58話 すれ違う思惑

 一昨日のことだ。

 あれから原賢吾は、端切れ屋の藤助ふじすけを追って、富岡八幡宮の参道を下っていた。


 藤助は小商人こあきんどらしく、腰が低く、一見感じの良い男だった。

 このが触った。加えて、あの足運び。連雀を背負い、腰を落として滑るように歩む。


(武芸を修めたか)


 無論、勘である。しかし、この勘が厄介だった。難を嗅ぎ分け、遠ざけるどころか引き寄せる。なるべく面倒に関わらないようにしてきたが、やって来るものを拒めぬこともある。


 藤助の背は、ごった返す参詣客をよけながら、すいすい参道を進んで行く。一ノ鳥居をくぐり、まっすぐ西へ。黒江町の八幡橋を渡ると思いきや、手前を右手に折れた。水路沿いをまわり西念寺横丁へと行く戻り道だ。


 賢吾は引き返し、先回りをした。出会でくわした時は、どうとでも答えればよい。

 水路沿いのゆるく湾曲した道を行くと、すぐに藤助が折れた角が見えた。


──いない。

(どこへ行った)


「原様! こちらです!」


 下方から声がした。

 荷運びの小舟に乗って、手を振っていた。南へ、越中島の方へと下っていく。船頭がひとり、を操っていた。

 藤助は、その船頭へ何事かをささやき、次に賢吾へ向かって丁寧に頭を下げた。


「また、お会いしましょう! サトさんによろしくお伝えください!」


 そうして、大きく手を振る。

 賢吾は呆気にとられ、見送るばかりであった。





「それは妙ですね」

 妙だと言いつつも、二木ふたき倫太郎は喉で笑った。なんとも人を食った話だ。


 賢吾から聞いたのは翌々日。里哉の外出を見計らって訪ねて来た。


「あの藤助という男、ただの町人とは思えません」

「では、何者でしょう」

 賢吾は考え込んだ。

「よくわかりませんが、あの身のこなしは盗賊か、もしくは……」

 とでも言い出しそうだ。

「それは剣呑けんのんですね」

 倫太郎は、軽く受け流した。


「その後、藤助さんが戻った様子はありますか」

「店は閉めたままで、人の気配はありません」

 なにやら曰くはありそうだが、差し迫ったものでもなさそうだ。

「とりあえず、放っておきましょう」

「よろしいのですか」

「また、と言うのであれば戻って来るつもりでしょうし、お里に危害を加える様子がないなら問題ありません。ひとまず様子を見てみましょう。町廻りの堤さんにも一声かけておきますので、それでどうでしょうか」


 賢吾は一つ一つ肯き、

「御意の通りに」

 とかしこまる。

 倫太郎は、くるりと目を回した。


 原賢吾の態度が改まったのは、先般の「朱厭しゅえんの掛軸」をめぐる事件の直後であった。

 長屋へ帰ると座敷に平伏して、「身命を賭して守る」と言いだしたのだ。

 面食らって事情を尋ねると、里哉の父、篠井児次郎から倫太郎の警護を依頼されたのだと言う。


 無論、一切聞いていない。

 相応の代金を得ているのだから、好きに使えと賢吾はいうのが、はいそうですかというものでもない。


(第一、篠井の叔父御おじごは、私のことをどのように伝えているのだ)


 さらに、何無なんとはなしに、里哉へも言いあぐねていた。


 里哉は、倫太郎の侍者だ。倫太郎を本気で護ろうと思っている。武芸はだが、里哉には里哉なりの自負がある。

(蔑ろにされていると思うかもしれない)

 そろそろ誰かに、事情を確かめる頃合いだった。


「では、この一件はこれで。また、何かあれば改めてお願いします」

 これから外出すると言うと、原賢吾は当然のように「お供いたします」と言う。


「里哉殿が他出しておいでのようですので、代わりに私が参りましょう」

「お里は、おふくさんの実家です。例の謎解きの続きとかで」

「それでは尚更」

「無用です」


 幾分煩わしく思い、倫太郎は大刀を取って履物に足を落とした。

「いってらっしゃいませ」

 丁寧に送り出されながら、聞こえぬほどのため息をいた。





 大源寺は、福島橋に近い浄土宗の寺である。

 さほど広くもない寺領に、こじんまりとした本堂と庫裏くりがあり、近隣では唐渡りの梅、蝋梅ろうばいの寺として知られていた。これが、花六軒長屋の大家である。


 大源寺の住持は、良徳と言う。小柄な坊主で、年の割にはよく動く。半ば歯の抜けた口をもぐもぐさせながら、今日も自慢の梅の庭にうずくまり、溝を掘っては油粕あぶらかすを撒いていた。


「御坊」


 背後から近づく気配に、良徳はやれやれと独りごちた。手を擦り、裾をはたき、掛け声をかけて立ち上がる。


「お邪魔でしたか」

「ああ、二木様」


 倫太郎はにこにこと笑みながら、良徳の横に立って繁る梅の木を見上げる。その倫太郎の肩ほどに、良徳の頭のてっぺんがあった。


「花が咲くのは、確か寒くなってと覚えておりますが」

「左様。来年の正月には咲いておりましょう。毎年、梅見を致すでな。ぜひ、寄ってくだされれ」

「必ず」


 良徳は、倫太郎へ座敷へ上がるよう手招いた。





「そろそろ参られる頃かと思うておりました」

「やはり、ご存知でしたか」


 良徳は湯を供すると盆を脇へ置き、倫太郎の横へ座った。

 小さな中庭に面した縁である。座敷を抜けてくる風が、思いのほか気持ちよい。二人で熱い白湯をすすりながら、しばらく無言でいた。


「児次郎殿は、少々せっかちなところがあっての」

 良徳は、そう切り出した。

「ひっくり返せば苦労性なのであろう。まあ、あの一族に生まれて、心やすまる時はあるまいて」

「以前よりお尋ねしようと思っていたのですが、御坊はどのようなお方ですか」

 良徳は、ゆったりと笑んだ。

「直截にお尋ねになりますな」

 倫太郎も、穏やかに笑み返す。

「田舎育ちゆえ、不調法いたします」

 と、

「もしや、御坊も」

「そうではない」

 老僧は即座に言い、おのれの皺だらけ顔をつるりと撫でた。

「拙僧は、二木様のご縁戚ではありませぬ。しかし、母御と児次郎殿のことはよう知っておりました」

「では、原賢吾殿はどのような素性の者ですか。叔父上は、なぜ原殿を私の警護役に雇われたのです」


 長屋の面々は、倫太郎に所縁ゆかりのある人物ばかりである。新たな住人を連れてくるのは良徳だ。つまり、原賢吾がどのような出自の人物で、なにゆえ花六軒長屋に住っているのか、良徳が知らぬわけがない。

 良徳は白湯飲み干すと、意外なことを口にした。


「音哉殿が、姿を現したそうですな」

 

 音哉とは、里哉の二子の弟である。

 数年前に養家を出奔したあと、行方知れずになっていた。それが先日、思わぬ姿で再会したのだ。

 

 神田に妻戀稲荷という稲荷社がある。そこの絵馬に願掛けすると、〈閻魔の狐〉が恨みつらみを晴らしてくれるという。

 評判の義賊はある母娘を拐い、小塚原に倫太郎を呼び出した。狐面の男は面を取ると、里哉そっくりの顔を露わにした。


「何故、それを」

「児次郎殿が案じているのは、二木様の御身ではないかもしれませんぞ」

「では」

 良徳は頷いた。

「音哉が、里哉を害するとは思えません」

「拙僧もそう思うのだが」


 中庭の真ん中には古井戸の木組みだけが残っている。すでに埋めた井戸ではあるが、不思議と見ていると涼しさがあった。


「二子は互いの心情がわかるとか」

「恐らくは」

 確かに、幼い頃から言葉を交わさずとも、互いの気持ちを分かり合っていた。


「里哉殿は、至極気持ちのやさしいお方ですな」

 倫太郎の頬から笑みが消えた。

「互いの心がわかり、大事に思うがゆえに、やむなく道を踏み外す。そんなことはあり得ますかな」

 倫太郎は、「ない」と言い切れなかった。幼い頃からあの兄弟を知るからこそ、言い切れない。


「児次郎殿は、父御ててごとして、それを案じておられるのではなかろうか」


 拙僧の勘ぐりだとよいがの──良徳はそう言って、倫太郎を残し庭へと戻って行った。







(続く)





 


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