53話 第一の謎謎
暮れ六ツより少し前に、篠井里哉はようやく先頭にたどり着いた。おのれのあとに、まだ多くの人々が列を成している。
「はい、今日はここまでです!」
お仕着せの小僧が、里哉のちょうど三人後ろで声を張り上げた。
「ええっ、もうかい」
「もうちっと、平気だろう」
「あたし、遠くから来たのよ!」
あちこちで文句が上がるのへ、同じお仕着せの年長の男が駆けつけ、声を張り上げた。
「札を配ります! これを持って、明日の明け五ツまで(午前八時頃)に来てください! お見えになった皆さまを先に受け付けいたします!」
紙札を配り始めると、次第に不平も静かになって、三々五々と散り始めた。
日暮れて、ようやく風も涼しくなった頃、やっと声がかかった。
「次のおかた!」
「はい!」
列の先は、よくある町会所である。大店が多い界隈のことで、きちんと掃き清められ、中にいる男たちはきびきびと気持ちがよい。
通りに面した腰高障子は開けっ放しで、なかには文机が五つほど並ぶ。それぞれにお仕着せの若い男が座り、帳面と色刷りの紙を広げていた。机と机との間は少し離れて、互いの声が届かぬようになっている。
「それではお武家様、まずはお名前とお住まいをお願いいたします」
二十歳前後の男は、すっかり疲れ切った顔で、それでも里哉へにっこり笑いかけた。お仕着せの衿に、備前屋とある。
「はい。篠井里哉と申します。住居は深川門前町一丁目の花六軒長屋です」
「はい、はなろっけんながやの、しのい、さとや様、ですね」
「さとやのやの字は、也ではなくて哉でお願いします」
「はい、哉と」
なかなかの達筆だ。
「ええと、まず掛金をお預かりできますでしょうか」
里哉が百文渡すと、代わりに簡単な受取証文を渡してくれる。
「では、次にここへお名前をお書きください」
出てきたのは列に並んでいた時に渡された、三つの約束が刷られた紙だ。
「大変ですねえ」
「いやあもう、十両ということで間違いがあってはいけませんので。皆さまにきちんとご理解いただくことが、無尽講をお願いする手前どもの責と思っております」
十両盗めば死罪、それほどの大金なのだ。
次に出てきたのが、一枚の奇妙な絵だった。これも大判の色刷りの摺物で、真んに東西南北、周りには細かい絵が書き入れてあり、道やら橋やらと図面のような、双六のような。
「なんですか、これ」
「これが一番目の謎、になります」
「これが、ですか?」
「はい。その前にに、まず改めて今回の〈謎謎百万遍〉についてご説明いたします」
眼鏡を上げて、里哉は背筋を伸ばした。
「皆さまには、これから八つの謎謎に挑んでいただきます。まず一番目の謎謎は、本日こちらでお出しいたします。当たれば次の、二番目の謎謎の紙をお渡ししてお解きいただき、解けたらばそれが三番目の謎へとつながる趣向となっております。そうして順番に解いていただき、最後の八番目の謎が解けたらば、その答えをもってこちらの会所をお訪ねください」
「では、もし一番目の謎謎がわからなかったら」
「はい、そこまでになります。掛金はありがたく頂戴いたし、〈謎謎百万遍〉が終了次第、寺社へ寄進させていただきます。もし講衆へのご参加をおやめになりたい場合、いまお申し出くださいませ。百文は全額お返しいたします」
「えっと、期限があると読みましたが」
「はい。この七月末までとなります」
もう、ひと月もない。
里哉は大きく頷いた。
「わかりました。ぜひ、お願いいたします」
男はにっこり笑い、目の前の摺物から、ひとつの絵を指した。
「第一の謎です。これはなんでしょう」
「これ?」
里哉は顔を近づけた。細かい絵だ。指差しているのは、橋がかかった間に小判が一枚。それから丸い白黒のぶつぶつしたものが、
「ひい、ふう、み」
九つ。
(なんだ、これ?!)
「これはなんでしょうか。お答えください」
「ち、ちょっと待ってください」
隣でうめき声がする。その奥からも。振り向こうとすると、やんわり止められた。
「さあ、これはなんでしょう」
里哉は首をひねった。落ち着けとおのれに言い聞かせ、もう一度よく見る。
大判の色刷りの紙に、東西南北。そこから道のようなものが四方八方へ続き、紙面が細かく区分けされている。その道と道の間に橋があったり、川が流れていたり。
(方位、道、川……)
「あ」
顔を上げた里哉に、男はにっこりと笑顔になった。
「小声でお願いします」
「あの、一両小判と碁石が九つ。つまり、りょう、ご、くですね」
「おめでとうございます」
やはり小声で告げられて、里哉は割印がされた畳んだ紙を渡された。端の方に八二と数が書いてある。
「これをお持ちください。今日は遅いので、もうお帰りになった方がよろしいかと存じます。明日より、またぜひ次の謎謎に挑んでくださいませ」
「はい、ありがとうございます」
一つ向こうで肩を落としているのは、一緒に並んでいた老婆だ。
里哉は声をかけずに、そっと会所を出た。
風が気持ちよかった。足元から影が東へ伸びている。西の空は、今日も真っ赤な夕焼けだった。
(明日も暑そうだなあ)
丁度、暮れ六ツの時の鐘が鳴り始めた。
里哉は、懐の二番目の謎謎を押さえ、足早に深川目指して帰宅の途に着いた。
(続く)
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