52話 謎かけに挑む
「それでは倫太郎様、行ってまいります」
律儀に手をついて挨拶をすると、篠井
「里哉殿、外出ですか」
木戸から一番手前、南側の戸が開き、やはり長屋の店子である原賢吾が声をかけてきた。
「はい。日本橋本町まで行って参ります」
「そうですか。お気をつけて」
「はい、ありがとうございます」
互いに丁寧に会釈し別れたが、里哉は首を傾げる。
原賢吾は浪人者だ。どこかのんびりとした男で、よろずやから手間仕事を請けて
最近は、倫太郎と話す姿をよく見かけるようになった。
(ほとんど私が留守の時だ)
近所で買い物をしたり、お凛の兄燿太郎のところへ本を借りに行ったり、他出から戻ると、原賢吾がおのれと倫太郎の住居にいる。
(別に、それはそれでよいのだけれど)
ご近所付き合いは大切だ。
しかし里哉が戻ると、原賢吾はさっさとおのれの住居へ帰って行くのだ。
(うーん)
何かひっかかる。
(父上に聞いてみようか)
春の夜の満月のような顔と、冷徹な眼差しを思い返す。
(……まず、若様にお尋ねしよう)
里哉は夕暮れまでには戻ろうと、先を急いだ。
日本橋本町通りは、常盤橋から大伝馬町、馬喰町へと続く。江戸と奥州街道を結ぶ、市中でもっとも古く、賑やかな目抜き通りだ。
里哉は
「ええと、越後屋さんの向かい、竹原屋さんの脇の小路を抜けて……」
謎かけ巡りには、まず掛金を納め、〈謎謎百万遍〉の講衆になる必要がある。詳しいことは、その時に教えてもらえるらしい。
(うわっ、すごい)
最後の角を曲がった途端、ものすごい行列が目に入った。男も女も、武士や町人、僧侶。年寄りからこどもまでが一列に並んでいる。なかには道に座り込んでいる者や、行列目当ての
(あれって瓜かな?)
「列の最後尾はこちらです!」
どこか大店の丁稚が、「尾」と朱書きした手拭いを広げて叫んでいた。
「あの、この列って」
最後尾の老婆は、衿元を大きくくつろげながら、団扇であおいでいた。
「ああ、例の謎かけだよ。お兄さんもやるのかい?」
「そう思って来たのですが、どうやら時間がかかりそうですね」
受付の行列らしい。どうしようかと思う。これでは、夕刻までには戻れそうにない。
「時がないなら、さっさとお帰りな」
老婆は、里哉の迷いを見透かしたかのように言った。
「今日は少ない方さ。こないだなんか、あの辺りまで行列が」
と、遥か彼方を指しす。
「続いててね。あたしゃ、もうあの日はあきらめたのさ。だから、時が惜しかったら、お兄さん、さっさと帰ったほうがいいよ」
老婆の目は、爛爛と輝いている。早い者勝ちとは書いてなかったが、帰れと言われて、帰る者はいない。里哉はこころを決めた。
「私も待ちます」
老婆の後ろへ入る。列の最後尾だ。
「あ、お侍さま、並んでいる間にこれを読んでおいて下さい」
すかさず丁稚小僧が、色刷りの紙を手渡してきた。広げると、「定」の一文字が目に入る。
すると、前の老婆がちらちらとこちらを見遣り、咳払いをする。
「これ、一緒に読みませんか」
「……仕方ないね」
老婆も手にした、同じ刷物を広げた。
「定め、とあります」
「読めるよ、そのくらい」
「ですよね。えっと、決まりごとが三つあるみたいです」
里哉は読み上げる。
「ひとつ、謎謎を交わし合いたる者。ふたつ、定めたる期日内に至らぬ者。みっつ、謎解き終わりしも刻限までに会所へ申し告げざる者。以上は失格とする。だそうです」
気がつくと、耳を傾けているのは老婆だけでなかった。里哉は声を大きく張った。
「つまり、謎謎の交換をしたひとや、期限内に終わらなかった時や、終わっても決められた日時までに会所へ報告しなかった場合、失格になって十両がもらえないということだと思います」
「なんだ、そんなことかい」
ほっとした顔で、老婆は団扇で仰いでくれた。里哉への礼のつもりらしい。
(なぜだろう)
逆に、里哉は不思議だった。
なぜ、わざわざそのようなあたりまえのことを、色刷りにしてまで確認しているのだろうか。
(勘違いするひと、いるからかなあ)
十両という大金がかかっている。慎重にことを進めているのだろう。
(でも、私が欲しいのは金子ではなくて)
里哉は、ひとり微笑んだ。
さて一方、深川門前町一丁目の花六軒長屋である。
里哉の姿が見えなくなると、原賢吾が倫太郎の住居にやって来た。
「また、来ましたか」
困ったなあと言いながら、倫太郎は賢吾を座敷へ招く。
「私はここで結構です。身辺をお護りするのが務めです」
「頼んだわけではありませんよ」
「承知しております。先日申し上げたように、代金を得ての仕事ですから、遠慮なくお使いください」
原賢吾は上がり口に腰掛けて、倫太郎へ背を向ける。
「里哉殿がお帰りになるまでです。暫し、ご辛抱ください」
「困ったなあ」
里哉の父篠井児次郎は、何を案じて原賢吾へ護衛を頼んだのだろう。
そもそも賢吾とどこで知り合ったのか。さらに言えば、何故原賢吾が
おのれの知らないことがありそうだった。
(大源寺の良徳殿に尋ねてみようか)
三町先の浄土宗の寺だ。花六軒長屋の大家でもある。
「まあ、私は構いませんので好きにしてください。ただし、その若君、というのだけはやめてもらえませんか」
畑地に面した障子戸は開け放たれ、蚊遣りから松葉の煙りが上がっている。江戸の夏は油照りだ。風もなく蒸し暑い。
「では、なんとお呼びすればよろしいか」
「以前のように、
その時だった。半分開けた腰高障子に影が差した。近づくかと思えば遠ざかり、なかなか声をかけてこない。
原は、素早い身のこなしで障子戸を全開にした。
「ひえっ!」
「藤助さん?!」
驚いて尻餅をついた男は、
「どうかしましたか」
「あの、里哉さんは」
謎かけ巡りの件で出かけていると伝えると、あからさまに肩を落とした。
「出直してきます」
とぼとぼと木戸口へ戻る背へ、「お里も隅におけないね」と、半分冗談で言った倫太郎だったが、賢吾は藤助の姿を目を細めて凝視している。
「原さん、どうかしましたか」
「足音がしなかったのです」
「足音、ですか」
「
下水に被せてある板だ。避けて通れぬこともないが、通れば必ずどこかしらを踏む。
倫太郎は首を傾げた。勘というのは、得てして真実を嗅ぎ分ける。
「ひとつお願いがあるのですが」
賢吾は、ちらりと振り返った。
「承知」
「頼みます」
倫太郎はにこりと笑んで、読みかけの本を広げた。
(続く)
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