45話 鬼遣(おにやらい)
「立春の前日を節分といい、
秋津屋敷の隣り、宝満寺の
「節分会は『
襷掛けに
申之介は、時折釜から弾かれる豆をおそろしく上手く捕まえた。交互に倫太郎へ渡しながら、よい音をたてて噛み砕く。倫太郎はというと、食べるよりも煎り豆のこうばしさに、うっとりと釜をのぞき込んでいた。
「立春は二十四
「そのとおりです。倫太郎様」
慧安は釜を下ろすと、犬のような笑顔になっる。最後に、煎り豆をひと握りずつ分けてくれた。
今日は、宝満寺の節分大祭だ。
大祭のかなめは、
行ってもよいかと小三郎に尋ねてみたが、それはそれは渋い顔をした。
「大川の花火、だな」
神妙な顔でささやいた申之介に、小三郎が気づいていたかどうか。
ふたりは、庫裏の隅で煎り豆を小さな紙捻りにしながら、今夜の算段を始めた。
「倫太郎、行くぞ」
しっかりと目を開けていたつもりが、いつの間にか寝てしまっていた。倫太郎は夜具からはい出ると、目をこすりながら渡された草履を懐へ押し込んだ。
そっと中庭へ降りる。冷えきった地面に、足の裏がしびれるようだ。
最近、門前に夜番が立つようになった。見つからぬよう縁の下をくぐり、裏の垣根を乗り越えて、宝満寺へと続く一本道に出る。見上げると、降るような満天の星空だ。吐く息が夜目にも真っ白だった。
「持ってきたの?」
先を行く申之介の腰に、短刀かあった。「念のためだ。野犬でも出たらまずいからな」
申之介は、どこか得意そうだ
「わたしも持ってくればよかった」
「抜いてはいけないと、殿がそう申された。だから、おれが持っていればいい」
「そうだけれど……」
言い募ろうとした時、林の奥の方で小枝が折れる音がした。
木々の奥は真闇だ。ぐるりと見回すと、首の後ろがちりちりしてくる。
(行くぞ)
(うん)
目と目で頷き合い、宝満寺へと駆け上がる。最後の一段を上りきってから振り返るが、やはりなにも見えなかった。
「行こう」
ふたりは火が焚かれ、大勢が集まる法堂前へと急いだ。
宝満寺は、近郷近在随一の禅寺だ。真夜中だというのに、子供から年寄りまで、昼に負けないほど大勢が寄り集っていた。もっとも賑やかなのは法堂前で、人頭越しに太鼓と
倫太郎と申之介は、人の間を縫って前へ出た。
鬼だ。半裸に赤い褌、手にした
時折、輪になって取り囲む観衆へ駆け寄り、子供めがけて掴みかからんばかりに威嚇する。悲鳴や鳴き声が上がるたび、舞は激しさを増していった。
不思議な光景だった。
篝火に黒い影が踊り、火の粉が風に流れて夜空に舞い上がっていく。観衆の姿は闇と炎に揺れて、まるで陽炎のようだった。奥の法堂には僧侶が並び、鬼の舞を見守っている。
「お屋敷の若様でございますか」
隣にいた老爺が、倫太郎へ声をかけてきた。どこかで倫太郎を見かけたことがあるのだろう。
「ここで見物していてもいいですか」
「もちろんですとも。これは厄を払い福を招く慣い。若様にも、よい年になりますよう」
「ありがとう」
それが合図だったように、赤鬼がこちらへ近づいてきた。朱塗りの木彫り面にもしゃもしゃと黒い髪が伸び、大きな目を剥き、耳まで裂けた口の端からは牙が出ている。
正直怖いと思った。闇の中からいきなり出てきたら、悲鳴を上げて逃げ出すだろう。申之介が察したのか、にやりとしながらも隣に立ってくれた。
「鬼は内!」
「福は内!」
舞も佳境に入ると、人の輪が崩れていった。僧侶が鬼の後を追って、豆を撒きながら境内を周り始める。
ふたりもしばらく
「申之介、あれは?」
倫太郎が指差す先、鐘楼に人影があった。やはり追儺の鬼面をつけ、しかし半裸ではなく、闇に溶けるほど色の濃い装束をまとっている。
なんとなく嫌なものを感じ、ふたりは足早に去ろうとした。
「二木倫太郎様」
申之介が、とっさに倫太郎を背後に庇う。
「倫太郎様でございますな」
近在の村人から、名で呼ばれることはない。
「どなたですか」
「共に参りましょう」
「どこへです」
「貴方様の在るべき処へ」
「わたしが、在るべきところ?」
「母御のもとへ」
倫太郎の足が止まった。
「どういうことです!」
「倫太郎、逃げろ!」
申之介が石段を駆け上がり、男へ飛びかかった。手に白刃が光る。金属音がして宙に舞い、石段を転げ落ちた。
鬼面の男に腕を取られる。
「離せ!」
「お静かに。騒げばその
「倫太郎様、そちらか!?」
篝火を背に、こちらへ駆けてくる姿が見えた。幾人かが追ってくる。
「慧安どの!」
鬼面の男は間合いを見極めると、あっさり倫太郎の腕を離した。
「申之介!」
駆け寄り、友を抱き起こす。怪我をしているのか、手のひらが濡れた。
「その童、死んではおらぬ。ご安堵召されよ」
「おまえは何者だ!」
倫太郎は申之介を抱きしめたまま睨み上げた。怒りと恐怖に、身体が
「坊主どもがこちらへ参りますぞ」
男は背中を見せ、闇の中へと退いていく。
「何者だ!」
「いずれ、また」
「倫太郎様! 申之介どの!」
慧安が手杖を手に駆け上がってきた。
「お屋敷に変事です! 早くお戻りください!」
「叔父上が?!」
賊の姿は、すでに闇に紛れていた。
(続く)
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