31話 辰砂の毒
丁度その頃、御用聞きの留蔵は、銀座竹川町の絵師、狩野風雪の住居の前にいた。豊岩稲荷のすぐ近くである。
道具屋のまるやが言っていた、おゆた様とやらを訪ねてのことであった。
おゆた様の住居がどこだか、まるやに聞いても結局拉致が開かず、ツテのある地の御用聞きに尋ね、ようやく突き止めた。
御用絵師江戸狩野派は、大きく四家に別れている。それぞれが別の地に住居を構え、一族・門人とともに一派を成していた。
そのなかでも竹川町の拝領屋敷に住む、狩野尚信を租とする一門のひとりが、そのおゆた様の父親らしい。表絵師という身分で、お上からはお扶持も貰っているそうだ。
玄関口は、まあまあ立派である。時折、女中を連れた若い娘が、中へ入っては出てくる。習い事なのだろう。
留蔵は体面を慮って、勝手口へ回った。賄所の下女に女中頭を連れてこさせ、御用の筋で聞きたいことがあると、
ほどなく女中頭は戻ってきて、主人風雪は、いま手が離せないという。
「いつお暇になるかね」
「さあ」
困ったように首を傾げる。留蔵は上がり口に腰掛け、ちょいちょいといねと名乗った女中頭を手招いた。
「ならば、あんたがちょいと答えてくれりゃ、風雪様にご面倒をかけずに帰るんだが」
留蔵は、いかつい顔に満面の笑みを浮かべた。愛嬌があると、女房のお鯉が褒めてくれる笑顔だ。
「なんですか、親分」
面倒は嫌ですよと言いながら、いねは顔を近づけてきた。
「そこの六丁目のまるやっていう道具屋に聞いたんだが、おゆた様が買った画のことなんだ」
さっと、女の顔色が変わった。
「やっぱり、あの画がどうかしたんですか?」
「あの画?」
「あの妙な猿の画ですよ。あの画が来てから、おゆた様は寝込んでしまわれたんですよ」
今度は、留蔵が眉をしかめる番だった。
「具合がよくねえのか?」
いねはしっと、指を立てた。
「変な画を、近所の道具屋から持っておいでになったんです。いつものことなんで、あたしも特に気にしなかったんですけど、それからおゆた様、夢見は悪いし、近所のお嬢様たちの前で倒れておしまいになるし」
商家の娘に教えていた際に、昏倒したらしい。
「具合はどうなんだい」
「いえね、」
「ああ」
こいつはお喋り雀だと、留蔵は愛想よく相槌を打つ。
「お加減は、大したことなかったんですよ。念のため、しばらくお床に入っていましたけど、神田の方で流行り病が出てるからと、念のため大事をとって」
「そりゃ、よかったなあ」
「ええ。旦那様も大層安堵されておられましたけど、あたしはね」
と、声を落とす。
「あの絵じゃないかと思ってるんですよ。
「へえ。そりゃ、ちょいと見てみたいな」
「ええ⁉︎ 親分、そりゃ、酔狂にもほどがありますよ」
でも、とおいねは腰を空かせる。
「あれから、ガラクタと一緒に行李にしまっておられるから、おゆた様にお願いしてみましょうか」
「ああ、ぜひ頼むよ」
留蔵も、この時はまだ半信半疑だった。例の猿の画が、こうもとんとん拍子で見つかるとは、微塵も思っていなかったのである。
おいねは、すぐに戻ってきた。手には、娘らしい色あざやかな布で巻かれたものがある。
「どうぞ、親分さん。よかったら、そのまんま持っていって下さいまし。おゆた様も、ぜひにとおっしゃってます」
留蔵は、いきなり渡された手元をまじまじと見た。町廻り同心の堤清吾から、聞かされた話が甦える。
「そうかい。ありがとうよ。じゃ、このまま有難く頂戴していくから、おゆた様によろしくお伝えしてくんな」
また、聞きたいことがあったら連絡する──おいねに言って、留蔵はそれを懐にしまった。
(こりゃ、一刻も早く堤の旦那にしらせねえと)
逸る気持ちを抑えながら、なんとかおいねへ
「おい、真慧。いるか?」
神田紺屋町のうなぎ長屋である。
お凛は、末の兄である、佐々燿太郎を伴って戻ってきたところだった。
燿太郎は、あれから散々行きたくないとごねた挙句、町駕籠を捕まえて押し込み、ようやく引っ張ってきたのだ。
「なんだい、この長屋」
木戸を潜ってからも、燿太郎は草履が汚れるだの、臭いがつくだのと、端から端まで文句をつけていた。
お凛らが使わせて貰っている部屋に入ると、燿太郎は盛大に顔をしかめた。
「カビ臭いだろ? しばらく空き家だったんだ」
お凛は、先回りをして言う。
「うん。まあ……、
ごにょっと言って、中を見回す。
「あれ、
指差す先に、坊主姿が寝転んでいた。
「昼寝しているのか? 燿太郎を連れて来たぞ」
ああ、と真慧は、億劫そうに寝返りを打つ。
「燿太郎さん、久しぶり」
寝転んだまま、片手を上げた。
「あんた、具合悪いの?」
その顔色と緩慢な動作に、お凛は医者の顔になる。
「よせやい、お凛。触るなよ。くすぐってえじゃねえか」
「馬鹿言ってるんじゃないよ!」
「不寝番続きだから、疲れただけだろう」
ふう、と息をつき、真慧は目を閉じた。
「少し休めば、直ぐによくなるさあ」
「だめだね」
即答したのは、部屋中見て回った挙句、
「燿太郎、あんた何を!」
仁王立ちになる妹の前で、燿太郎は目を輝かせながら、何度も頷く。
「あのね。たぶんこれは、
どこか楽しそうに言いながら、燿太郎は懐から出したちり紙で、竈門の焚口から燃えさしを掻き出していた。
(続く)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます