75話 第七の謎謎〈赤い骨牌〉

 一方、日本橋瀬戸物町。


 篠井里哉は、〈謎謎百万遍〉の会所前にいた。

 緊張した面持ちで、手には例の謎かけの紙を握りしめている。


 中の様子は変わらない。十人ほどの男たちがきびきび動いている。

 期日が迫る所為だろう、受付に並ぶ姿は減って、里哉と同じように強張った顔付きで、様子をうかがう男女の姿が二人、三人。


 横目で角にいる原賢吾を窺い、小さく頷いて見せる。鼈甲縁の眼鏡を直し、里哉はひとつ深呼吸をした。


「失礼する」

 敷居を跨いだ。





 吉次の傷は、そうそう深傷ではなかった。鋭い得物が二の腕をかすめたようで、堤清吾は血の固まった傷口を酒で洗い、晒で巻き上げた。


「──で、どうしたんだ」


 吉次は衿元を整えると、いつものように掴みどころのない笑を浮かべた。ちらりと、倫太郎へ目を遣る。


「謎謎がらみの一件か」

「ええ、例の備前屋なのですが、少し気になることがあったので」


 吉次は得意のを使って、探ってみたのだという。

 目星をつけたのは、通いの番頭だ。野心はあるが、隙だらけの男だ。


 旦那様は采女ヶ原辺りに、料理屋を一軒持っているらしい──床のなかでそう教えてくれた。


 備前屋ほどの大店になると番頭、手代、丁稚に加え、年季奉公の女中を含めると使用人は相当数にのぼる。そのほとんどが徳右衛門の郷里から呼び寄せた者だが、どこの世にも跳ねっ返りはいるものだ。


「目星をつけてまとわりついてみたら、あっけない。手代から昇格して、嫁取りの世話までしてもらったようなんですがね」

 吉次は、無情な笑みを浮かべる。

「相変わらず酷だねえ、伊織さん」

 それで、と先を促す。

「無論、その料理屋へ行ってみました」


 采女ヶ原とは、先年の大火で移転した、今治藩主松平采女の屋敷跡である。現在は馬場となって、周囲は決して上品とは言えぬ歓楽地だ。


「あの辺りにしては地味な店だったので、逆に気になって、裏から忍んでみたのです」


 板塀伝いにぐるりとまわり、裏の木戸口から滑り込んだ。夜目にもこじんまりと整った庭の様子がわかる。店表の間口は狭いが、奥へとかなり深い造りのようだ。真ん中に廊下が突き抜け、両側にいくつか座敷がある。灯りが点いている部屋もあるが人気はなく、時折仲居らしき女が盆を持って往来していた。


「どうやら、待合のようでした」

「そりゃ、えげつねえなあ」

 倫太郎が、不得要領な面持ちになる。

「待合、とは何ですか」

 まさか、茶室の話ではあるまい。

 目を丸くしたのは、堤である。

「あー、そりゃ、なんだな」

 見かねてか、吉次が引き取った。

「いわゆる出会茶屋です。仕出しの料理も出しますが、座敷貸しが主な生業なりわいです」

「……ああ、なるほど」

 倫太郎は、不得要領に頷いた。


 吉次は植込みに身を隠し、しばらく留まった。その間、客らしき姿は二組。顔は暗くてよく見えない。


「立居振る舞いから、恐らくは身分のあるお武家と見ました」

「で、一緒の相手は女かい、男かい」

「それが……」


 両方だった。吉次が窺っていると、二組の客は同じ座敷へ入った後、出てこなかったと言うのだ。


「つまり、二組でお愉しみってわけか」

 吉次は首を傾げる。

「それが声ひとつ、物音ひとつしないものですから」


 妙なことだと思い、蚊に刺されながら一刻ほど留まった。


「それが、まったく気配がありません。座敷の位置と板塀の長さから見て、さらに奥があるとは思えませんし、出入り口もなさそうでした」


 仕方なく見切りをつけ、一旦戻ろうと通りに出た。が、妙な気配が付いて来たというのだ。


「姿は見えないのですが、どうも嫌な感じでしたので、なるべく人のいる場を抜けて行ったのですが……」


 気づいた時には、二の腕に激痛が走っていた。腕を押さえ周囲を見回したが、誰だかわからない。すれ違った者もいない。


「さすがに、ぞっとしました。それで、近くの知る辺に夜明けまで厄介になって、念のため、何度も遠回りをして戻ってきました」

「妙な話だな」

「ええ。最初から尾けられていたのか、それとも気づかれたのか」


 そもそも、その店の主人は本当に備前屋徳右衛門なのか。


「伊織さん、あんたが無事で何よりだ。後で留蔵に言って、手下に張らせよう」

 留蔵とは、堤が遣う御用聞きだ。

「田野川という店です。私も別口から調べてみます」

 ああ、と頷きながら、堤清吾は倫太郎を窺う。相変わらず波風ひとつ立たぬような、のんびりとした面持ちだ。

(何か、知ってるな)

 堤は、そういう勘が働く男である。





「それで、これが七番目の謎かけだね」


 その晩、深川の花六軒長屋である。

 倫太郎と真慧しんね、そして診療で疲れているのか、半ば舟を漕いでいるお凛が集まっていた。

 昨夜の相談の結果、里哉はこのまま〈謎謎百万遍〉の謎解きを続けることになった。

 思い違いであればよし、万が一、何かしらの謀略はかりごとであったなら、その狙いを探る。


 だが、謎解きの講元である、当代きっての大商人らがすべて関わっているとは考えにくい。

 としたら、表立って掛りとなっている受付会所──それを取り仕切る備前屋に関わりがあるのではないか。


 そう推測したが、確証がない。

 探るには、時がいる。


 里哉はこのまま謎解きを続け、倫太郎が備前屋を追う。

 真慧は止めろと言ったが、聞くわけがない。


 里哉は、第七の謎謎を皆に示す。

 折った紙は、これまでよりも厚みがある。何か包んであるようだ。変わらず表の隅には、朱書きで「八二」。


「これが七番目の謎かけだそうです。帰宅してから開けと、わざわざ念押しされました」

 もとよりその場で開くつもりはなかったが、

「さらに、この七つ目の謎解きが八つ目の、最後の謎かけへと続くそうです」

 会所で応対したいつもの男は、さらに『どうぞ、お気をつけて』と、妙なことを言った。


 里哉は殊更声を張る。


「開きます」


 軽く糊留めした封を切る。

 と、中から赤い札が一枚落ちた。


「これは」


 ひっくり返すと、よくある花札だった。

 紅葉に鹿。遠鳴きする喉を晒した鹿。そして紅葉。

 倫太郎と里哉が、目を見交わした。


「音哉」


 里哉が、呻くように言った。





(続く)

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