51話 謎謎百万遍

 そもそもは江戸市中、噂でもちきりのであった。


 きっかけは、門前一丁目の湯屋ゆうやの壁一面に貼り出された瓦版よみうりだ。朝風呂にやってきた里哉と倫太郎は、尋常ならざる人だかりに驚いた。


 湯屋ゆうやとは、上方でいう銭湯のことである。江戸の町にはおおよそ一町ごとに湯屋があり、日本橋の大店でさえ内風呂はない。朝は五ツ(午前八時)から、夜も五ツ(午後八時)まで、公衆浴場であるとともに、ご近所付き合いにもってこいの溜まり場でもあった。


 篠井里哉は、二木ふたき倫太郎と連れ立って朝風呂に寄る。当初は男女の境が曖昧で、二階には色めかしい女もいたりと抵抗があったものの、「そんなもの」だと慣れてしまうと、然程さほど気にならない。通っていると気軽に声がかかり、知り合いも増えた。今では「サトさん」と呼ばれるほどの馴染みようだ。


 男湯の入口から板間の脱衣所へ上がり、衣装棚の左手、よろず貼り出している壁が人だかりの中心であった。


「何でしょうか」

 里哉は近づきのぞこうとしたが、無数の頭が邪魔で見えない。もともと小柄で、さらに目が悪い。


「なんだろうねえ」

 隣に立つ倫太郎は、里哉の従兄であり、守るべき主筋でもあり、なによりも幼い頃より共に育った兄のような存在だ。年の頃は二十歳はたちほど。背は少し高い方だが、どちらかというとやせぎすの、俊敏そうな様子である。面立ちも美丈夫というよりは、人柄のよさが伝わるそれだ。


「『謎謎なぞなぞ百万遍ひゃくまんべん』とあるよ」

「サトさんと、二木様じゃありませんか」


 おはようございます、と声をかけてきたのは花六軒長屋の表店おもてだなの向かい、端切れ屋の藤助ふじすけだ。

 若いながら女好みの「端切れ」をよくそろえ、ちょっとした小間物も作っている。藤助という名と、名に合った優しげな容姿もあって、近頃繁盛している小店だった。


「藤助さん、この間いただいたぎの風呂敷、長屋のおふくどのに差し上げたら、福籠ふくろう屋の女将さんが、今度まとめてお願いしたいとおっしゃっていたそうですよ」

 藤助は、あからさまにがっかりした顔になる。

「そうですか。あれはサトさんに、と思って作ったんですよ」

 どこか恨めしげだ。


 この藤助、なにかというと里哉に小物をくれる。どう見ても女物だからと、同じ長屋の福籠屋の一人娘のおふくや、女医者のお凛へ贈ってしまう。

 「意外に極悪非道な男だな」と、坊主の真慧しんねは言うが、里哉には一向にわからない。使わぬものをしまっておいては勿体ない──ただ、それだけなのだ。


「ああ、いいです。また、作りますから。今度こそ人にあげちゃだめですよ」

「それで、あれはなんですか」

 倫太郎が気をそらすように、壁を指す。


「謎かけ巡りのあの件ですよ」

「謎かけ巡り?」

「ご存知ないんですか?」


 藤助は、驚いたように目を見張った。


「日本橋本町通りの旦那衆が講元になって、すべての謎かけを解いたら十両、もしくは好きな品がもらえるっていうんで、みんな目の色が変わっちまって」

「十両ですか」

 里哉は目を見張った。


「うちの小間物屋も、十両あれば商いをもうちっと大きくできるんですがねえ」

「十両、ですか」


 里哉は湯屋通いの道具を倫太郎へ渡すと、壁前の人だかりへ飛び込んだ。


「サトさん!」

「お里……?」


 唖然として見ていると、すぐ最前列に現れた。眼鏡を外して瓦版に張り付く。


「お里、あぶない!」


 途端、肘鉄を喰らって人の波に沈んでいった。





「知ってる、あたし、知ってる!」


 手拭いを絞りながら叫んだのは、おふくだ。日本橋通旅籠町とおりはたごちょうのこじんまりとした旅籠、福籠ふくろう屋の一人娘なのだが、この春、深川の花六軒長屋に引っ越してきた。年は十五。魚のように溌剌とした娘だ。


 この花六軒屋、深川門前町一丁目の南東角、さびれた稲荷神社の脇を入り、くねくねと路地を入った突き当たりにある。界隈では噂の「騒がしい」長屋だが、女医者の佐々りんをはじめ、なにかと頼りにされることも多い。


 花六軒のいわれは、長屋の裏手、青物畑の真ん中にある見事な桜の大木だ。今は葉が繁るばかりであるが、花の季節になると菜花の黄色と相まって、それはそれは見事な眺めだ。


「あんた、相変わらず鈍くさいねえ」


 湿布薬を練りながら、お凛が言った。

 佐々凛は、長屋で診療所を開いている。実家は高名な町医者で、かつて仕えていた大名家が取り潰しとなり、江戸に出て開業した。お凛に言わせると「医者か商人あきんどかわからない」。そんな実家に嫌気がさして、長屋暮らしをしている──らしい。


「脱げ」


 里哉は踏まれた手首と、肘鉄で腫れた脇腹をさすりながら、お凛へ困ったような顔を向けた。晒に渋紙を敷いて、たっぷり湿布薬を盛る。


「早く脱げ」

「──はい」

「いいか、打身は温っためない。まず、冷やす」

「はい。すみません」


 腫れた脇へと貼る。おふくは、濡れた手拭いをお凛へ渡すと、

「ちょっと、待ってて」

 履き物をつっかけて、倫太郎の住居からおのれの住居へと飛んで行った。瓦版を手に戻り、座敷へ広げた。


「里哉さん、でしょう?」

 湯屋で見たものとは別の版だが、同じように〈謎謎百万遍〉との大文字がある。


「見せてください!」

 湿布を当てたのを忘れて利き手を伸ばし、思わず呻いた。

「どれ、見せてごらん」

 倫太郎が目を通し、「なるほど。面白そうだ」と里哉へ渡す。里哉は食い入るような目で、何度も読み返した。


 大筋はこうだ。


 これは、寺社への寄進を目的とした無尽講である。

 講元は、江戸一番の目抜き通り日本橋本町の大店の旦那衆。主旨に賛同するならば、講衆となってほしい。

 というのも昨年からの天候不順で、全国で不作や飢饉が続いている。今春も越前勝山では大雨に山津波と、多数の死者が出た。

 だから死者の供養と豊作を祈念して、大江戸謎かけ巡り〈謎謎百万遍〉を催すことにした。


「倫太郎、なんで豊作祈願が無尽講で、しかも謎謎ごっこになるんだ」

 お凛の疑問は最もである。


 ちなみに無尽講とは、相互扶助で資金調達を行い、寺社の建築の資金に充てたり、困った仲間を助けるための仕組みだ。歴史は古く、五百年以上遡るという。広く同じような仕組みが全国にもあり、例えば上方では頼母子講たのもしこうなどという。


「ああ、それは……ここだね。参加するには、掛金を納めるようだ。それをまとめてどこかへ寄進するのだろう」

「へー。なんだかあたし、騙されてるような気がする」

 お凛は興味なさそうに、手早く道具を片付ける。午後の診療まで、それほど間がない。


「謎かけは八つだそうだよ。八つすべて解けたら十両か、発起人の店で好きな品を一点もらえるそうだ」

「十両、ですよね」

 里哉は、瓦版よみうりを食い入るように見つめている。


 倫太郎は首を傾げた。里哉がこれほど「金子きんす」にこだわる姿を見たことがない。


「お里は、十両がほしいのかい」

「違います」

 間髪入れず否定する。倫太郎はさらに首を傾げた。


「あの、若……倫太郎様、この謎かけをやってみてもよいでしょうか」

 目が必死に訴えている。里哉にしては珍しいことだ。


は、あとで聞き出すか)


 倫太郎は頷いた。

「もちろんだよ。好きにおやり」

「ありがとうございます!」

 勢いよく頭を下げて、また痛みに呻く。

「ただし、今日は安静にしてなさい。それが条件だ」



 


 翌朝、里哉は住居の前で、紅色の千代紙包みを見つけた。小さな短冊がついていて「さとさま」とある。


「里哉さん、また?」


 声をかけてきたのは、おふくだった。生家の福籠屋へ手伝いに出かけるところのようで、動きやすいこざっぱりとした格好をしている。紅い扱きで裾を端折り、同色の鹿子を髷に。娘らしい長めの袖がふりふりと愛らしい。


(おふくさん、かわいいなあ)


 見とれる里哉の手から、素早く包みを取ると、断りもなく開いてしまった。


「なにかしら、これ」


 出てきたのは、おそらく守袋だ。あざやかな色目の布を細かくいで、大きさは手のひらに乗る程度。


「きれいねえ」

「よかったら、差し上げます」

 藤助だろうと思うが、やはりどう見ても女物だ。

「いいの?」

 ぱっと花開いたように笑う。一日の元気が湧いてくるような笑顔だ。里哉もにっこり笑い返した。

「藤助さんも、使ってもらった方が喜ぶと思います」

「藤屋さんの小物って、結構人気なのよね」

 ありがとう、とおふくは嬉しそうに懐へ入れ、手を振りながら出かけて行った。




(続く)



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