59話 第三の謎謎

 福籠屋ふくろうやは、日本橋通旅籠とおりはたご町にあるこじんまりとした宿だ。大店が立ち並ぶ日光街道沿いから一本入った、落ち着いた界隈にある。


 女将はお登勢。娘はおふく。店を切り盛りする大きな女と、下男、女中が数人。客筋は、主に日光街道を往来する商人や、国許と江戸を行き来する軽輩の侍だ。店先で福の字とふくろうをひねった長暖簾が下がり、時折吹く夏風に涼しげに揺れていた。


 篠井里哉さとやとおふくがいるのは、その福籠屋の一階、八畳ほどの座敷であった。楓とつくばいの坪庭に面し、夏のしつらえはいかにも涼しげだ。簾戸しどを立てて蚊遣りを焚いたなか、ふたりは頭を突き合わせ、唸っていた。


「いらっしゃいまし、里哉様」


 麦湯を持ったお登勢の気配に、ふたりは驚いて顔を上げた。

「おっかさん、入る時には声をかけてよ」

 余程こんをつめていたのか、額には汗が浮かんでいる。

「お登勢殿、ご無沙汰しております」

 里哉は目礼を返した。


 実はこの福籠屋、里哉の父、篠井児次郎支配の忍び宿であった。


 事情は、少々複雑だ。

 かつて福籠屋は、紀州徳川家の忍び、薬込役くすりごめやくの江戸における拠点のひとつであった。しかし藩主吉宗が将軍家を相続することになり、一部の薬込役は吉宗と共に江戸表へと下ったのだ。その多くが御庭番となり、隠密として働く一方、ある一部は児次郎の配下となって、さらに他聞を憚る下命を受けていた。

 お登勢の福籠屋は、その江戸篠井の連絡つなぎ宿だった。


「いくつ目の謎解きなんですか。このったら、まったく教えてくれないので、こうしてお訪ねくだすって、ほんとうにありがたいんですよ」

「いちいち、うるさいんだから」

「あんたのこと心配してるんでしょう。里哉様が関わってらっしゃるんだし」


 お登勢にとって、里哉は主筋のようなものだ。

 ふたりの手許をのぞきこみ、首を傾げてふうともへえともつかぬ声をたてた。


「見ないでよ、おっかさん!」

 書き散らした手控えを閉じる。

「見たって、減るもんじゃないでしょう」

「減るわよ! 麦湯、あ・り・が・と!」

 あっちへ行けと言わんばかりだ。


──親子だなあ。

 人ごとには、冷静な里哉である。


「よかったら、お登勢殿も一緒に考えてください」

「里哉さん!」

「おふく! 里哉でしょう!」

でもでもなんでもいいです。だけはやめてください」

真慧しんねさんて、いつも『お里坊』って言うけど、どうして?」

「知りません!」

「真慧さんなら、仕方ないわね」

「どうしてなの、おっかさん」

「いいから! 本題は謎解きです!」


 里哉はふたりの前へ、改めて三つ目の謎謎を広げた。


 折った紙の外には、朱書きで「八二」。広げると丁度半紙の大きさ。ここまでは変わらない。


 二つ目は、数字を以呂波へ置き換える暗号だった。今回は真ん中に一行。細々とした絵が描かれている。さらにその前に流れるような達筆でひと言。


──あはれなり


「なにが哀れなのかしら」

「絵解きなら、おまえも得意でしょう?」

「そりゃ、好きだけど」

 うーん、とうなる。


 昨今江戸では、謎解きが大流行りだ。

 きっかけは、享保七年(一七二二)に南北町奉行の名で発布された御触書にある。摺物は作者、版元の明記が必須となり、極度に猥雑な好色本は絶版。徳川家に関するものは禁じられ、その後の法令の元となったものだ。


 無論、縛られれば、かい潜りたくなるのが人情だ。そんないたちごっこの一方で、絵解き、謎掛け、言葉遊びなど、安価な刷物が大量に出回り、絶版本の代わりに版元よ店先に並ぶようになった。


「これ、なに?」

 おふくが指したのは、褌一本の屈強な男だ。それが大きく足を広げ、逆さ立ちしている。

 次は大工道具の金釘。それもまた、頭を下に尖った先を上に向けていた。


「……たぶん、ま、股と釘だと思います」

「うーん」

 おふくは紙を取り上げて、じーっと見入る。


「また、と、くぎね。逆立ちしてるから、かしら」

「そうねえ。たぶん」

「たまときくですね」

 里哉は別の紙に、たま、きく、と書く。


「次は茄子の上半分と、これ、虎?」

 おふくの指先で、虎らしき上半身のない獣が、するりと縞の尾を伸ばしている。さらに次は軍鶏いうか、鶏の脚というか。


すと、とと、しゃ?」

「な、ら、も、ですか」

「里哉さんも考えてよ!」

「考えてます!」


 そんなこんなで、額を突き合わせた文殊の知恵をかき集め、午すぎにはどうにかこうにか絵解きを置き換えた。


「た、ま、き、く、な、ら、も、ま、ん、し、や、か、と、う、ふ、し。……なにこれ」


 おふくは書き出した以呂波を、鋏で切り分けた。あれやこれやと組み合わせて、眉を寄せる。

「どうやって並べるのよ?!」

 お腹すいたと放り出し、台所へと立つ。

 生返事をしながら、里哉は最初の一行を指す。


「『あわれなり』、これに捻りはありません。なので、このまま組み替えずに素直に読んでみたらどうでしょう」


「たまきくならもまんしやかとうふし」

 お登勢は声に出し、考えをめぐらせる。目を閉じ、眉間にしわ寄せ、何度も呟いた。


「ああ、もしかしたら」

 と膝を打ったのは、おふくが茹で上がったそうめんを持って戻った時である。

 お登勢は筆をとると、仮名を区切る線を入れ、横に書き足す。


 たまきく  玉菊

 ならも   奈良茂

 まんしや  万字屋

 かとうふし 河東節


「これは何ですか」

 名高い材木商であった奈良茂をのぞき、あと三つがわからない。


「玉菊さんは吉原の有名な太夫さんですよ」

「ああ、なるほど」

 里哉は、心なしか頬を赤らめ、播州そうめんをすすった。


「奈良茂は、ご存知のとおり奈良屋さん。万字屋は玉菊さんのいた吉原角町の見世。河東節は玉菊さんが得手の江戸浄瑠璃」

「それってどういう関わりなの、おっかさん」


 お登勢は、椀と箸を置いた。

「五年ほど前、瓦版よみうりで評判になった話があるんだよ。吉原なかの玉菊太夫が大酒飲みから病を得てね、馴染みの奈良茂が金に糸目をつけず、中万字屋を総揚げしたうえ、太夫の望みどおり河東節を聞きながら治療にお灸を据えたって。そんな豪勢な話なのさ」


 おふくは、それが豪勢なのかよくわからない。浄瑠璃を鳴らしても、お灸はお灸だ。

「あたし、聞いたことない」

「当たり前でしょう。十やそこらの子供に、そんな瓦版よみうり見せません」

「で、おっかさん、その玉菊さん。奈良茂さんに落籍ひかされたの?」


 奈良茂は、かの紀伊國屋文左衛門と豪と贅を競った材木商だ。玉菊の馴染みは、莫大な富を受け継いだその息子である


「実はその若いご当主は、昨年お亡くなりになってね。聞いたところによると、玉菊さんも病をぶり返して、今年の春に亡くなったそうだよ」


 一番の贔屓筋を失った玉菊の死は哀れなものであったらしい。遊女の盛りは短い。齢二十五であった。


「つまり、こうですね。『哀れなり、玉菊、奈良茂、万字屋、河東節』」


 三人は頷き合う。

「しかし前回と同様、これが一体なにを指すというのでしょうか」


 玉菊を抱えていた吉原の中万字屋か、玉菊の得意な河東節のお師匠さんでも関わりあるのか、代がわりした奈良屋か、はたまた思いもつかぬような趣向が隠されているのか。


 前回、糸口をくれたのはおふくだった。しかし、廓となるもそうはいかない。


 蛇の道は蛇。おのれの手に余れば人に訊け──学問を進める中で、里哉が学んできたことだ。


「詳しいひとに心当たりがあります」


 里哉は、箸と椀をきれいに揃えて置いた。




(続く)





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