸をすると、お日さまに向かって進んだ。山頂に登った五人の少年は、葦香あしかが持ってきたあわもちを頬ばり、それぞれの思いを込めて紀伊の海を眺めた。

 

 眼下に小さな小島が浮かび、潮の流れの向こうには、遥かに広がる阿波あわの地がかすんでいる。櫛彦くしひこは沸き上がる好奇心こうきしんに押されて、次はあの地を訪れようと心に誓った。

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