87話 淵源

「旦那、見てくだせえ」


 御用聞きの留蔵は、指の先で筵をめくり、いかつい顔を歪めた。


くびを一太刀でさあ。皮三寸たあ、思い切ったことをするもんだ」


 旦那と呼ばれた男は、傍らにしゃがみ込み、手にした朱房の十手で筵をさらに持ち上げた。

 年は三十路みそじ半ばあたり。定町廻りらしい垢抜けた形姿なりで、雪駄に小銀杏、竹縞の小袖に黒紋付の裾を絡げている。


「かなり若いな。だが、酷えもんだ。顔を焼かれている。何故ここまでする」


 知らせが入ったのは今朝方だ。奇妙な仏が出たから見に来て欲しい──留蔵の下っ引きが駆け込んで来た。

 留蔵とは、双方親の代から鑑札を預け預かってきた仲だ。早々などと言うことはない。洲崎と聞いて本所見廻りを呼びにやり、一足先に現場へ着いたところだった。


「頸をこう」

 と、留蔵は手で示す。

「すぱっと斬っちまうと、えらいことになりまさあね」

「ああ。ためらい傷もない。手練れか、据え斬りか」


 どちらにせよ、血飛沫の跡がないのだ。


「つまり、他所で殺して此処へ捨てたのだろう。理由わけがわからん」


 背後を振り返ると、早朝だというのに、すでに野次馬が二、三人。

「仏を隠すには、向いてねえなあ」


 洲崎は、江戸湾沿いの湿地を埋立てたものだ。当初は町屋が立ち並んだものの、高波で一帯が流されて以来、遠浅の浜から富士山、房総半島を望む景勝地となった。さらに洲崎弁財天への参道もあり、朝晩参詣客があとを絶たない。

 勢いで殺したにしては念の入れようで、隠そうとするには無理がある。

「つまり、理由わけってえことか」

 堤は独り言ちると、手を払って立ち上がった。


「留蔵、知らせてくれてありがとよ」

「とんでもねえ。三が日からお呼び立てしちまって」


 恐縮しながらも、このあとどうするのかと訊かれ、堤清吾は懐手になる。


「まずは、暖ったけえところへ行こうや。此処にいたんじゃ、あそこまで凍えちまう。仏さんが生き返るわけでもねえしな」


 番太へ合図すると、手慣れた様子で戸板に乗せた。筵からはみ出た手が、だらりと垂れる。何かを掴むように、指が曲がっていた。


「正月早々、いやな一件だ」

 風除けの松林と、遠浅の浜が延々と続く。うねりながら垂れ込める曇天に、海から吹き付ける風は、ただ冷たい。

 堤は衿巻を押し込み、屍を従え道を戻る。


「桑原桑原。今年は血腥え年になりそうだな」

「旦那、縁起でもねえ」

 留蔵はすっぽんよろしく首をすくめ、盛大なくしゃみをした。





 深川八幡別当べっとう永代寺の 塔頭たっちゅうのひとつ、吉祥院である。

 冬枯れた庭に、一本の寒椿が赤赤と花をつけていた。そろそろ梅が綻ぶ時分である。


「毎年よう花をつけましょう。他はすでに散り終えておりますのに」


 この株は一体どういう具合でございましょうか──と、茶を運んできた若い僧侶は言って、障子戸を少し開け残して下がっていった。雛僧であった姿を思い出し、加納久通は低く笑った。


 加納は、八代将軍吉宗の側近、御側御用取次おそばごようとりつぎである。もとは紀州徳川家の家中であったが、吉宗の宗家相続とともに直参となった。相役の有馬氏倫うじみちとともに、長年主君を支え続けている。


「正月というのは、おのれの歳を噛みしめるよい機会だ。そうは思わぬか、越前殿」


 下座に控えているのは南町奉行、大岡忠相ただすけだ。加納よりわずか四才年下ながら、古武士然とした加納の相貌と比べ十は若く見える。


 大岡家は、知行二千石ほどの旗本である。目付から山田奉行、普請奉行を務め、享保二年に江戸南町奉行に抜擢された。八代将軍吉宗の幕政を支えてきた要のひとりでもある。

 二人は、しばらく庭の椿を眺めた。


「実は、内密にお耳に入れたき儀があり、ご無礼ながらお呼び立て致しました」


 加納は、無用とばかりに首を振る。


「越前殿のは、並の火急ではあるまい」


 とはいうものの、大猷院(三代家光)の月命日が過ぎて、ようやく対面が叶った。


「実は、近頃町方に妙な噂が流れております」

「妙、とは」

「〈閻魔の狐〉という賊を、憶えておられましょうや」

 加納は、曖昧に頷いた。

「義賊などと嘯き、先般の〈白〉の一件にも関わっておりました」


 不行跡を重ねた旗本らを拉致、衆目に晒すことで面目を潰し、隠居へ追い込んだ。世間は、喝采でを迎えた。


「その賊が、また世を騒がしているのか」

「いえ、ご落胤、でございます」


 加納は、珍しく虚を衝かれた様子だった。


「如何に」


  大岡は、一言一言選びながら、ゆっくり返した。


「畏れ多くも、〈閻魔の狐〉は、上様の御たねであると、そのような噂にございます」





(続く)



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