第四章 雲の旗手

50話 二股大根の謎

 里哉さとやは、思案していた。

 霊岸島は南新堀にある青物屋(八百屋)の店先でに立ち、かれこれすでに四半刻(約三十分)になる。


「里さん、まだかい」


 店番の婆さんは、いい加減うんざりしてきたようだ。


「待ってください。もうちょっと」

 鼈甲べっこう枠の眼鏡を上げ、なおも「大根」をじっと凝視した。


 この若者、名は篠井里哉さとや。年は十六。色白で、片笑窪で、小柄で、若い浪人者の主人に仕える侍者である。侍者、ではあるが武芸はからきし。長屋の溝板どぶいたを踏み抜く質であった。同じ長屋に住う坊主、真慧しんねが言うには、「身の丈にあう袴をはけ」──裾を引きずっているようにでも見えるらしい。


 さて、その里哉である。

 住居である川向こうの棟長屋、通称花六軒からこの青物屋までは、歩いて四半刻(約三十分)あまり。近所の深川門前町一丁目にも、青物屋は掃いて捨てるほどあったが、この店を訪れるには「理由わけ」があった。


 ひとつ目は、しながよい。長屋の賄い大明神真慧おすすめの店である。


 二つ目は──。


「なにゆえ二股なるや、か」

 里哉が凝視しているのは、少し変わった大根だ。


 夏大根ながら、なかなかの太さ。葉も萎れかけてはいるものの、まだまだ青々とした練馬の産だが、なんと、しっぽが二股なのだ。先三寸ばかりが足のように開き、開くばかりか、いまにも歩み出しそうな様子である。さらにその腰のくねりようがなんとも婀娜あだっぽい。


 青物屋では「おひろいだいこん」と銘打って、一昨日おとついから、ひとり三文の見料を取っていた。しかし夏場である。絹のような肌理きめの肌も、萎びてきた感は否めない。


 里哉は見物客が途切れるのを待って、飽きもせずに眺めている。眺めているというより目線を合わせ、細部まで検分ように、立てかけた大根の周りをぐるぐると巡っているのだ。


「なにゆえ二股なるや、なにゆえ二股なるや、なにゆえ二股なるや……」

「里さん。その念仏、いい加減気味が悪いからやめておくれよ」


 店番の婆さんは、白湯を啜った。


「すみません。ちょっと……」

「わかってるよ。だろ。

「ええ、なんです」

 里哉はため息をついた。


「で、うちのはいくつ目だい」

「四つめです」


 店番の婆さん──お千は湯呑みを取り落としそうになった。目を見開いて仁王立ちになると、興奮に鼻息が荒くなっている。


「おまえさん、もう四つめなのかい!?」

、四つめです」


 里哉はうわの空で答え、懐から拡大鏡を出す。

 お千はその姿と二股大根を見比べ、大きく頷いた。ひとりで。


「わかった。このお千に任せておきな」

 矢立をふるい、店先に「売り切れ」と貼紙をする。


「おっかさん! 何やってんだよ!」


 棒手ぼて振り商いから戻った息子の太助が、売れ残っている野菜を指差して喚いた。

「腐っちまうだろ! なんで……」

 と、大根を手に取り、見入っている里哉に気づく。


だよ。うちで四つめだとさ」

 とたん、太助も商売道具を放り出した。

「さすが、おっかさんだ!」そうして里哉へ「里哉さん! 気の済むまで大根と勝負してくださいや!」

「はい、ありがとうございます」

 当然、上の空である。


 太助はお千と並んで座ると、息を殺して里哉と大根の勝負を見守った。





(続く)




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