72話 梅若伝説

 木母寺もくぼじ領内の料亭「植半」の名物は、蛸料理である。


 舌鼓を打ちながら、歓談は一刻ほど続いた。〈謎謎百万遍〉に関わるようになった経緯やら、謎かけ作りの裏ばなしやらを、備前屋徳右衛門は軽妙な話しぶりで、次から次へと披露した。


 倫太郎は諸処感心したように頷き、備前屋がその才覚を披露できるよう問い返す。


 気持ちよく話し終えたのか、「次はぜひとも手前が席を設けましょう」と、小猿のような顔を笑み崩して帰って行った。


「いかがでございましたか」

 改めて運ばれて来た茶器を手に、紀伊國屋文左衛門の口調は、明らかに面白がっていた。


「文左衛門殿には、ご面倒をかけました」

「なんの。堤様に頼まれただけでございます。なによりも、退屈しておりましたので、よい気晴らしになりました」


 堤とは、南町奉行所の町廻り同心堤清吾のことである。

 先日、倫太郎が八丁堀の組屋敷を訪ねた際に、頼んでおいたことの一つだった。


──二木さんのは厄介だ。


 理由を知りたがったが、実は倫太郎にもよくわからない。頭の隅に引っ掛かるものがあるのだ。それで一度、備前屋徳右衛門という商人に会って、どのような為人ひととなりか確かめておきたかった。


「商才に長けた人物のようですね」

 文左衛門は、ゆったりとんだ。

「あれは、女衒ぜげんの従兄弟のような商いにございます。才とは申せません」

「なるほど。確かに」


 文左衛門は、罰が悪そうに笑った。


「二木様は、妙なお方でございますなあ。年のせいか、思わず言わでもがなを申しました」

「私は、何も」

「では、これも独り言でございます」


 文左衛門は、茶器を置く。


「備前屋さんが商いを始めた当初、色々と噂がございました。頼めば何でも集めてくる。期日までには人だろうが、物だろうが、集められぬものはない。それが、一番の売りものでございました」

 それ自体、おかしいことではない。

「左様でございます。商いを始めた当初は、誰しも手当たり次第、血眼になって儲け話を探すものでしょう。手前も若い時分は、相当なでございました」


 文左衛門の数々の武勇伝は、後世伝説になったほどだ。


「それが、口入くちいれとしてお武家様の商いをするようになってから、ぱたりと悪い噂が消え、あの子猿顔に似合った、あどけないものばかりになったのでございます。これも当たり前といえば当たり前でしょうが、どうも極端過ぎましてな」

 と、間を置く。


「なんと申せばよいのか。頼まれても同じ船には乗りたくない──手前にとっては、そんなお人でございますよ」






 里哉とおふく、そして原賢吾が隅田村の木母寺もくぼじへ着いたのは、丁度午刻ひるどきあたりである。


 木母寺は、この地で非業の死を遂げた貴族の子、梅若丸の菩提を弔うために開かれた天台宗の寺院であった。付近一帯には松林が広がり、隅田川を臨む風光明媚な土地柄は、多くの文人佳人を集めて来た。


 境内には、本堂伽藍のほか梅若丸を祀った梅若山王社、その傍らには見事な枝垂れ桜の大樹が聳え、南側は徳川将軍家の御成御殿や料亭がある。


 三人はまず本堂へお参りし、見かけた壮年の僧侶へそれとなく声をかけた。


 反応は芳しくない。

 萌黄の衣を纏った僧は、里哉が見せた謎掛けの紙をひっくり返し、首を傾げ、「可愛らしい絵でございますね」と戻して寄越した。


 丁寧に礼を言って、ひとまず梅若山王社へと向かう。


「もし、木母寺こちらでなければ、もう一度心当たりを探すまでです」

 おふくも大きく頷く。


 程なく、板柵に囲まれた大きな塚が見えてきた。


「あれが梅若塚だろう」


 天辺にはこじんまりとした社があり、その塚を守るように枝垂れ桜の大樹がゆらりゆらりと枝を揺らしている。花の頃はさぞかし美しい眺めに違いない。


「ここが『隅田川』の舞台なのね」

 おふくは、うっとりと目を閉じる。


 社殿までは、狭い石段が十数段ほどだ。

「そこで、待っていてくれ」

 原賢吾は二人をおいて石段をのぼり、手際よく社殿を確かめていく。小さくて誰かが隠れるほどではないが、十分な念の入れようだ。


「ねえ、里哉さん」

 おふくが小声で囁く。

「原さまって、剣術やっとうの方は大丈夫なのかしら。よろず屋の吉次さんは、すごい遣い手だって言ってたけど」


 さあ、と里哉は首を傾げる。


「倫太郎様が頼んだのですから、たぶん……」

「この間みたいことがあったら、あたし、今度こそおっかさんに殺される」

「私だって、おのれの身ぐらい」

 守れますと言いかけたが、おふくに睨まれ、もごもごと押し黙った。


 悔しい。これではまるで深窓の姫君ではないか。


「あ」


 そのおふくが、突然声を上げた。


「そういえば、『雙生ふたご隅田川』って知ってる?」


 何気ないおふくの一言に、ぎょっとしたのは里哉である。


「なんですか、それ」

「もとは上方の浄瑠璃らしいけど。芝居の出し物って、けっこうお能の『隅田川』を元にしてるのよね」


 里哉は曖昧に頷く。


「そのひとつ。梅若丸には実は二子の弟がいて、それがまず天狗にさらわれちゃって行方不明になって。ええと、もと家来の人買いが誤ってお兄さんの梅若丸を殺しちゃったから、その償いに切腹して天狗になるの。で、さらわれた松王丸を助けようと大暴れするのよ、……確か、そんな筋書」


 里哉の眉間にしわが寄る。


「あの、よくわからないんですけど」

「あたしも、おっかさんから聞いただけだから」


 ともかく、梅若丸には二子の松王丸という弟がいるらしい。

 思わず、二人は顔を見合わせた。


「里哉さん。あたし、なんだか嫌な予感がする」

「……ええ。ただの偶然だとは思いますが」


 その時、塚の上にいた原の姿が見えなくなった。


「里哉さん!」

 おふくは、一段飛ばしで石段を駆け上がる。その後を里哉が追った。


「慌てて、どうした」


 屈んだ原賢吾が、一間四方ほどのこじんまりとした社殿の縁の下を覗いていた。手を伸ばして何かを取ろうとしているが、大兵の原には苦しいようだ。


「悪いが里哉殿、この下に潜って取ってくれないか。守り札かもしれないが」

「何かあるのですか?」


 里哉は屈んで、原の隣りから覗き込む。床板に白い紙のようなものが張り付けていた。


「まだ新しいようですね。取ってきます」

 里哉は両刀を鞘ごと抜き、おふくへ預ける。

「あ、ちょっと待ってください」

 正面に回り、念のため柏手を打ってお詣りをする。


 戻って縁柄を潜って手を伸ばすと、やすやすとは剥がれた。


(やった! これだ!)


 少し厚みのある、折った紙だ。

 里哉はにじり下がると、満面の笑顔で二人に示す。


「見てください! 第六の謎かけです!」


 見慣れた四角に折った紙片。隅には「八二」。早速、軽く糊付けされた封を切る。里哉の目が輝き、おふくは袖で里哉の両刀を抱きしめたまま、原も興味深げに手元を覗き込んだ。


「これは」


 里哉が息を呑んだ。


「里哉さん?」


 隠すように紙片を畳んで、懐へ入れる。


「戻りましょう。早く」

「いったい、どうしたの」

「倫太郎様へお伝えしないと。早く」


 その顔から、血の気が引いていた。





(続く)




 


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