44話 枇杷の花

枇杷びわだ」


 安藤申之介こうのすけは、宝満寺の北側にある一本の木を見上げた。師走になったというのに、濃い厚い緑の葉は繁り、枝には白い花がむくむくと固まるように付いている。美しいというよりも、いきもののような力強さのある花だ。

 

「これ、冬にかけて花が咲くんだ。来年の五月か六月に美味い実がつく」

 申之介は、大人の背をはるかに越えたその木を撫でた。

「よく登って食べたなあ」

 一緒に見上げる倫太郎の足元で、落ち葉ががさがさと音を立てる。


「枇杷は、『大般だいはつ涅槃経ねはんぎょう』に、大薬王樹という名で記されています。特にその葉は無憂扇むゆうせんと呼ばれ、すべての病を治すと言われます」


 宝満寺の僧慧安えあんは、ふたりに竹箒と熊手を持たせていた。住職の法話の後は、いつも庭掃除だ。はじめは道具の使い方もわからなかった倫太郎だったが、今では申之介よりも丁寧に掃くことができる。


「それは嘘だ」

 語調の強さに、倫太郎は驚いた。先程と打って変わり、申之介は枇杷の木を睨みつけていた。

「申之介」

「あっちも掃いてくる」

 追おうとした倫太郎を、慧安は引き留めた。

「倫太郎様は、どうぞこちらへ。お引き合わせしたい方がいます」


 慧安と本堂に戻ると子供が座っていた。まだ五つか六つぐらいの幼い子供たちだ。そろいの着物を着てちんまりと座った様は、一対の白菊人形のようだった。

 どこか紀州犬を思わせる慧安えあんは、にこにこと笑い顔で、子供たちをさし招いた。


「倫太郎様、こちらは篠井しのい里哉さとや様と、音哉おとや様です。山間の里から、お父上と師の坊を訪ねておいでになりました」

「音哉と申します」「里哉と申します」

 ぴょこぴょこと頭を下げる姿はそっくりで、小鳥が餌をついばんでいるようだ。


「二木倫太郎です。お会いできて嬉しいです」

 もじもじと、ふたりは互いに顔を見合わせ落ち着かなげだ。里哉は音哉の後ろに隠れ、着物を掴んでいる。


「あ、父上!」


 奥の戸の向こうに、変わった姿の若い男が立っていた。旅装束とも違う。袖や裾回りを絞った、身軽そうな出たちだ。二子は、鞠が転がるように駆け寄りると、隠れるように背に回った。男は黙礼を返し、帰っていくようだ。


「あれは、どなたですか」

 一瞬だったが、おのれを睨め付けたような気がした。

「篠井様と申され、元亀天正の頃は浅野さまのご一門であったとか。今は、山深い里にお住まいだそうです」

「そう」

 角を曲がる前に、二子のどちらかが手を振った。




「──申之介」

 探し回って、ようやく鐘楼の下にいる友の姿を見つけた。

「この間の蛸のばけもの。あの続きが聞きたい」

 申之介は、手の中でいじくり回していた熊手を置いた。

「夜、厠へ行けなくなるぞ」

「大丈夫」


 申之介のすぐ隣に腰を下ろして、話し始めるのを待った。

「おれが見た蛸の化物は、長いぬるぬるの足を海から突き出して、水手かこたちに襲いかかってきたんだ」

 申之介は語り上手だ。その光景が目の前に甦るようだった。

 高野山からの道中、山中では猪と取っ組み合った。海では蛸の化物の足を斬り落とした。荒寺で女の幽霊と一晩語り明かしたり、身をひそめて夜盗の財宝の話をもれきいたりもした──らしい。


 申之介が語り終わると、倫太郎は問うた。

「どうしたの」

 申之介は肩をすくめた。

「坊主になれと言ったのは、父上だ。母上の菩提を弔うのに一番よいだろう、って」


 申之介の母は、病で亡くなったと聞いた。

 倫太郎が黙っていると、申之介は小さなため息をついた。

「母上と住んでいた家に、枇杷の木があったんだ。慧安どのと一緒で、母上もよい薬になるといつも言っていたけれど、母上の病には効かなかった。──少しも」

 それだけだと言った。


「申之介」


 倫太郎は言葉を探した。

「春に、……五月になったら」

「ああ」

「一緒に食べよう」

「食べるって、枇杷の実をか」

「うん。美味いのだろう?」

「まあな。でも高いぞ。登れるか」

「登る」


 申之介はようやく笑った。


「そんなことをさせたら、長田様に殺される」

 と、倫太郎を覗き込むように顔を寄せる。

「おれが取ってやる。母上にもいつも取ってさしあげた。美味しいって、それだけは食べてくれたから」

「うん。ありがとう」


 申之介の母上は、どのような人だったのだろう──倫太郎は思った。

 春がきて五月になったら、申之介と話してみたい。美味いという枇杷の実をふたりで食べながら、互いの母のことを。




 そうして、日々は飛ぶように過ぎていく。明けて正月。秋津屋敷ではささやかな新年を祝う宴が催された。


 ふたりは年玉として、それぞれ一振りの短刀を授かった。

 大叔父左門は、鞘を払って倫太郎へ抜身を持たせ、こう言った。

「これは、抜いてはならぬ」

 次に申之介へ鞘ごと下しおかれ、こう言った。

「これは、おのれ自身のために抜いてはならぬ」


 では、いつ抜くのだろう──倫太郎は手の中の短刀、青く散る刃紋を見つめながら呟いた。



(続く)




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