71話 第五の謎謎

「じゃ、あたしの苦労は、無駄だったってわけね」


 篠井里哉から、改めてことの顛末を聞いて、福籠屋のおふくはぷっと頬を膨らませた。


「ご心配をおかけしました」


 二人は、長閑な田舎道を並んで歩いている。

 水戸徳川家の下屋敷も近い小梅村である。深川からは、北へ一刻(約二時間)あまり。これから隅田堤へ抜け、さらに北の隅田村を目指す。


「私がややこしく考え過ぎていたんです。ただの謎謎だということを、肝に銘じます」


 おふくは、やや遠慮がちに言った。


「それにしても音哉さん、なんかひどい」


 里哉が二子であることは、無論、篠井の一党であるおふくは知っている。しかし、音哉と〈閻魔の狐〉との関わりについては、昨日初めて母から聞いた。


「里哉さんと話したいなら、ふつうに会いに来ればいいじゃない。その方が早いのに、なんで」

「さあ」

 里哉こそが知りたい。


「それで、大根の謎掛けはどうして思いついたの」


 里哉は鬢をかいた。

「私と音哉とのことを考えていたのです。『なにゆえ二股なるや』。どうして二股、ふたつに分かれたのか」

 里哉は、言葉を切る。


「元々はひとつだったからです」

「はあ?」


 おふくは、素っ頓狂な声を上げた。


「大根の絵に引っ張られましたが、それ以上、何も浮かびません。一か八か日本橋本町の会所へ寄って──」


 倫太郎を外で待たせ、〈謎謎百万遍〉の会所を覗くと、例の備前屋のお仕着せの男がいた。

 里哉が手持ちの第四の謎謎を示すと、

「では」

 と、男は笑顔で里哉を促した。


「で、もともと一本だからって、その人に言ったわけ?」

「ええ、まあ」

「うそみたい。里哉さんて意外に大胆」

「ただの破れかぶれです。でも、ちゃんとこれを貰いましたから」


 と、五つ目の謎掛けは、畳んだ隅に朱書きで「二八」。開くと、


──さらわれし子。

 そして、梅一輪。季節外れの紅梅がぽてりと描かれていた。


「これも、引っ懸けじゃない?」

「かもしれません。でもまず、素直に考えてみましょう」

「なら、やっぱり『隅田川』よねえ」


 二人が目指しているのは、木母寺もくぼじだ。人買いにかどわかされ、この地で果てた貴族の子、梅若丸の菩提を弔うために開山された。徳川家の庇護も篤く、隅田川沿いの風光明媚な寺領には、三代家光の頃から将軍家の御殿がある。梅若伝説は、歌舞伎を通して町方にも広く馴染んだ物語だった。


「まだ半刻はかかるぞ。おふく殿、疲れないか」

「あら、原様。あたしは大丈夫ですよお」


 おふくは振り返り、臨時の用心棒へ満面の笑みを向けた。

 これが倫太郎の出した条件だった。今日一日、原賢吾が付いてまわる。嫌なら、

──止めなさい。

 滅多にない物言いだった。


 しかも父に呼ばれ、念押しされた。今朝、日本橋通旅籠町の福籠屋へおふくを迎えに行った時だ。目配せするおふくの母、お登勢に付いて行くと奥の座敷に父がいた。余程の大事でなければ、姿を見せぬ父である。一見物柔らかな笑みを浮かべ、一言。


──お前の務めは何だ。

 申し訳ありません──里哉はそう応えるしかなかった。

 




「ようお越し下さいました」


 振り返った老爺は、倫太郎の姿に相好を崩した。

 吹寄障子を開け放した、十畳ほどの座敷である。隅田川より引いた内川と、その対岸に御前栽畑ごせんざいばたけ。連なる松の木立がひときわ美しい。


「素晴らしい」

 倫太郎は、紀伊國屋文左衛門と広縁に並び立った。


「このあたりも、以前は将軍様の御殿があったそうでございます。桜の季節になると、それはそれは美しい眺めでございましてな。当代様(八代吉宗)が町方の行楽にと、隅田堤に桜を植えてくださったのが始まりですが、民の心を掴むのが、なかなかに上手な御方でございますなあ」


 文左衛門は、大黒様のような頭巾を取ると、白く細くなった髷を大事そうに撫でつけた。


 今朝方のことである。

 里哉を見送って四半刻もせず、遣いの男がやってきた。紀伊國屋の隠居所にいた、実直そうな中年の男だ。


 ご足労頂けないでしょうか──倫太郎は促されるまま町駕籠から小舟へ乗り換え、隅田川沿いの料亭「植半」へと上がった。

 偶然にも、里哉が目指す木母寺もくぼじの同じ境内であった。


「先日、家人をお助け頂いた件で、改めて御礼に伺わねばと思っておりましたが、これでは逆ですね」


 文左衛門は、声を立てて笑った。


「ご迷惑でしたかな。老人の無聊を慰めると思し、ぜひお付き合いくださいませ」


 文左衛門は年の割に頬の色艶もよく、身のこなしも軽い。


 座敷の設えは三席だ。仲居らの配膳が終わると、文左衛門は倫太郎を座につかせ、盃に酒を満たした。


「大分前に商いを息子に譲ってから、とんと世間に無頓着になりましてな。篠井様より〈謎謎百万遍〉の一件をお聞きして、なかなかに面白い手遊びと感じ入っておりました」


 と、女将らしき女が「ごめんくださいまし」と襖戸を開けた。


「お客様がお着きでございます。お通ししてもよろしゅうございますか」

「はい、ご案内してくださいよ」


 ほどなく軽い足音とともに、ひとりの町人が現れた。腰の低い、小柄な姿だ。年の頃は四十ほどか。紀伊國屋文左衛門と親しげに挨拶を交わし、倫太郎へ黙礼を返した。


「ご紹介致しましょう。こちらが備前屋さんでございます」


 どこか猿めいた面立ちの男は、倫太郎へ手をついて深く、慇懃に頭を下げた。


「備前屋さん、こちらはさるお旗本の若殿様なのですが、是非とも徳右衛門さんの話を聞きたいと、こう申されましてな」


 倫太郎は、にこりと笑った。

「故あって名乗れませんが、名無しの権兵衛でもよろしいか」


 備前屋は、さらに慇懃に頭を下げた。


「無論でございます。紀伊國屋さんのご紹介でもございます。何なりとお尋ね下さいませ」


 上げた面に浮かべた笑みは無邪気で、小猿のように愛嬌がある。


 妙な男だ──倫太郎は思った。どこがどうとは言えないが、何かおのれのなかで障るものがある。

 鬢は半ば白くなり笑い皺で埋まった顔は、小猿ではなく狒々のようだと思う。


「改めまして、手前が備前屋徳右衛門でございます」





(続く)







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