77話 最後の謎かけ

 ぽう、と闇に灯りがともった。

 蝋燭というより、龕灯がんどうか。その先に、眩しげに目を細める里哉がいた。


「音、ここはどこだ」


 詰め寄ろうとして、あっと声を上げた。狐面だ。耳まで裂けた口がにっと哂う。


「最後の謎かけだよ」

 音哉の声で狐面が言う。

「積もる話をしよう、お里。まだ、時間はたっぷりあるしね」


 父児次郎と面会した帰途、橋上で音哉と出会った。そのまま藤助が操る小舟へ二人して飛び乗り、弟の言うがままついて来たのだ。

 差し出された頭巾を被り、見えぬまま、海の香が強くなった辺りで駕籠へ乗り換えた。暮六ツの鐘を聞きながら半刻ほど揺られ、ようやく手を引かれ敷居を跨いだのだ。


「一体、ここはどこだ」

 二子の弟は、首を傾げる。

「最後の謎かけだよ。そう言えば、お里なら、わかるだろう」


 ぬかの匂いがする。間口は二間。とするとやはり、


「日本橋、北鞘町河岸の舂米つきごめ屋だ。大和屋」

「当たり」


 舂米つきごめ屋とは、玄米を白米へ精米する商いだ。米問屋や札差が商うことも多く、江戸市中に大小五万とあった。


 薄暗い土間には、唐臼をはじめ雑然と道具が積まれている。大戸を下ろし、奥にもまったく人気ひとけがなかった。


「まるで、夜逃げをしたみたいだけれど」

「また、当たり」


 音哉は板間を手で払い、座るよう促す。


「さ、ここへお座りな」

「何を企んでいるんだ。〈謎謎百万遍〉は、おまえの仕業なのか」

「まさか」

 音哉は、大仰に手を広げた。

「私に、そんな力があると思うのかい」


 再会した二子の弟は、〈閻魔の狐〉を名乗る義賊となっていた。手下もいる。おかしらとして、堂々と振る舞う姿も見た。しかし、〈謎謎百万遍〉の勧進講は、江戸中を巻き込む一大事だ。


「ならば、どういうことか説明してくれ」

「二人に会うためだよ。私には二子の兄がいて、それからいつも優しい従兄もいる。その二人に会いたいって思うのは、人の情にかなうだろう。だから、ちょっと知り合いに頼んで、お里の謎かけに仕掛けをしたんだよ」


(あいつか)

 瀬戸物町の受付会所だ。いつも同じ男が応対した。


「そんなに間怠まだるいことをしなくても、直接会いに来ればいいだろう」

「つまらないよ、それじゃ」


 拗ねた口調で言う。


「三年振りだよ。ただ会いに行くなんて、面白くないだろう」

「私も倫太郎様も、あれかららずっと音のことを心配していたんだぞ!」

「それは違うよ」


 狐面が、大きく首を傾げた。


「少なくとも、心配しているのは、お里のことだ。昔から私は除け者だからね」

「いつ、音を除け者にした!」

「お里たちが江戸に来たって聞いて、私の方こそびっくりさ。今ごろ、一体全体どうしたっていうんだい」

「江戸見物だ」

「ふうん。それだけ?」


 狐面の奥から、音哉の目が里哉を見据える。それから、小さなため息をついた。


「なんだ。知らないんだ。お里は何も知らないで、のこのこ付いて来たんだね」

 おのれの顔が強張るのがわかる。

「それってお里らしいけど、相変わらずだなあ。お里だって、除け者にされているのに、倫太郎様、倫太郎様って、おかしいや」

 くすりと哂う。


「父上のご判断だ」

「ふーん、父上が、ね」

 耳が熱くなる。

 音哉は、昔からこういうもの言いをすることがあった。物事を一刀に斬り捨て、一言も抗弁させてくれない。里哉が認めなくないことを、遠慮なく言い募り追い詰めてくる。


 反面、いつも正しい。間違いではないとわかるから、おのれが木偶の坊のように思えて、さらに情けなくなる。

 おのれは足りないのだ。

 いつも、父の期待に沿えない。

 長ずるに従って、里哉の争いを好まぬ穏やかさよりも、音哉のおそれ知らずの才気と武芸の力量を父は好ましく思っている──そう感じてきた。

 だから、赤瀬の養子になると聞いて、正直ほっとした。そう思うおのれの卑怯さを恥ながらも、深く息ができそうだと思った。


「ねえ、お里」


 音哉は聡い。

 しかも、二子だ。おのれの心中など、とうに見抜かれているだろう。

 忘れていた思いに、里哉は口唇を噛んだ。


「ねえ、お里」

「ああ」

「この間、妻戀稲荷に願掛けしたよね」


──たづぬる迷子 おさと。

 義賊〈閻魔の狐〉へ頼むには、神田明神下妻戀坂の妻戀稲荷へ絵馬を掛けるのだ。


 あの時、急に拐われ驚いて逃げ出したものの、やはり会って真意を確かめたかった。何をしてきたのか、しているのか。この三年どこでどう過ごしてきたのか。

 会えばわかる。会って話せばきっとわかる。

 だから、もう一度会いたい──話したいと絵馬を掛けた。


「さあ、私は来たよ。こここにいる。〈わたし〉に会いたかったのだろう。お里は、なにを望んでいるんだい」


 音哉は闇に立つ。面を脱ぐこともなく、そう問いかけてきた。






 倫太郎のもとへ知らせが届いたのは、すでに日が傾き始めた夕刻間近だった。同じ花六軒長屋に住まう福籠屋のおふくが、血相を変えて飛び込んできたのだ。


「倫太郎様、里哉さんが!」

 おふくは、母親のお登勢からの伝言を一気に吐き出した。


 里哉が、音哉に連れ去られたこと。篠井の手の者を振り切り、行方不明であること。そして、何よりも倫太郎は決して動かぬようにと、それが篠井児次郎からの厳命であった。


「わかったと、お登勢へ伝えておくれ」

「倫太郎様」

「一人では動かないよ」

「はい」


 おふくは、大きな目に不安を滲ませて、日本橋通旅籠町の旅籠へ、母のもとへ戻って行った。


 倫太郎は動いた。

 向かいに住む原賢吾を尋ね、出かけるとだけ伝える。

 原は何も問わず、支度を始めた。

 倫太郎は里哉の持ち物を探り、〈謎謎百万遍〉についての瓦版よみうりやら、散らし書きなど、整理してある書付を一枚一枚丁寧に確かめた。


「──なるほど。そういうことか。さすが、お里だ」


 懐へ入れ、大刀を取る。

 出ると、真慧しんねが腕を組んで立っていた。


「行ってくる」

「性悪狐に気をつけろよ」


 それだけ言い、身を引いた。倫太郎はちらりと笑んだ。


「行ってくる」

 倫太郎は原賢吾を連れ、薄暮迫る江戸市中へと消えていった。







(続く)





 

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