54話 鼬〈いたち〉 集まりて

「本当に、もう、すごいんです!」


 篠井里哉は、興奮冷めやらぬ口調でまくしたてた。受け取った椀から汁がこぼれそうになって、真慧しんねは器用に取り上げた。


「はいはい、まず、これを片付けてからにしような」


 深川門前町一丁目の花六軒長屋である。時はすでに戌の下刻(午後九時ごろ)をまわり、裏手の菜葉畑から気持ちのよい風が吹き抜けていく。


「でも、なんで皆さん、うちにいるのですか」

 真慧はさらに鍋の中身をよそって、里哉へ渡した。


「おまえの帰りが遅くてな。倫太郎がやけに心配するもんで、ま、居る奴で夕涼みがてら待とうじゃねえかと」

「夕涼み、ですか」


 ほかの棟長屋より余裕がある造作とはいえ、には、ひとの数が多すぎる。


 北の畑に面した縁側で、二木倫太郎と原賢吾が差し向かいで酒を傾け、奥の座敷には、女医者の佐々凛と福籠屋のおふくがなにやら内緒話をしている。坊主の真慧といえば、今日も賄い大将よろしく、へっつい前で汗を拭きながら鍋をかきまわしているし、その横で椀と箸を持って嬉しそうに待っているのは、左隣に住む八卦見かつ差配(世話役)の小川陽堂だ。


「これが、夕涼み以外の何だってんだ」

 真慧は半ば自棄のように言って、水甕から柄杓ひしゃくのまま立て続けに三杯飲み干した。


「ええと、なんですか、それ」


 里哉はぬめぬめどろどろした鍋をのぞいて、思わずあとずさる。手元の椀のなかの小魚と目が合った。黒っぽく、大きさは二寸ぐらい。それがうねうねと重なっている。白魚しらうおなら春と聞くが、これは見たことあるような、ないような。


「どじょう鍋だよ。牛蒡と山椒で煮て、卵でとじたもんだ」

「いや里哉どの、これがなかなかの美味なのです」


 小川陽堂はこぼれそうなほど盛って、座敷でふうふうと大汗をかきながら食べている。大男なだけに、さらに暑苦しい。


 里哉は、縁に座った倫太郎と原賢吾を見やったが、椀を持って陽堂の隣に膳を置いた。遅くなった理由は、もう伝えてある。「心配したよ」とだけ言われて謝り返し、そのまま離れたら、なんとなく倫太郎と原賢吾、二人の間に入って行きづらくなった。


 里哉はまず、おのれの腹を満たすことにした。

 骨まで柔らかくなったどじょうは、口のなかでほろりととけていくようだ。一椀食べ、井戸で冷やした焙じ茶を飲み干すと、自然とため息がもれた。


「暑いけれど、美味いですね」

「あたりまえだろ。俺が作ったんだ。で、お里坊。今日の守備はどうだった」


 へっついの灰を掻き出しながらの背中が尋ねた。

 待ち構えたように、一斉に皆の目がこちらを向く。


 里哉は皆を見回し、少々不遜な笑を浮かべた。箸を置いて、姿勢を正す。


「〈謎謎百万遍〉の謎かけは八つ。これを今月のうちに、すべて解かなければなりません。まず第一の謎は簡単な判じ物でした。そして」

 と、里哉は懐から畳んで封をされた紙片を出す。

「これが、第二の謎かけです。これを解くと、第三の謎につながるらしいのですが、やってみないことにはわかりません」


「お里坊にしちゃ、自信満々だな」

「真慧さん、とはどういう意味ですか」

「見せてよ」


 にじり寄ってきたおふくが、素早く手を伸ばした。


「だめです」里哉は、倫太郎の背後へ回る。


「いいじゃない、減るものじゃないし。なにが書いてあるか気になるもん」

「私もまだ、見ていないんです」

「信じられない。じゃ、なおさら見せてよ」

「どういう理屈ですか、それって!」

「けち」


 まあまあと、間に入ったのは真慧だ。


「お凛、病人からぶんどった瓜が井戸に吊ってある。悪いが、おふくちゃんと取ってきてくんねえか」

「人聞きの悪いこと言わないでよ。うちは代納可なんだからね」


 ぶつぶつ文句を言うおふくを押し出して、お凛は敷居際で振り返って舌を出した。


 里哉は話の続きをしたくて身を乗り出したが、

「実はね、お里」

 と、倫太郎。

「留守の間に向かいの藤助さんが、おまえにとを持って訪ねてきたんだよ」


 預かった守袋を出す。


「また、ですか」


 確かに、きれいな端切れ細工だ。しかし、どう見ても女物で──。


「ありがたいのですが、なんで私なのでしょう。おふく殿かお凛殿に渡してほしいならば、そう言ってくれた方が……」

「藤助はな、ぞっこんなんだな」

、ぞっこん……?」

「そう。それ以外ねえだろう」


 真慧は明らかに面白がっている。

 里哉は声に出して「ぞっこん、ぞっこん」と幾度か繰り返し、黙る。次の瞬間いきなり立ち上がった。倫太郎の膳がひっくり返りそうになる。


「し、し、真慧しんねさん。な、な、な、なんですか、それっ!?」

 猿の尻のように真っ赤だ──さすがにそうは言わなかったものの、にやにやとその守袋を玩ぶ。


「気づかなかったのか、

「わ、わ、わ、わたしはし、衆道しゅどうなんて、考えたこともありません!」

「だろうな。武士のたしなみとは言っても、お里が相手じゃなあ」

 里哉は、真慧から守袋をひったくる。

「明日、返してきます!」


「一緒に行ってもよいですか、里哉殿」

 無言で聞いていた原賢吾が、盃を伏せた。

「実は、評判の小間物を女に買ってやりたいと思っているのですが、一人ではどうにも入りづらいのです」


 いきなりの申し出に、戸惑ったのは里哉だ。

 確かに、端切れ屋の藤屋は、いつも女たちであふれていた。原賢吾のようにもの堅そうな男にとっては、とにかく敷居が高いだろう。

 しかし二人で連れ立って藤助の店、端切れ屋の藤屋を訪ねたら、なにやら誤解されかねないのではないか。


(誤解するならば)


 かえって、藤助は自分に構わなくなるだろう。里哉にとっては青天の霹靂。ともあれ、目先の危機を回避するのが第一であった。


「では、ご一緒いたしましょう」

「修羅場に共連れなんざ呑気なもんだ。で、原さん。どこの馴染みの女だい」

 真慧が小指を立てた時、お凛とおふくが戻って来た。


「ほら瓜だぞ。切ってくれ」

「これからが面白いところなのにさあ」

「ええ? なになに? あたしがいない時に、何の話をしていたんですかあ?」

「子供にはできない話」

「真慧さん、里哉さんもまだ子供です」

「おふくさん、私は元服していますってば!」


 ぎゃあぎゃあとやり合う様子は、到底「大人になった」とは思えない。


 その日のが終わったのは、それから半刻あまり過ぎてのことだ。真慧とともに洗い物をして戻ると、倫太郎がにこにこと待っていてくれた。


「それで、お里。〈謎謎百万遍〉の講衆になってどんな感じだい。もっと詳しく話しておくれ」

「はい!」


 嬉しかった。こうやって、早く倫太郎に話を聞いて欲しかった。ようやく二人きりになって、いつものように時を過ごせる。


「まずは人です。見たことがないほどの列が出来ていました」

 里哉は目を輝かせ、日本橋本町での出来事を語り始める。

「その列が遠くまで列が続いて、先がどこだかわらないほどなんです。幸い、私の三人後で時間になってしまったのですが──」




(続く)


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