59話 第三の謎謎
女将はお登勢。娘はおふく。店を切り盛りする大きな女と、下男、女中が数人。客筋は、主に日光街道を往来する商人や、国許と江戸を行き来する軽輩の侍だ。店先で福の字と
篠井
「いらっしゃいまし、里哉様」
麦湯を持ったお登勢の気配に、ふたりは驚いて顔を上げた。
「おっかさん、入る時には声をかけてよ」
余程こんをつめていたのか、額には汗が浮かんでいる。
「お登勢殿、ご無沙汰しております」
里哉は目礼を返した。
実はこの福籠屋、里哉の父、篠井児次郎支配の忍び宿であった。
事情は、少々複雑だ。
かつて福籠屋は、紀州徳川家の忍び、
お登勢の福籠屋は、その江戸篠井の
「いくつ目の謎解きなんですか。この
「いちいち、うるさいんだから」
「あんたのこと心配してるんでしょう。里哉様が関わってらっしゃるんだし」
お登勢にとって、里哉は主筋のようなものだ。
ふたりの手許をのぞきこみ、首を傾げてふうともへえともつかぬ声をたてた。
「見ないでよ、おっかさん!」
書き散らした手控えを閉じる。
「見たって、減るもんじゃないでしょう」
「減るわよ! 麦湯、あ・り・が・と!」
あっちへ行けと言わんばかりだ。
──親子だなあ。
人ごとには、冷静な里哉である。
「よかったら、お登勢殿も一緒に考えてください」
「里哉さん!」
「おふく! 里哉様でしょう!」
「さんでも様でもなんでもいいです。坊だけはやめてください」
「
「知りません!」
「真慧さんなら、仕方ないわね」
「どうしてなの、おっかさん」
「いいから! 本題は謎解きです!」
里哉はふたりの前へ、改めて三つ目の謎謎を広げた。
折った紙の外には、朱書きで「八二」。広げると丁度半紙の大きさ。ここまでは変わらない。
二つ目は、数字を以呂波へ置き換える暗号だった。今回は真ん中に一行。細々とした絵が描かれている。さらにその前に流れるような達筆でひと言。
──あはれなり
「なにが哀れなのかしら」
「絵解きなら、おまえも得意でしょう?」
「そりゃ、好きだけど」
うーん、とうなる。
昨今江戸では、謎解きが大流行りだ。
きっかけは、享保七年(一七二二)に南北町奉行の名で発布された御触書にある。摺物は作者、版元の明記が必須となり、極度に猥雑な好色本は絶版。徳川家に関するものは禁じられ、その後の法令の元となったものだ。
無論、縛られれば、かい潜りたくなるのが人情だ。そんな
「これ、なに?」
おふくが指したのは、褌一本の屈強な男だ。それが大きく足を広げ、逆さ立ちしている。
次は大工道具の金釘。それもまた、頭を下に尖った先を上に向けていた。
「……たぶん、ま、股と釘だと思います」
「うーん」
おふくは紙を取り上げて、じーっと見入る。
「また、と、くぎね。逆立ちしてるから、たまときくかしら」
「そうねえ。たぶん」
「たまときくですね」
里哉は別の紙に、たま、きく、と書く。
「次は茄子の上半分と、これ、虎?」
おふくの指先で、虎らしき上半身のない獣が、するりと縞の尾を伸ばしている。さらに次は軍鶏いうか、鶏の脚というか。
「なすと、とらと、しゃも?」
「な、ら、も、ですか」
「里哉さんも考えてよ!」
「考えてます!」
そんなこんなで、額を突き合わせた文殊の知恵をかき集め、午すぎにはどうにかこうにか絵解きを置き換えた。
「た、ま、き、く、な、ら、も、ま、ん、し、や、か、と、う、ふ、し。……なにこれ」
おふくは書き出した以呂波を、鋏で切り分けた。あれやこれやと組み合わせて、眉を寄せる。
「どうやって並べるのよ?!」
お腹すいたと放り出し、台所へと立つ。
生返事をしながら、里哉は最初の一行を指す。
「『あわれなり』、これに捻りはありません。なので、このまま組み替えずに素直に読んでみたらどうでしょう」
「たまきくならもまんしやかとうふし」
お登勢は声に出し、考えをめぐらせる。目を閉じ、眉間にしわ寄せ、何度も呟いた。
「ああ、もしかしたら」
と膝を打ったのは、おふくが茹で上がったそうめんを持って戻った時である。
お登勢は筆をとると、仮名を区切る線を入れ、横に書き足す。
たまきく 玉菊
ならも 奈良茂
まんしや 万字屋
かとうふし 河東節
「これは何ですか」
名高い材木商であった奈良茂をのぞき、あと三つがわからない。
「玉菊さんは吉原の有名な太夫さんですよ」
「ああ、なるほど」
里哉は、心なしか頬を赤らめ、播州そうめんをすすった。
「奈良茂は、ご存知のとおり奈良屋さん。万字屋は玉菊さんのいた吉原角町の見世。河東節は玉菊さんが得手の江戸浄瑠璃」
「それってどういう関わりなの、おっかさん」
お登勢は、椀と箸を置いた。
「五年ほど前、
おふくは、それが豪勢なのかよくわからない。浄瑠璃を鳴らしても、お灸はお灸だ。
「あたし、聞いたことない」
「当たり前でしょう。十やそこらの子供に、そんな
「で、おっかさん、その玉菊さん。奈良茂さんに
奈良茂は、かの紀伊國屋文左衛門と豪と贅を競った材木商だ。玉菊の馴染みは、莫大な富を受け継いだその息子である
「実はその若いご当主は、昨年お亡くなりになってね。聞いたところによると、玉菊さんも病をぶり返して、今年の春に亡くなったそうだよ」
一番の贔屓筋を失った玉菊の死は哀れなものであったらしい。遊女の盛りは短い。齢二十五であった。
「つまり、こうですね。『哀れなり、玉菊、奈良茂、万字屋、河東節』」
三人は頷き合う。
「しかし前回と同様、これが一体なにを指すというのでしょうか」
玉菊を抱えていた吉原の中万字屋か、玉菊の得意な河東節のお師匠さんでも関わりあるのか、代がわりした奈良屋か、はたまた思いもつかぬような趣向が隠されているのか。
前回、糸口をくれたのはおふくだった。しかし、廓となるもそうはいかない。
蛇の道は蛇。おのれの手に余れば人に訊け──学問を進める中で、里哉が学んできたことだ。
「詳しいひとに心当たりがあります」
里哉は、箸と椀をきれいに揃えて置いた。
(続く)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます