45話 鬼遣(おにやらい)

「立春の前日を節分といい、節分会せちぶんえには、除災招福の豆まきを行います」


 秋津屋敷の隣り、宝満寺の庫裏くりである。慧安えあんはほかの僧侶とともにかまどに大釜をかけ、大量の豆を炒っていた。


「節分会は『鬼遣おにやらい』とも申し、もともとは唐の国の風習だったそうです。京の御所では、師走の大晦日に行われたそうですよ」


 襷掛けに覆子ぶくすという出で立ちで、冬だというのに汗だくになっている。

  申之介は、時折釜から弾かれる豆をおそろしく上手く捕まえた。交互に倫太郎へ渡しながら、よい音をたてて噛み砕く。倫太郎はというと、食べるよりも煎り豆のこうばしさに、うっとりと釜をのぞき込んでいた。


「立春は二十四節気せっきの最初の日と習いました。前日の節分は、つまりになるのですね」

「そのとおりです。倫太郎様」


 慧安は釜を下ろすと、犬のような笑顔になっる。最後に、煎り豆をひと握りずつ分けてくれた。


 今日は、宝満寺の節分大祭だ。ひるすぎから近隣の村人たちが次々と寺を訪れ、子供らには煎り豆やご祝儀が、本堂では飯と汁物がふる舞われていた。ふたりは午前の日課を終えるやいなや、様子をうかがいにやって来たところである。


 大祭のかなめは、追儺ついなの儀式という。村人が鬼に扮して厄を払い、僧侶らは読経しながら境内に豆をまいて回るらしい。

 行ってもよいかと小三郎に尋ねてみたが、それはそれは渋い顔をした。


「大川の花火、だな」

 神妙な顔でささやいた申之介に、小三郎が気づいていたかどうか。

 ふたりは、庫裏の隅で煎り豆を小さな紙捻りにしながら、今夜の算段を始めた。




「倫太郎、行くぞ」

 しっかりと目を開けていたつもりが、いつの間にか寝てしまっていた。倫太郎は夜具からはい出ると、目をこすりながら渡された草履を懐へ押し込んだ。

 そっと中庭へ降りる。冷えきった地面に、足の裏がしびれるようだ。

 最近、門前に夜番が立つようになった。見つからぬよう縁の下をくぐり、裏の垣根を乗り越えて、宝満寺へと続く一本道に出る。見上げると、降るような満天の星空だ。吐く息が夜目にも真っ白だった。


「持ってきたの?」

 先を行く申之介の腰に、短刀かあった。「念のためだ。野犬でも出たらまずいからな」

 申之介は、どこか得意そうだ

「わたしも持ってくればよかった」

「抜いてはいけないと、殿がそう申された。だから、おれが持っていればいい」

「そうだけれど……」

 言い募ろうとした時、林の奥の方で小枝が折れる音がした。

 木々の奥は真闇だ。ぐるりと見回すと、首の後ろがちりちりしてくる。

(行くぞ)

(うん)

 目と目で頷き合い、宝満寺へと駆け上がる。最後の一段を上りきってから振り返るが、やはりなにも見えなかった。

「行こう」

 ふたりは火が焚かれ、大勢が集まる法堂前へと急いだ。




 宝満寺は、近郷近在随一の禅寺だ。真夜中だというのに、子供から年寄りまで、昼に負けないほど大勢が寄り集っていた。もっとも賑やかなのは法堂前で、人頭越しに太鼓とかねの音、野太い掛け声が聞こえてくる。

 倫太郎と申之介は、人の間を縫って前へ出た。

 鬼だ。半裸に赤い褌、手にしたほこを振り回しながら舞っている。

 時折、輪になって取り囲む観衆へ駆け寄り、子供めがけて掴みかからんばかりに威嚇する。悲鳴や鳴き声が上がるたび、舞は激しさを増していった。


 不思議な光景だった。

 篝火に黒い影が踊り、火の粉が風に流れて夜空に舞い上がっていく。観衆の姿は闇と炎に揺れて、まるで陽炎のようだった。奥の法堂には僧侶が並び、鬼の舞を見守っている。


「お屋敷の若様でございますか」

 隣にいた老爺が、倫太郎へ声をかけてきた。どこかで倫太郎を見かけたことがあるのだろう。

「ここで見物していてもいいですか」

「もちろんですとも。これは厄を払い福を招く慣い。若様にも、よい年になりますよう」

「ありがとう」


 それが合図だったように、赤鬼がこちらへ近づいてきた。朱塗りの木彫り面にもしゃもしゃと黒い髪が伸び、大きな目を剥き、耳まで裂けた口の端からは牙が出ている。


 正直怖いと思った。闇の中からいきなり出てきたら、悲鳴を上げて逃げ出すだろう。申之介が察したのか、にやりとしながらも隣に立ってくれた。


「鬼は内!」

「福は内!」


 舞も佳境に入ると、人の輪が崩れていった。僧侶が鬼の後を追って、豆を撒きながら境内を周り始める。

 ふたりもしばらくついてまわったが、鐘楼のあたりでそっと列から離れた。そろそろ戻る時限だ。


「申之介、あれは?」

 倫太郎が指差す先、鐘楼に人影があった。やはり追儺の鬼面をつけ、しかし半裸ではなく、闇に溶けるほど色の濃い装束をまとっている。

 なんとなく嫌なものを感じ、ふたりは足早に去ろうとした。


「二木倫太郎様」

 申之介が、とっさに倫太郎を背後に庇う。

「倫太郎様でございますな」

 近在の村人から、名で呼ばれることはない。

「どなたですか」

「共に参りましょう」

「どこへです」

「貴方様の在るべき処へ」

「わたしが、在るべきところ?」

「母御のもとへ」

 倫太郎の足が止まった。

「どういうことです!」

「倫太郎、逃げろ!」

 

 申之介が石段を駆け上がり、男へ飛びかかった。手に白刃が光る。金属音がして宙に舞い、石段を転げ落ちた。

 鬼面の男に腕を取られる。


「離せ!」

「お静かに。騒げばそのわっぱの命をとる」


「倫太郎様、そちらか!?」


 篝火を背に、こちらへ駆けてくる姿が見えた。幾人かが追ってくる。


「慧安どの!」


 鬼面の男は間合いを見極めると、あっさり倫太郎の腕を離した。


「申之介!」

 駆け寄り、友を抱き起こす。怪我をしているのか、手のひらが濡れた。

「その童、死んではおらぬ。ご安堵召されよ」

「おまえは何者だ!」


 倫太郎は申之介を抱きしめたまま睨み上げた。怒りと恐怖に、身体が戦慄わななく。

「坊主どもがこちらへ参りますぞ」

 男は背中を見せ、闇の中へと退いていく。

「何者だ!」

「いずれ、また」


「倫太郎様! 申之介どの!」

 慧安が手杖を手に駆け上がってきた。

「お屋敷に変事です! 早くお戻りください!」

「叔父上が?!」

 賊の姿は、すでに闇に紛れていた。





(続く)


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