思い出

 この町は、山と森に囲まれた小さなところにあります。人々が穏やかに暮らす、静かな町。特別有名な場所はないのですが、一つだけ町の人たちだけが知っている絶景場所がありました。

 それは、町の南西に位置する山の頂上。そこの透明な湖でした。行くと自分が空の上にいるかのように感じられるそうです。湖が、鏡のように空を映し出すから。

 特に冬の夜が人気で。町の明かりも消える深夜にそこに行くと、湖が凍っており、その上で周りを見渡すと宇宙にいるかのような感覚に陥ると言われています。それはそれは幻想的な光景なのだとか。


 そんな景色が見られる冬の日。一月のことです。その山で落下事故があったと新聞に載りました。絶景を見に来た男性が、帰り道の途中で足を踏み外し、落下してしまったと。

 傍らには妻の姿が。そして、男性の腕の中には――



 窓の外から傾き出した太陽の光が差し込んできました。

 店の中がオレンジ色に染まります。もうすぐ夜が来そうですね。どうやら、ゆきさんが来てからそれなりの時間が経ってしまったようです。

 彼女は今、私の腕の中でじっとしていました。もう泣き止んで、落ち着いてきていますね。

 ゆきさん、そろそろ日が沈みますよ。


「帰りたくない……」


 弱々しい声。先ほどよりも私を抱く腕に力が籠りました。肩に顔を埋める様子はいやいやと駄々をこねているようです。

 ふむ、それでは。

 ゆきさん、今日はここに泊まりますか。


「え! いいの!?」


 ええ。帰りたくないのでしょう?


「あ……うん、でも……」


 ちらりと窓の外に目をやる様子からは、まだ迷っているのが見受けられました。お母さんに怒られているのを恐れているのでしょう。五時までに帰るよう、言われていましたし。

 ですが、家に居たくないのに帰るのは苦しいでしょう。ここで少し離れてみるのもいいと思いますよ。


「……探しに来ないかな?」


 どうでしょう。心配でしたら探しにくるかと。しかし、お母さんは夜が嫌いなのでしょう? もうそろそろ日が沈みます。そうなると、わかりませんね。

 それにしても、お母さんはどうして夜が嫌いなのでしょうね。


「暗いから、かな? 怖いとか?」


 なるほど。

 暗いからこそ見えるものもあるのですけれどね。


「暗いのに見えるもの?」


 ええ、例えば、あれです。


「お空?」


 はい。夜になると星が見えるでしょう? 月も輝いて見える。それは、周りが暗くなるからです。太陽が出ていては、その明かりに隠されてしまいますからね。

 暗くて怖いからと家に籠っていては、この星々は見えない。それはとても勿体無いことだと私は思うのです。暗ければ暗いほど、綺麗に見えるのですから。


「お星さま……綺麗……」


 おや、ゆきさん?


「お母さんと、見たことある。お星さま……これ見たの、大事にするって言って、写真を……」


 その目が大きく開かれました。

 どうやら何か思い出してきたようです。こちらを見たその瞳には、先ほどにはない光が灯っていました。


「みどりさん、お母さん、何か大事にしまってた。写真……かも。あれ見たら何かわかるかもしれない! ゆき、持ってくる!」


 おっと、ゆきさん?

 何かがゆきさんを突き動かしたのか、彼女は走って店を出て行ってしまいました。お母さんを笑顔にするためのものを見つけたのでしょう。しかし……。

 もうすぐ夜がやってきます。ゆきさんのお母さんが嫌いだという夜が。彼女が無事に目的のものを持ってここに戻って来られるかが少し心配ですね。それと、娘が動いたのを見たときの母親の行動も予想ができません。

 準備はしておきましょう。何が起こっても対応できるように。

 二人が必要としているもの。それは、しっかりとこの店にありましたから。


 ゆきさんが戻ってきたのはもう太陽が沈み、一時間が経とうとしている時でした。

 ものすごい勢いで扉が開きます。走ってきたゆきさんは箱のようなものを持って私の元まで来ると、隠れるようにして後ろからしがみついてきました。

 どうやら、追われているようですね。

 お母さんに。

 次に入ってきた女性は随分と痩せこけている人でした。肌は白く、髪は乱れています。しかしその表情は激怒。私にしがみつくゆきさんを見ると、こちらを睨みつけます。


「貴方がゆきをたぶらかしたのね」


 おや、疑問ではなく確定ですか。厳しいですね。

 すみませんが、誑かしてなどはいませんよ。ここにきたのはゆきさんの意思ですし、私は彼女の話を聞いていただけです。

 それにしても、もう夜になりますが……家から出てこられたのですね。それほど、ゆきさんが持ってきたものは大切なものだったのでしょうか?

 ……だんまりですか。ゆきさん、それを見せてもらってもいいですか?

 お母さん、少し拝借しますよ。ああ、近づかないでください。申し訳ありませんが、今の貴方は危険だと判断します。近づけば……そうですね、こちらに入っているものを破り捨てますよ?


「……貴方、性格悪いって言われるでしょ」


 よく言われます。

 では、失礼して……ふむ、この箱、ただの箱ではありませんね、からくり箱ですか。なるほど、ここに貴方の大切なものがずっと保管されていたのですね。

 それにしては顔色が悪いですね。大切ですが、見ると苦しくなるものなのでしょうか?


「あんた、わかってて言ってるでしょ」


 そんなことはありませんよ。まあ、当たっているとは思っていますけどね。

 大切な、思い出の品なのでしょう? 幸せだった頃の。

 写真、とゆきさんが言っていましたね。おそらくその写真には貴方の旦那さんが映っているのでしょう。貴方と、ゆきさんとともに。


「どうして、そこまで……だって、ゆきはあの時のこと覚えてないはず……」


 ええ、覚えていませんでした。ですから、これは私の推測です。しかし、これも当たっていると思っています。

 少しだけ、こちらで過去の事故について改めて調べさせてもらいました。あの山での、落下事故を。


「……!」


 お母さんが目を逸らします。その瞳は酷く揺れ、悲しみと後悔を表していました。そこに、怒りは見当たりません。

 そう。最初から、貴方は怒りという感情を持っていなかったのです。その、ぽっかりと空いてしまった穴をどうにかしようとして、どうしようもできない感情を無理にどうにかしようとして、怒りという感情を生み出し、それをゆきさんにぶつけてしまっていただけなのです。

 ほら、箱が開きましたよ。

 やはり、写真ですね。貴方がた三人が映った写真。背景には星空。頭上も足元も、全てが星の輝きに満ちています。

 これは、三人であの山に登り、湖の上で撮った写真なのでしょう。

 ゆきさん、これに見覚えはありますか?


「あ! これ! ゆきが探してた綺麗なもの! うん、ここ行ったことある。お母さんと……お父さんと」


 そうですね。

 そしてこの帰り道、事故にあってしまった。お父さん、というよりも、ゆきさんが足を踏み外してしまったのでしょう。暗い中の山道。無理はありません。

 そして、転がり落ちそうになったゆきさんを助けに、旦那さんが手を伸ばした。そのまま一緒に落下。その結果、旦那さんだけが……。


「やめてっ!」

「お母さん……」


 ……ゆきさんはどうにか無事でした。ですが、記憶を失っていた。だから、お父さんのこともあの山に行ったことも、うっすらとしか覚えていなかったのでしょうね。

 ここまでが、私の推測です。全てが本当かどうか、私からは聞くことはしませんが……そろそろ向き合うべきではないですか?

 立ち尽くすお母さんに写真を差し出します。少し躊躇したのち、彼女は受け取ってくれました。

 俯きがちに写真を見て、離そうとして。だけども震える手で落とさないように必死に握りしめます。

 大好きだけど、大嫌いな。忘れたいけど、忘れたくない思い出。葛藤が、迷いが、手に取るようにわかりました。

 おせっかいかもしれません。ですが、いつまでも逃げ続けているわけには行かないと私は思います。そのままではこの先ずっと苦しいだけです。どちらも選べず、だから葛藤し続ける。そのうち疲れてしまいますよ。人生は、そのようにして生きていくものではありません。苦しさで、楽しさや喜び……幸せを潰してしまうなど、貴方のためになりません。


「貴方に何がわかるの! この人がいなければわたしは……幸せなんて……」


 わかりません。今日初めてあって、お話を聞いたのですから。ですが、貴方が向き合おうとしていないもの。そして、ゆきさんが欲しがっていたものが何かはわかりました。

 その写真、もそうですが、本当に必要としているものはこちらではありませんか?

 わたしは棚から丸い機械を取り出しました。そして、部屋のカーテンを閉め、電気を消すと、その機械のスイッチを入れます。

 すると。


「っ……!?」

「わあ……」


 二人が同時に声をあげました。

 一人は怯えに似た、もう一人は感嘆の。

 私たちの目の前には、それはそれは綺麗な星空が浮かび上がったのです。

 プラネタリウム。

 わたしはその機械を起動させたのです。

 プラネタリウムは冬の星空を写しだしました。それも、ゆきさん達が行ったあの山から見ることのできる景色を。

 空だけでなく、床までもを星々が埋め尽くします。

 ハラリと、お母さんの手から写真が落ちました。彼女はくるりと、懐かしむような、だけども嫌なものを見るかのように星空を三百六十度眺めます。そうして、こちらに目をやりました。瞠目し、信じられないといった声が漏れます。


「拓也?」


 旦那さんの名前は拓也というそうですね。

 どうやら、今この瞬間、私の姿が拓也さんに見えているようです。

 彼女は呆然としたまま、足取り危うく近づいてきました。その足が棚にぶつかります。

 おっと、危ない。

 よろめく彼女を受け止めてあげると、私の腕を触り、胸を触り、頬に手を添えてきました。


「拓也……貴方、生きて……?」


 いいえ。貴方の旦那さんは、もう生きてなどおりません。

 首を振ると、彼女の方も嫌々と首を横に振りました。まるで子供のようです。私を見上げ、震える唇で何か言おうとし、だけども何も言えぬまま涙を流しました。

 ああ……そのような悲しい顔をなさらないでください。貴方の旦那さんは残念ながら亡くなってしまいました。けれど、どこかで貴方のことを見守っています。貴方がそのような顔をしていると、旦那さんも安心して逝くことができませんよ。

 彼女を抱きしめ、今の言葉を伝えるように頭を撫でてあげます。ゆきさんにしてあげたように、落ち着くまで背中をさすりました。そうすると彼女は、ポロポロと想いを口にし始めました。

 どうして死んでしまったの。わたしを置いていかないで。寂しい。戻ってきて。一人は嫌だ。酷い。最低。貴方だけが逝ってしまうなんて。わたしはどうしたらいいの。


「大嫌い……」


 そう、口してから。彼女は慌てたように頭を振りました。そして、抱きしめる腕に力を込め、今度は吐き出した言葉を否定します。

 嘘。ごめんなさい。大嫌いなわけない。大好き。好きなの。貴方の笑顔が好き。声が好き。優しい口調が恋しい。また話したい。一緒に暮らしたい。ご飯を食べて、お出かけして、買い物して、夕飯作って、寝顔が見たい。

 すごく幸せだった。あの時間……忘れたくない。忘れられない。


「拓也も、そう思ってる……?」


 ええ。きっと思っていますよ。ですから忘れてはなりません。そして、これから先はそれ以上の幸せを掴みにいくべきです。拓也さんも、それを望んでいます。


「私は、拓也を置いて幸せになってもいいの……?」


 幸せになっていいのです。それに、拓也さんは置いていかれません。いつでも、貴方の心の中にいるのでしょう?


「私の、心に……そう、ね……」


 俯き、胸に手を当てて。彼女は一つ深呼吸をしました。顔をあげます。


「ねえ、拓也はもう……」


 いないのよね?

 改めて確認するように、濡れた瞳がこちらに向けられます。わたしは静かに頷きました。

 ええ。拓也さんはもう、いません。


「そう……」


 けれど、私は貴方がまた立ち上がれると確信しています。今、貴方は私の顔を見て、拓也さんがここにいないことを認めようとしている。前に進もうとしている。ならばもう、大丈夫です。

 さあ、涙を拭いて。拓也さんと、お別れをしましょう。


「ええ……拓也、今まで、貴方を縛ってきちゃったのかしら。わたしがこんなじゃ、成仏出来ないわよね」


 自嘲気味に笑みを浮かべて、彼女は星空を仰ぎました。


「拓也、わたし生きるよ。こう思えるまで時間かかっちゃったけど、生きる。ゆきと生きていく。だから、見守っていてね」


 涙が、流れ星のように彼女の頬を滑り落ちて行きました。それは、いつのまにか足元に来ていたゆきさんの額に降り注ぎます。

 それに気づき、お母さんは自分の娘を抱き上げました。優しく包み込むように。頬を寄せ、笑顔を見せます。


「ゆきごめんね。やっと、お父さんを見ることができた。ゆきを、見ることができた。今まで、ごめんね……」

「うぁ……おかあさぁぁん……」


 ようやく、ゆきさんはお母さんの腕の中に入ることができ、その一番安心できるところで精一杯泣きじゃくりました。

 互いに認め合うことができた二人はもう、すれ違いを起こして心を傷めることはないでしょう。多少衝突があったとしても、切り離されることはないと思います。再び、繋がることができたのですから。


 さて。

 お二人が落ち着いてきたところで、私はカウンターに立ちました。

 箱に入れたプラネタリウムを二人の前に置きます。

 ゆきさんの探し物は見つかりました。私の推測通り、それはお母さんの探し物でもありましたね。

 二人は思い出の星空を探していたのです。

 プラネタリウム。買っていくでしょう?


「ええ。思い出の品ですもの。お代はいくらになるの?」


 ふふ。凛としていますね。その様子だと、これから先も大丈夫でしょう。

 お代ですが、こちらでは現金は頂いておりません。代わりに、お客様の大切なものと交換をさせてもらっています。


「大切なもの……」


 ああ、そんな心配そうな顔はしないでください。大丈夫です、その写真は頂きませんから。それは、三人を繋ぐ大事なものですからね。

 では……そのからくり箱を受け取りましょうか。


「こんなものでいいの?」


 ええ。年代物のようですし、うちにはないものですから。よろしいですか?


「ええ。大丈夫よ」


 ありがとうございます。確かに頂戴いたしました。

 それでは、こちら、プラネタリウムです。箱に入れておきましたので、これでお持ち帰りください。

 それでは、二人が幸せに生きられるよう、祈っております。


「ありがとう。お世話になりました。……ゆきと星を見ながら、帰ることにするわ」

「みどりさん、またね!」


 ええ、また会いましょう。


 チリン、チリリン、と。

 鈴の音が、お客様のお帰りを知らせました。

 ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております。


 さて、夜も深まってきましたし、今日の営業はこれで終わりにしましょうか。星屑店、閉店です。

 明日からも通常通り営業しておりますので。探し物があれば、いつでもどうぞ。

 では、また。

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星屑店 宇佐美ときは @Tokiha_Usami

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