63話 待乳山聖天

「里哉さん、見つけた!」


 おふくが飛び込んで来た。夏場は洗って必ず干せ──女医者からのお達しで、朝餉の洗いものに出ようとした時だ。

 飛び込んできた明るい色に目を奪われながら、里哉は桶を抱えてくるりと身を躱した。


「いきなり、危ないじゃないですか!」

「あら、ごめんなさい」


 今日のおふくは、麻地に波が散ったような涼しげな小袖に、紅色もあざやかな帯を締めている。里哉の腕の中の桶に目を丸くする。


「見つけたって何をだい、おふくさん」

 着流し姿の二木倫太郎は、箒を手に座敷を掃き出していた。


「もちろん、大根です。二股大根。今度こそです!」

 里哉は桶を置き、大きなため息をついた。


、ですか」


 いつになく刺々しい。おふくも倫太郎へ向けた笑顔を引っ込めた。


、とはなによ」

、だからです。あちこちで二股大根を見つけては知らせてくださるのは有り難いのですが、結局、ただの大根じゃないですか」


 里哉は鼈甲縁の丸眼鏡指先で直し、胸を反らせて見下ろそうとする。


「いいですか。私は、を探しているわけではありません」


 おふくの眉がきりりと上がる。

「じゃ、里哉さん。なにか分かったのね」

 里哉は、言い返そうと鼻腔を膨らます。そこへ「まあまあ」と倫太郎が割って入った。


「それで、今度はどこなんだい?」

「霊岸島の南新堀にある青物屋(八百屋)です。お千さんの店に、見事な二股大根があるって」

「いつも、よく調べてくるね」

「ご近所のみなさんが教えてくれるんです。今回は真慧しんねさんからの話なですけれど、そりゃあ見事な二股で、お千さんは、と名付けて、見料を三文とって稼いでるって」

「念のため行ってみたらどうかい。お里」


 倫太郎に勧められては、否とは言えない。


「……はい。これが済んだら行ってきます」

 おふくは、「ふん」とばかりに腰に手を当てた。


 里哉はそのまま桶を抱え、とぼとぼと東の井戸へ向かった。


 恥ずかしかった。第四の謎掛けの糸口が掴めずに、ついおふくに当たってしまったのだ。最近は知らないご近所までが声を掛けてきて、「頑張れ」と後押ししてくれる。有り難いのだが、一方で期待に目を輝かせて「調子はどうか」と聞かれると、「まだだ」と返すのが結構つらい。


 里哉は釣瓶つるべを繰った。掘り抜き井戸は、海が近いせいかわずかに塩っ辛い。


「里哉さん」

 おふくが付いてきているのは分かっていた。手を拭き、頭を下げる。

「すみません。つい、苛々して」

「どいて」


 井戸端から里哉を退かせると、手早く椀や箸を洗って手拭いで拭いた。桶ごと渡す。


「あたし、しょっちゅうおっかさんと喧嘩してるから、ついそんな感じになっちゃうんだけど、怒ってなんかいないから」


 おふくなりの仲直りの申し出らしい。

「ありがとう。では考えを整理したいので、一寸手伝ってもらえませんか」

 おふくは、いつものお天道様のような笑顔になった。





 長屋の裏手に大きな桜がある。畑地の真ん中だ。花六軒の謂れとなった木陰の下で、ふたりは第四の謎謎、二股大根の画を広げていた。


 墨一色の見事な野菜画。その脇にたった一行。

「なにゆえ二股なるや──これが糸口だとは思うですが、どうして二股になるのかと問われても……」

「二股大根っていえば、大黒様や聖天様へのお供え物よね。ものすごく珍しいってわけじゃないし、三股とかもっとすごいのも見たことがある」

「ならば、根割れしていることが重要なのではなく、『二股』が大事ということでしょうか」


 手元の書付に、里哉は幾度目かもわからぬ「ふたまた」と仮名で記す。


「なので、『二股』についても調べてみました。例えば、霊力の高い野孤やこなどは、尾が幾つにも分かたれるものがあるとか」

って?」

「悪さをする狐の妖しです」

「え?」


 一瞬、おふくが身を引いた。里哉は気づかず腕を組んで思索に入る。


「これまでの謎謎が、商家に関わるものでしたので、ついそちらから考えていました。でも、もしかしたら、今回はまったく異なる謎掛けなのかもしれません。実際、大根を商う青物問屋を〈謎謎百万遍〉の講元一覧で確認しましたが、これといった店は見あたらないのです。二股大根に有名な産地もないようですし、絵解きや文字を入れ替えても分からなくて。夕べなど、歩く二股大根が夢にまで出てくる始末です」


 ぷっと、おふくが吹き出した。里哉も苦笑する。


「おふく殿。二股大根といえば、まず何を思い浮かべますか」

「浅草待乳山まつちやまの聖天様」

「すばらしい眺望ながめだそうですね」


 聖天様とは十一面観世音菩薩の化身であり、大聖歓喜大自在天だいしょうかんぎだいじざいてんとして仏法の慈悲と神の威徳とを兼ね備えた天尊だ。身体健全、夫婦和合、商売繁昌のご利益で崇敬を集め、なかでも待乳山聖天は一千年以上の歴史がある。


「山谷堀から吉原への通り道。こんもり小高くなっていて、本堂あたりから見下ろす隅田川の眺めはとてもきれいなの。参道には掛け茶屋もあるし、桜の頃には大変な人出になって、あたしも小さい頃に連れってってもらったことがあるけど、すごくいい眺め」

「私も二股大根といえば、大黒天や歓喜天を思い浮かべます。なので、江戸市中の大黒様や聖天様を祀る寺社を巡ろうかと、昨日から思い始めたところなんです」


 しかし、里哉はこの春、紀州から出府したばかりだ。


「それで、まだまだ江戸には不案内なので手伝ってもらえませんか」

 おふくは、何度も頷いた。

「あったりまえじゃない。あたし達の〈謎謎百万遍〉でしょう?」

「私達」

 里哉は、微妙な顔付きになる。

「まだこだわっているの? 十両、全部ちょうだいなんて言わないから、安心してよ」

「実は、私が欲しいものは金子ではないので、値の張るものは……」

「そうなの」


 おふくは、少しがっかりしたようだ。


「それよりも、福籠屋の手伝いはよいのですか。お登勢殿に断りを入れた方がよければ私から改めて」


 おふくは、ぶんぶんと首を振った。


「大丈夫。おっかさんも、福籠屋こっちはいいから、里哉を手伝っておやりって」


 話は決まった。

 明日の朝、まず二人で浅草の待乳山まつちやま聖天を詣でる。一番有名な寺社だから、なにか手掛かりがあるはずだ。





 その日の午後、里哉は真慧しんねの紹介だという霊岸島の南新堀へ行った。お千婆さん青物屋で、見事な「おひろいだいこん」を念入りに見物した。しかし、どれだけ見ても考えても妙案は浮かばない。


(明日からが勝負)


 期日は七月一杯。すでに二十日となっていた。




(続く)




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