74話 狐と狸

「始まりは、端切れ屋の藤助ふじすけさんでした。湯屋ゆうやで声をかけられたのがきっかけです」


 深川門前町一丁目の花六軒長屋だ。隅田村の木母寺もくぼじより戻り、二木ふたき倫太郎と篠井里哉の住居におふくと原賢吾、そして、やはり同じ長屋に住まう坊主の真慧しんねが集まっている。


 時刻は暮れ六ツ。方々から、時の鐘が響くたそがれ時だ。

 障子戸を開け放し、裏の畠地に面した縁側近くに真慧が、原賢吾は上り口のあたり。向かい合った倫太郎と里哉の横に、おふくが座った。


「つまり、なんだ。それまでお里坊は、例の〈謎謎百万遍〉のことを知らなかったって言うんだな」


 眉を顰めただけで、お里は聞き流した。


「ええ、真慧さん。張り出してあった瓦版よみうりで、初めて知りました」


 町中では持ちきりの話題だったが、もとより里哉はそういうたちだ。


「端切れ屋の店開きは夏前よ。五月の初めだったと思う。値も手頃だし、近くで便利だったから、あたしも時々行ってたの」


 おふくは、どこか悔しそうだ。


「その時、藤助におかしなことはなかったかい」


 おふくは、盆を抱えて眉を寄せる。


「あれから何度も思い返してみました。でも、倫太郎様。これといって思い当たらなくて。妙にした人だとは思ったけど、里哉さんにつきまとっていたから、てっきりそっちが好きなんだろうって」

「そっちって、なんですか」


 里哉は聞こえぬほどの、しかし険しい声で言う。


「しゅ、衆道しゅどう好みよ。てっきり里哉さんのことが好きなんだろうって。あたしだって、おっかさんから一通り叩き込まれているから、怪しいと思ったら放っておかない」


 そもそもおふくが引っ越してきたのは、倫太郎の身辺に目配りするためである。 


「それで、お里。一問目は確か」

「はい。簡単な絵解きで『両国』が答えでした」


 よくある、語呂合わせのようなものだ。


「そして、二番目が小野小町の歌だったね」


 越後流軍学の符牒を使った謎かけだった。


──かぎりなき 思ひのままに夜も来む 夢ぢをさへに人はとがめじ。

 会えない愛しい人のもとへ、せめて夢路で会いに行こうと詠った『古今和歌集』の歌だ。


「日本橋堀江町の玉屋へ繋がり、ええと、人気の小町べにではないかとおふくさんが教えてくれました」


 それがきっかけで、謎解きは里哉とおふく、二人で進めることになった。


「三番目は釜屋のもぐさです」


 この春亡くなった奈良屋の若旦那は、親からの莫大な財を遊興に使い尽くした。前年に儚くなった馴染みの太夫、玉菊との悲恋は有名だ。その玉菊太夫が病の床で、江戸浄瑠璃を聞きながらやいとを据えたいと訴え、若旦那はその望みを叶えてやった。


やいともぐさを扱っていて、最近名をあげた店。〈謎謎百万遍〉の講元のひとつ、日本橋小網町釜屋でした」

 皆が頷く。


「それから、例の二股大根だね」


 おふくと山谷堀近くの待乳山まつちやま聖天へと出掛け、里哉は藤助に連れ去られた。そして、隅田川近くの荒寺で二子の弟、音哉と再会したのだ。


「おとは……、音哉は今、誰かに仕えていると言っていました。素晴らしい方だから、私も一緒にその方の大望を叶えようと」


 詳細は父、篠井児次郎や倫太郎へ伝えてある。

 この春、音哉は〈閻魔の狐〉を名乗り、突然姿を現した。音哉という名は捨てたと、倫太郎の出府を知って、顔を見に来たのだと言った。

 しかし、里哉がそのこと知ったのは、つい最近だ。事が事だけに倫太郎は伝えあぐね、それが裏目に出た。


「音哉が出奔して以来、どこで何をしてきたのか。どうして今まで連絡を寄越さなかったのか。それに」


 と、一瞬言葉を切る。


「音哉がもし、……もし盗賊ならば、どうしてそんなことをしているのか。お仕えしているというは誰で、なにゆえなのか。あの時、私も知っていれば……」


 荒寺から早々に逃げ出さず、聞き出そうとしたはずだ。


「問いは、なにゆえ二股なるや、です。そのこころは、もとは一本ゆえなり。当て推量でしたが、正解でした。そして」

 と、書付を広げる。


「これが五番目の謎かけ。今日の木母寺へ行った理由です」


──さらわれし子。

 そして、梅一輪の花。小さな紅梅の絵。

 木母寺は、能『隅田川』の舞台となった地である。禍難に果てた梅若丸を祀る山王社の社殿の下、無造作に次の書付が貼られていた。


「さらに、これが六番目の謎かけです」


 いつもの折った紙だ。隅に朱書きで「八二」。開けると細めので、帳面のように文字と数が書き付けてある。


「算術書『塵劫記じんこうき』の遺題です。もとは材木ですが、これは果物。それ以外は、まったく同じ内容です。柿と枇杷と桃と蜜柑。私が、音哉に教えた時の例えです」


──柿八十個、枇杷五十個、合わせると値二貫七百九十匁 。柿百二十個、桃四十個、合わせると値二貫三百二十二匁。桃九十個、蜜柑百五十個、合わせると値一貫九百三十二匁。蜜柑百二十個、枇杷七個、合わせると値四百十九匁。

 ではこの時、柿、枇杷、桃、蜜柑、一個につき銀どれほどの値になるか。


 おふくは、顰めっ面になっていた。

「……あたし、これ苦手。いっくら考えてもわからない」

こつがあるんです。やり方が分かれば誰でも……」

 と、睨まれて、里哉の語尾は消えんばかりだ。


「お里は、この例え方で音哉だと思ったんだね」

「はい。偶然かもしれません。遺題をそのまま使うことをはばかって、偶然同じものになったとも考えられます」

「でも、お里はそうは思っていない」


 大きく頷く。


「会いたいけれど会えない。もとはひとつ。隅田川物にある二子の筋書など、自分たちと被ることが多過ぎて……」


 里哉は皆を見回す。


「確証はありません。でも、今回のことは、すべて私へ宛てた言伝てのように思えるのです。気が付いて欲しいと。もしかしたら、助けを求めているのかもしれません」

 里哉は、そこで押し黙った。


「つまり、こういうことか」


 真慧である。いつになく、厳しい物言いだ。


「この謎謎ごっこには性悪音哉が絡んでいて、音哉が絡むそのとやらが、さらに恐らく絡んでいる。つまり、購元の名だたる旦那衆もで、兄であるおまえを呼び寄せるために仕組まれた、と言うんだな。どこまで話がでかいんだ」


 里哉は、真慧を睨む。


「だから、確証はありません。これから調べます」

か、お里

「真慧さん!」

「牛若、そこまでだ」


 真慧は、詫びるように手を上げた。


「俺は聞いたままを返しただけだ。音哉絡みなら、一筋縄じゃいかねえとわかっているだろう。親父さんへの意地なら、引っ込めといた方がいい」

 そして、倫太郎へ。

「で、どうするんだ」

「そうだね。叔父上に言ったら、恐らく止められるだろうな」

 にっこり笑う。


「私に少し考えがある。明日、南町の堤さんに会って来るよ」





「──で、今度は何だい」

 堤清吾は座敷に寝そべったまま、倫太郎を見上げた。


 日本橋武部小路近く、よろず屋吉次宅である。こじんまりとしながらも、どこか瀟洒な借家だ。暑さもおさまった曇天の午後であった。


 戸口で声をかけると、奥から唸るような声が返った。上がってみると、南町奉行所の町廻り同心が、寝ぼけ眼を擦りながら起き上がったところだった。

 家の主人、吉次の姿はない。

 倫太郎は台所で水を汲み、堤へ差し出した。一息に飲み干すと、充血した目を瞬く。


「大丈夫ですか」

「なに、夕べ飲み過ぎてなあ」


 かすかな白粉の香りに、行く先の察しはつく。


「実は、例の備前屋の件なのですが」

「ああ」

 と、堤は顎のあたりを掻いた。

「で、どうだったかい」

「なかなかに面白い人物ですね」


 備前屋とは、〈謎謎百万遍〉を実際に取り仕切っている口入屋だ。堤を介して、紀伊國屋文左衛門に席を設けてもらった。

 倫太郎は、かいつまんで昨日の「植半」での様子を語り、紀伊國屋の人物評を付け加えた。


 堤は、にやりと口の端を歪めた。

「あの爺さんも一筋縄じゃいかねえからな」

 そして、欠伸を噛み殺しながら、また寝そべってしまう。

「すまねえな。ちょいと寝不足なんだ」


 それでも倫太郎が動こうとしないのを見とって、堤は片目を開ける。


「で、二木さんの用件は何だい。吉次なら、この二、三日帰ってないようだ」

「実は、調べて欲しいことがあるのです」


 ああ、と億劫そうに頷く。


「やっぱり、備前屋かい」

「そんなところです。留蔵さんが言っていた、叩けば出るを見つけたいのです」

「ほう、そりゃ物騒だな」

 両目が開く。


 その時だった。


 庭先の木戸が開き、吉次が転がるように入って来た。黒板塀に張り付いて、口許にしっと指を立てる。しばらく外の気配に耳を澄ませたあと、ようやく頷き、こちらへ微笑を向けた。


「どうしたんど。伊織さん」

 堤は裸足のまま庭へ降りた。


「ちょっと、へまをしまして」


 秀麗な美貌が歪む。押さえた左腕。白い甲へいく筋も血が伝った跡があった。






(続く)








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