生き返った猫とゆきうさぎ

山本アヒコ

生き返った猫とゆきうさぎ

 猫は起きると、あたりを見回した。


 なんだか頭がはっきりしない。左右に何度か首をひねっていると、だんだん記憶が思い出されてきた。




「そうだ。俺は死んだんだった」




 猫はそう言うと、自分の体を見る。前足は両方ともある。肉球の色はきれいだし、爪の出し入れもできた。


 次は後ろ足。ぺたんと地面へ座ると両足を調べるが、特に異常はない。


 尻尾を調べる。自慢の縞尻尾はきれいな縞模様。


 全身を調べるがどこにも怪我はなかった。ただしかなり汚れている。




「ちぇっ」




 猫は舌打ちすると舌で毛並みを整えるが、それだけで汚れが取れるはずも無い。


 猫がいるのは、薄汚れた廃屋のすぐそばだった。廃屋は屋根が落ち窓ガラスが割れ、それどころかレンガの壁はほとんど崩れてしまっていた。




「さむい」




 猫は体をブルリと震わせた。


 空からは雪が降っている。激しい降りかたではないが、このまま降り続ければ雪は高く積もるだろう。


 すでに景色は雪で埋められていた。積もった雪を踏みしめて猫は歩く。




「雪なんかやんでくれよ。これじゃあ本当に死んでしまう」




 猫は死ぬ前のことを思い出す。


 猫は雪が降るなか数日間さ迷って、あの廃屋にたどり着いた。そこで疲れと空腹と寒さで眠ってしまい、死んでしまったのだった。




「こんなことなら街まで行けばよかった。どうせ一回死ぬんだから。縄張りの猫たちにいじめられるのを我慢すればよかったなあ」




 猫は産まれたときから野良猫だった。兄弟姉妹がいたが、いまは生きているのか死んでいるのかもわからない。


 野良猫の世界は過酷だ。縄張りグループに入れればいいが、入れなければそこから出て行くしかない。猫はどこのグループにも入れず、ずっといろんな場所を転々としていた。




 体に積もる雪をたまに振り落としながら、猫は黙々と歩く。


 雪はそれなりに積もっていて、歩くたびに足が埋まる。




「あー、さむい! どこか暖かい場所、それか食べるものがあればいいなあ」




 猫は歩きながら顔を動かしてまわりを見るが、暖かい寝床や食べ物である小さな虫や動物はどこにもない。


 猫がいるのは林の中だ。あの廃屋があった場所から続く道らしきものを辿っている。このまま行けば街か人がいるところに出るかもしれないと猫は思っていた。




「体が汚れてるけど、こんな寒い日に水浴びなんかしたくないな」




 猫はじっと小川を見ていたが背中を向けた。


 いくら寒くてものどが渇いていたため、猫は小川の水を飲んだ。あまりの冷たさに飛び上がったのは幸い誰にも見られちなかった。




「うー。さむいー、さむいー」




 いつの間にかあたりは暗くなり、もうすぐ夜になりそうだった。


 猫は夜でも目が見えるから動くことができる。どちらかというと夜のほうが元気でもあった。しかし猫は動けなくなっていた。


 雪はやまず、太陽が沈んでくると気温はどんどん下がっていく。さらに風も吹いてきて、ついに寒さのあまり猫は動けなくなってしまったのだ。




「あー、うー」




 猫は木の幹の根元で丸くなる。木の幹が風からの盾になるような場所にいるが、ほとんど意味が無い状況だった。


 ついに真っ暗な夜になると、気温はさらに下がる。四本の足と尻尾を体の中に入れ、頭も体に埋めているが、寒さに耐えることはできなかった。


 猫の体はブルブルと大きく震えている。




「俺はこれで本当に死んじゃうのか」




 猫は一回死んでも生き返ることができる。


 これを人間は知らないが、動物たちには常識だった。


 猫は自分の死期を悟るといなくなる。これは生き返るところを見られないためだ。誰かに見られていると生き返ることができない。


 しかし生き返れるのは一回だけだ。二回目の死が猫にとって本当の死だった。




「あー。一回でいいからお腹いっぱい食べたかったなあ」




 猫は寒くて眠くて仕方がなかった。その目は閉じられ、やがて小さな寝息をたてはじめる。猫は眠ってしまうのだった。


 がから猫は気付かない。すぐ近くで、小さい何かが動いたことを。




「う、うーん」




 猫は目覚めると、前足で目をこすった。


 しばらくそうやって気がすむと、目をパチパチと開け閉めする。




「ふあー。よく寝た。うん?」




 猫は驚くというより不思議そうな顔になった。




「寝てる間に雪に埋もれちゃったのかな?」




 猫は自分のまわりを見ると、全部真っ白な雪に覆われていた。前も後ろも右も左も、さらには上も全部雪だった。




「あれ? でもおかしいぞ。体に雪が積もったら動けるはずがないのに、俺は動ける」




 なぜか雪と猫の間には空間があった。それはボウルを伏せたような半球状の空間だ。




「どうなってるんだ?」




 猫はおそるおそる雪の壁に近づくと、前足をそっとのばす。


 前足が触れそうになったとき、雪の壁からぽこんと何かが突き出る。




「うわあっ」




 猫は驚いて後ろへ跳んで逃げた。着地すると姿勢を低くして、毛と尻尾を逆立てながら突き出たそれを睨む。猫の戦闘態勢だ。




「なんだ?」




 猫は雪の壁から出てきた突起を見ている。さらにその突起から突き出たものがあった。それは二本の突起で、最初にできた突起の上に向かって先が伸びている。


 そしてさらに変化があった。雪の突起の白色に違う色が増える。それは小さく丸い赤色。それは二つのつぶらな目だった。




「えっ」




 猫は何が起きたのかと目を瞬かせた。


 それは雪にできた赤い目も同じで、猫を見て瞬きをする。




「なんだこれ? わっ!」




 雪の壁からもう一つ突起ができた。それは最初のものと同じで、赤い目が二つある。


 さらにもう一つ、雪の壁から突き出る。それで終わらず、また一つ。二つ。三つ。




「わわわわ」




 ぽこん、ぽこんと、いくつもいくつも雪の壁から突起ができると、そこに赤い二つの目がある。数はどんどん増え、ついには猫のまわり全部にそれができた。


 猫は赤い二つの目に囲まれてしまった。




「ど、どうしよう」




 突然のことに混乱した猫は警戒のポーズどころではなく、不安そうに顔を動かす。


 どこを見ても、そこには赤い二つの目が猫を見ていた。




「わっ!」




 突然、雪の壁が崩れた。


 いや、弾けたといったほうがいいだろう。


 それはまるで、猫を囲んでいた雪の壁がいくつもの破片となって爆発したかのようだった。


 しかし爆発したわけでは無い。


 破片は全部二つの細長い突起と、赤い小さな二つの目を持っていた。


 それらは雪が積もった地面へきれいに着地すると、猫へと目を向ける。




「な、なに? なにが起こったんだ?」




 猫は混乱しながら、こちらを見るいくつもの赤い目を持つ何かへ目を向けた。




「あれ? どこかで見たことがあるような」




 猫は首をひねる。


 真っ白なそれらは、全部雪だ。不思議なことに、雪の中に赤い目が二つある。


 猫は雪でできた体を持つ生き物など見たことが無い。けれどその姿はどこかで見覚えがあった。




「赤い目と、長い耳。そうか、うさぎか!」




 猫が思わず叫ぶと、うさぎ達は一斉に逃げ出した。その様子に、猫のほうが驚いてしまう。




「ええっ」




 一匹の雪でできたうさぎが立ち止まった。そして顔だけを後ろへ向けて、猫を見る。


 猫とうさぎは見つめあう。


 しばらくそのまま時間が過ぎると、うさぎは顔を戻して走り出した。




「あっ、待てっ!」




 思わず猫はその背中を追いかけていた。


 理由はわからない。狩りが好きな猫の性格のせいなのかもしれなかった。




「まてー」


 猫は雪で足が沈むことも気にせず走る。しかし追いつけない。


 うさぎの体は猫の半分ほどしかない。けれどジャンプ力は高く、一跳びで猫よりも遠くまで跳ぶ。


 林の中を、真っ直ぐうさぎと猫の足跡が続いている。




「まてー、あはは」




 猫はうさぎを追いかけながら、楽しくなって笑っていた。


 こうやって何かを追いかけるのはいつぶりだろう、そう猫は思う。


 猫は狩りをして獲物を食べる。虫や小動物、または魚。けれど最近は冬となり、虫や小動物は見かけなくなった。魚も川にはいなかった。


 なので久しぶりの狩りで、猫は楽しくて仕方がない。




「つかまえたー!」




 猫はついにうさぎへ追いついた。一際大きなジャンプをすると、猫はうさぎへ跳びかかる。猫の体が雪の上に叩きつけられて、雪が舞い上がった。




「よーし、やっとつかまえたぞ。あれっ?」




 猫は左右の前足でうさぎを押さえつけたはずだったが、そこには何も無かった。




「どこへいったんだ?」




 猫が首を左右にめぐらすと、少し前で雪が盛り上がった。そして二つの耳が上に向かって飛び出て、二つの赤い目があらわれる。




「いたー!」




 猫はまた跳びかかる。


 今度こそ捕まえたと思ったが、またもそこにうさぎの姿は無い。


 どこだどこだと猫が探すと、また雪が盛り上がり、うさぎの姿が現れた。




「今度こそ」




 猫が何度跳びかかっても、うさぎを捕まえる事ができない。


 捕まえたと思ったら姿は無く、また雪が盛り上がってうさぎになる。それの繰り返しだった。




「くそー」




 それでも諦めず猫は追いかけて、何度もうさぎを捕まえようとする。しかし絶対に捕まえることはできない。


 何度目になっただろうか、さすがに疲れてきた猫が気を抜いた瞬間、うさぎではなく自分が押さえつけられてしまった。




「うわっ! な、なんだ?」




 猫は四本の足を激しく動かすが、押さえつけられた体はびくともしない。


 暴れるのが無駄だとわかった猫は、首を回して自分を押さえつけている何かを見た。すぐ近くに大きな顔があった。荒い鼻息も聞こえる。




「うわーっ! 犬だー!」




 猫は犬の足で押さえつけられていた。


 犬は猫の体より、二倍も三倍も大きそうだ。もしかすると、さらに大きいかもしれない。


 犬の体毛は茶色で長く、柔らかく膨らんでいて触ると気持ちよさそうだった。


 しかしそんな事は押さえつけられている猫には関係ない。再び四本の足を動かすが、やはり犬の足はびくともしない。




「ああ。このまま犬に食べられて死んじゃうのか」




 猫が諦めてしまいそうになったその時、声が聞こえた。




「コラー! なにやってるのー!」




 幼い女の子が走ってきた。口からは白い息が出ている。




「もー、急に走っていっちゃうんだから。あれ、なにそれ?」




 女の子は犬が押さえつけている猫に気がついた。


 犬は小さな猫の体を、口でくわえた。


 食べるためではない。犬は猫を傷つけないように、やさしく口ではさんでいた。ただし傷はつかないが、犬のよだれで猫はベタベタになってしまうだろう。


 犬は口にくわえた猫を女の子へ見せる。




「うわあ、子猫だ。ちっちゃーい」




 猫は子猫ではない。もともと体が小さく、食べ物も少なかったのでやせ細ってしまっていたのだ。


 ぐったりと体から力が抜けている猫を見て、女の子は表情を変える。




「死んじゃってるの?」




 女の子がそう言ったとき、猫の体が小さく動いた。




「あっ、動いた! 助けてあげなくちゃ。行くよっ!」




 女の子はそう言うと、向きを変えて走り出した。犬も口に猫をくわえたまま追いかける。


 狩りをしていたはずの猫は、逆に捕まえられてしまった。


 宙で揺れる猫の姿を、うさぎはじっと見送っている。






 猫が二回目に死んだ場所がどこになるのか、まだ誰も知らない。

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