人魚すくい

『人魚すくい』




俺だけがこの世にいた。その理由はなんなんだろうか…




高校へ進学した。数多の大人が子供と説明を聞く中、彼だけは一人で校長の話を聞いていた。

彼の両親そして弟は、海の底へと沈んだからだ。その日のことを彼は、思い出せない。そうなることが脳が下した生きていく為の手段であったからだ。苦痛を伴う思い出も感情も何もかもを彼は、その時から捨ててしまったからだ。

彼は笑う事しか出来なくなっていた。


「大丈夫かい?ーーーー。」


一人の男は彼に目をかけていた。彼の境遇は教員の中での共通認識であり、サポートすることが『義務』付けられていた。だからこそ、殆どの人間が彼を『面倒』だと思っていた。けれど、この男だけは彼を気にかけ、そして言葉を掛けた。

碌な食事もままならなかった彼は、体育の授業で倒れてしまった。祖父母の家に引き取られたが、今は二人とも病に伏せてしまい、自力で生きていかなければならなくなっていたからだ。彼はそれでも笑っていた。


「大丈夫です」


けれど男は納得しなかった。

彼の肩に触れ、指を滑らせ腋を撫でた。浮き上がった骨をなぞった。「嘘は良くない」そう言った。

彼は嫌悪した。この男は親切で自分に目をかけてくれた訳ではない、と分かったから。この男が欲しいのは「男子高校生」だ。彼は、悲しくなった。やはり俺は孤独なんだ、と。

「大丈夫です」



文化祭の打ち上げに参加した時のこと。もう10月にはなるのに、クラスの人の名前を余り覚えていなかった。誰が来て誰が来ないのか。そんなもの分かるはずもなかった。だからカラオケの部屋の中に知らない顔が5割も居るだなんて知らなかった。知っていたら来なかったのに。そうして座ったのは、やっぱり知らない男の子の隣。違うクラスの子らしい。

「どうも」

まるで俳優さんのような幸の薄いけれど整った、猫っ毛の男の子。なんでか、どうしてか、彼に釘付けになった。その子がマイクを持って歌った時は、もう、おかしくなりそうだった。

俺は恋をしてしまった。

「部活、何入ってるの?」

「んーなんも」

「じゃあさ、バンドとかしてみない??」

趣味でやってたギター。こんなところで役に立つなんて。

「…面白そう」


ガサガサと音を出すだけのちっぽけなバンド。けれどどうやら二人とも、やると決めたら完璧に徹底的にしたい真面目で負けず嫌いのようで。みるみるうちに技術をあげ、メンバーも増え、ミニライブを何度も行い、到頭文化祭で演奏するまでになった。演奏終わりに抱き合って涙を流した二人のことを全校生徒の中で知らない人はいないだろう。そんな二人を見て可愛らしい噂が立つ。付き合ってるんじゃ?なんて。在り来りなものだった。誰でもわかるジョークだ。だけど…


「オレは君を愛している。それなのに何故だ?」


男は、酷く醜く歪み、少年の翼をもぎ千切った。

彼の為に借りたアパート、そこへ繋ぎ止める。鎖をつけ、足枷をはめ、彼を閉じ込めた。殴り、蹴り、食事を与えず、衣服を剥いで。そうして脳を犯すように愛を囁いた。けれど彼は、負けなかった。彼は、笑う事しか出来なかった筈だった、だが、彼は、負けなかった。男を睨みつけ歯を食いしばり、全てに耐えてみせた。人としての尊厳を奪われながら、男としてのプライドを地に落とされながら、それでも負けなかった。体を暴かれ、異物を詰め込まれ、ひたすらに屈辱を与えられても、彼は、屈しなかった。

負けることなんて出来なかった。愛する人に『愛して』貰うために。



けれど、彼は間違えた。


男は罠を仕掛けた。彼の足枷を外し自由にした。そうすれば彼は逃げ出す、けれど助けを求める為には、自らの恥を打ち明けなければならなかった。それが狙いだった。そして、男は彼の最後の砦を崩せる人間を知っていた。

愛する人に『嫌われた』時

その気高さはどうなってしまうのか。






助けて欲しい

けれど君はそれを望む?

失った俺達

君が俺に抱くのは『恐怖』だ

だから俺は、居なくなろう

俺がいなくなったところで君は

何を思ったりはしないだろう

汚れた俺を見ないで

「自分のせい」だと恐怖しないで

何も知らないで

何も…知らないでいて


彼は泣いた。両親が死んでも、弟が死んでも、いじめられても、祖父母が病に伏せても、それでも笑っていた彼は、泣いた。堰を切ったように、水風船が弾けるように、泣いていた。壊れた玩具の様に泣いていた、ただ泣いていた。喉をついてでる『助けて』『好きだ』『嫌いにならないで』は、ベチャベチャになって床に散らばっていく。そして、吠えるように嘔吐くような泣き声はひとつの決意に呑まれ、ゆっくりとなりを潜めていく。

「俺も…連れて行って」


深海へ、愛した人達の元へ帰るんだ



泡沫と踊りながら、ただ彼は、一人のことを想っていた。




けれど彼は、間違えていた。

少年もまた同じように彼を想っていたから。







小さなお寺。立て掛けられた手書きの看板によく知る男の名が書かれていた。

「…え?」

障子を開けると、お経を唱える坊さん、そしてよく知る男二人。それだけだった。


「天涯孤独って奴なんだ」

彼は、この男には色んなことを話していたっけな。俺にはなーんにも話さねぇくせに。父親が自動車事故を起こして、両親と弟と共に海へ真っ逆さま。頭を打った親は即死、弟は肺に海水を入れながら命の終わる時を待ち続けた。彼は運が良かった。シートベルトは壊れ、窓の割れた扉から彼の意志とは反して外へ投げ出されて行ったらしい。

皆が帰った後も俺はそこに残り続けた。

遺影の写真は無い。彼の写真を撮る人はいなかった。俺もきっとこれから、彼の事を忘れていくんだろう…。


『夕夜!』

目を閉じれば、あの涼やかな声が聞こえてくる


「っあ…あぁぁ…」


新しい声はもう、この耳には届かない



俺のちっぽけな心はこれ以上砕けることを危惧して、…忘れる事を選んだ。





「何故だ?何故だ何故だ何故だ!」

意識がハッキリしてきた頃に初めて聞いた言葉は絶望の言葉だった。全裸の男に跨がれた俺はまるで全て知っていたかのように理解していく。

俺はドールだ

男にぶち犯されてその命を繋ぐ、道具だ

生温いヌメついたモノを肛門に感じながらただ意識を朦朧とさせた。生きる為だ、仕方ない。その為に作られて、その為に使われる。



『ーーーー、』



記憶の奥底の更に下の方に、泥濘となって溜まったなにか。

艶やかな歌声…


「はっなせ!!クソ野郎!」

男を殴り飛ばした。

けれど四肢は鎖に繋がれており一切の自由がない。

ー負けてたまるか

「ぉおお、お前なんて!ただの道具じゃないか!くそ!不良品だった!返せよオレのーーーーを!」


不良品の烙印を押され、返品された

目指すは焼却炉

一応検査だ。と服を剥がれて強姦される。

あんあん喘げば良かったんだろうな、そんな事はしないけれど。焼却炉へ向かう。ひたひたと素足に鉄が冷たい。施設からはだいぶまだ離れている筈なのに熱さが伝わってくるようだ。死ぬ時はどんなだろう?一瞬かな?苦しいかな?やだなぁ…

目を閉じるとまた、あの声だ。艶やかな歌声。


ー死にたくない


ー愛して、欲しい



……

その日は特に雨がひどかった。人々は雨避けの花を咲かせて散り散りに巣へと帰ってゆく。男はそんな外へと繰り出した。こんな雨の日に限って『迷子』は姿を表す。…ほらね、やっぱり。

雨音の間を縫うように涼やかな歌声が聞こえてくる。美しい歌声。人の発声手順を踏んでいない歪な声、男にはわかった。同じだからわかる微妙な差異。路地の裏の方からだ。

心臓が潰れるような衝撃。男はよろめき目の前を明滅させる。

姿形も、声も、雰囲気さえも違っている。けれどもそれでもわかる。それ程に恋焦がれた人だから。脳の奥底に刻まれた狂愛の記憶、彼に被った罪の数々。許されるものではない、許されなくていい。けれどもそれでも、男は贖罪を求めた。

「歌、好きなんですか?」






車内に入ってすぐ、夕夜はオーディオに手を伸ばした。来た時よりも数段大きな音で。それから後部座席の方へ向かっていった。

「来て」

何をするかなんて馬鹿でもわかる。けど、とぼけた。その口から聞きたくて。

「何?」

「後ろは外から見えなくなってんの」

「何が…?」

わかってるだろ。そんな目で見つめられる。薄暗い光の中、頬を染めていく彼。腕を引かれ、胸の中へと招かれた。耳元で囁かれる言葉、簡潔で、それでいて一気に感情を昂らせる起爆剤。

「汚す」


「動いてみて」

彼は、動かない。口付けをくれて腰を支えてくれている、それだけ。けど、俺を貫くこの熱さがあればどれ程にでも乱れられる。自ら動いて、欲しい所へ招きひたすらに擦りあげる。何度も何度もトんで仕舞いそうになる。そんな激しい快楽を手に入れているはずなのに俺は一向に果てへといけない。今まで、まともな行為をしたことがなかった為、勝手がわからないからだ。セックスなんかじゃなかった、レイプだけを受けてきた俺はなんの感慨も持たずただ『使われて』いたから。自分が絶頂することのやり方がわからない。

けれど今は、俺が夕夜を『使って』いる。ドールとして夕夜の物になった。夕夜に快感を与えるのが俺の役目だ。なのに俺は彼に跨り欲を貪っている。夕夜、夕夜に『使って』欲しい。夕夜が決めてくれなかった俺の意味。だから決めるんだ。俺は

「ゆ、うや…うごいて?」

「満足したの?」

「んん。夕夜がうごいてくれないと、おれイけない…かも」

夕夜の道具。

「ぐちゃぐちゃに汚して…?」

だけれど

「っひ!?、あっ!あっ、ん!あぁだめっ…」

愛して欲しい



あなたの事が好きでした。

ずっと前から

憂いた表情におなじ思いを感じて、溶かせるような気がして、自らのエゴの為、彼に近づいた。言葉を交わせばわかった。同じ痛みを持っている。隠し続けてきたこの傷が癒える気がした。…けれどそれ以上に愛してしまった。その痛みを溶かしたい、苦しみを抱きしめたい、守りたいそのひ弱な体を、守りたかった。

俺はまた、自らの弱さを隠した。気づいてしまったから、傷口を広げるだけのエゴによる治療行為よりも包帯を巻き合える好意が欲しかったんだと。隠した、得意の笑顔で。

愛されなくて良かった、同じように笑っているだけで良かった、のに…君が俺に触れたから。

『愛して』


「いっいぃ、ああ!!あ、ぁ、ぁ…」

これは同情かも知れない

けど、もうそれでもいいや。

あなたの欲を飲み干してみせるから

もっと、頂戴……






俺が幸せになることを

『俺』は否定するのかな?

『俺』にはもう触れれない夕夜の手が

俺に痕をつけていく

俺は、何なんだろうか?

だれだろう…?

ー会わなきゃ


俺に





まるで手を引かれるように深淵へと落ちようとした。死にたかった訳じゃない。この果てない青に落ちれば全てが終わる気がした。苦しいも痛いも何もかもなくなる気がした。泡のように体を溶かせると。本気でそう思った。水面に映る偽りの空へ飛び立てるんだと。

空へと舞い上がる泡沫、きらきらと煌めいて。体の隅々へと行き届く海水に心を溶かしていく…けれど…段々と、分からなくなってきた、なんにもわからない…なにも…

楽しかった

みんなやさしかった

しあわせだった

ああ、しあわせだったさ

おれは…それでも

独りだった

間違えた…全部全部間違えた間違えた間違えた、間違えていた

助けてって、叫べばよかったんだ…!

「ゆうや…」

『愛して』います、と…




「蓮!」


それは俺の名じゃない。けれど、貴方が俺を思って呼ぶ言葉に形なんかが重要になるとでも?


突き抜けた痛みに目眩がした

『俺』は、生きてる。

抱き締められて、そうして届いてくるあたたかさ、知っている。あの日、あの時、抱き合って泣いた、あのあたたかさ…夕夜、俺だよ。

俺は初めから『俺』で『俺』なんていなかった。分かれてなんていない、俺は俺だった。

夕夜…俺だよ!


「助けに来た、恭平」



「言いたいことあるんだけど。どっちに言えばいい?」


「両方とも俺だから、どっちとかねぇよ。」




それでも俺が負った恥辱も屈辱も消えるわけじゃない

もう少し待っててね、全部話せるから…


それまで、偽りの永遠をーーー。








からんころん

「おや、珍しいお客さんだ。どうしたの?」


「寿退社。つまり時代が俺らに追いついたってこと」

「成程…?」

机に並べた高価な商品の写真の載ったカタログ。蓮と椿はうんうん唸りながらそれらを捲ったり捲らなかったり。

「まあ、そうだよなぁ。最近はドールに多少ですけど人権も付いたし…結婚のひとつやふたつ」

「ひとつ以上はないから」

茉莉花はケラケラと笑った。そう言わされたのだと気づくと、夕夜はみるみる頬を赤らめていく。

「そんなことより、志津木は選ばないのか?」

「そんなことより!?…俺が決めるよりとんとんで進むですよ。あいつに任せてると」

「完全に尻に敷かれてるじゃないかぁ」

敷かれてない!手を上げて、わーわー吠えていると、蓮が傍まで駆け寄ってくる。

「あのさ、夕夜はこれとこれどっちがいい?」

「あー、そうだな」

「蓮ちゃん、手首は隠した方がいいよ」

蓮の手首を掴みまじまじと見つめる夕夜の上司こと茉莉花おじさん。隣のダメ亭主が睨みつけてくるが気にしません。

「…昨日?」

「っえ、なんで?!」

「自白しちゃダメだぞ〜…今は誰でも逆算出来るから、いつ致したかなんてすぐバレちゃうゾ」

見かねた夕夜は、ぽこぽこと拳を彼にぶつけ始めた。こら〜パワハラかーー?。いつもの心のこもらない謝罪の言葉だ。

「あー、でもこの感じだとカンストしっぱなしか?凄いね。え、毎日ですって?いやらしい~若いって素晴らしいね!」

「ちっちっちっが!!」

「毎日はしてねぇよ!!!週一で、ッハ!?」


「夕夜!!!!」

「ごめんって蓮!」




人魚姫は泡沫となり、深海の底へと落ちていった。

けれど泡沫は愛する人の手に掬われ、そうして甘い人形となる。

隣で笑い続ける罰を受ける為に…




chocolate×doll〜Little cry in the Abyss〜

fin

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