17話 この道を往く

 原賢吾が小塚原常行堂へ到着すると、先行していた同心の堤清吾が門前で立ち尽くしていた。


「堤さん、どうした」

かんぬきがかかっている」

 潜戸くぐりどが開かない。

「裏を見てくる」


 原は、築地塀に沿って出入口を探す。通用口らしき木戸があったが、やはり動かない。

(蹴り開けるか)

 寺領であることから躊躇った。そのまま塀に沿って周る。どうにか手を掛けて登れそうな高さを見つけ、両刀を抜いて塀越しに投げた。

 そうして、小屋根の瓦に飛びつく。

 渾身の力でおのれを引き上げ、寺内へ飛び降りた。低木の植木に落ちて手足を切ったが、構わず手探りで刀を探す。


 その時、本堂らしき方角から、金属を地に叩きつけるような音が上がった。



音哉おとや

 名を呼ばれ、狐面の男は笑みを浮かべた。

「その名はとうに捨てたもの」

「では、なんと呼べばいい」

 男の面立ちは、侍者の里哉と似通っていた。否、瓜二つと言ってもよい。


 唯一異なるのは、その眼差しだ。里哉の信頼に満ちたあたたかなそれと違い、冷たく硬い、拒むような目だった。闇に溶ける暗い装束に身を包み、長脇差を一本帯びている。周囲には、人の気配が、ひとつ、二つ。


「なんとでも、若君の好きなようにお呼びください」

 倫太郎は懐から百両の袱紗包みを出し、中身を見せて差し出した。


「では〈狐〉、これを持って行け。和久井屋の妹御と娘を返してもらおう」

 にっと笑う。

「無事にお返しいたしますとも。もとよりその約束ゆえ」


 〈狐〉は受け取った袱紗包みを片手で持ち上げ、思う間もなく天へ放った。包みが弾けて、黄金色の小判が石畳に降り注ぐ。

 あ、と思った時は、段木まで退いていた。〈狐〉を護るように人影が現れる。


「無駄金になりましたと、和久井屋さんには謝っておいてください」

「なにを考えている!」

「若君が江戸へおいでになったと知り、ひと目お会いしたいとお呼びたてしたまで」

「名を捨てたなら、いまさら私に何の用がある」

 倫太郎は、花札を〈狐〉の足元へ投げた。

「なぜ、おまえと気づけと寄越した」

「──さあ」

 首を傾げる。

「若君のご尊顔を拝し、お健やかなりと安堵しました」

 倫太郎は一歩踏み込んだ。

「お里はずっとおまえの身を案じている」

「相変わらず、児子ややこのような」

 〈狐〉は笑んだ。穏やかであるがゆえに、心胆寒からしめる笑みであった。

「ご安心を。いまのところは御意の通りに」


 〈狐〉は本堂を指し示すと、次の瞬間、広縁の欄干を蹴って屋根へと跳躍した。手をひらひらと振り、そして背後へ、夜陰へと、仲間諸共消えていった。


 倫太郎が本堂へ走るのと同時に、原賢吾と堤が駆け込んできた。

「今のは何だ!」

「二木殿!」

「二人は本堂だ!」

 何事かと、寺の僧侶たちも庫裏からやってくる。

 輪灯が揺れる本堂の中、内陣の須弥壇、本尊阿弥陀如来像の足元に、大小二つの人影があった。

「おじさま!」

 原賢吾へ駆け寄ったのは、和久井屋の娘、絢である。

 賢吾は少女を抱き上げ、無事を確かめる。

「わたしは平気。それよりも叔母さま。ずっと眠ってらっしゃるの」


 堤は騒ぐ僧侶へ事情を説明し、原賢吾は眠る喜久を抱き上げたまま、寺男へ吉原へ駆け駕篭を呼ぶよう依頼する。


 散乱した小判は、どうしたものか。

 倫太郎は外に出て小判を拾いながら、広縁をぐるりと見て回った。夜明けを待たねば何も見つからないだろう。明るくなっても、何もないかもしれない。音哉は篠井の一族だった。

「何があった」

「これを返して寄越した」

 堤は、倫太郎から受け取った金子きんすを確かめる。

 小判はきっかり百枚。一枚も欠けることなく戻っていた。喜久も絢も無傷だった。

──ならば、〈狐〉の目的は何だったのか。

 堤は、改めて倫太郎へ向き直る。

 何故、この男を呼び出したのか。

 〈狐〉は〈閻魔の狐〉か。〈白〉とはどのような関わりか。そもそもこの男は、賊と何をしていたのか。

「二木さん、──一体、あんた、何者だ」

「何者でもありません。本当に」

 それは紛うことなき真実であった。

 しかし、堤清吾の疑問は、次第に疑念に変わり始める。

(二木倫太郎とは、何者なんだ)



 和久井屋へ戻ったのは、翌朝である。

 回向院下屋敷で一夜を明かし、夜が明けてから駕籠を走らせた。

 利三郎は真っ赤な目と、憔悴しきった面持ちで二人を迎えた。その横には、手代の松七とお清がいた。

 二人はぐったりとした喜久に駆け寄り、口々に呼びかける。

 やがて、焦点があったかのように、喜久が松七を見上げ、少女のように微笑んだ。

「清史郎さま」

 それは、かつての許婚いいなづけの名であった。

 堤は、無言で聞き流した。



 さて、これで一件落着

 かどわかされた和久井屋の身内は戻り、なぜか〈白〉の動きは消え失せた。瓦版よみうりに書き立てられることもなくなり、悪評高い行方不明の旗本達は、無事に屋敷へ戻った。しかしながら、病いが重く御役を果たすことは難しいと、全員が隠居を願い出ているという。

 結末のあまりの呆気なさに拍子抜けしながらも、世間は事件をすぐに忘れていった。



 和久井屋利三郎の妹喜久、そしてその娘である絢のその後である。

 事件から半年ほどのち、日本橋から仲睦まじく、寄り添いながら旅立つ男女の姿があった。和久井屋の新番頭松七と喜久である。

 大坂に開いた和久井屋を任され、妻の喜久ともども出立したのだ。しかし、そこに少女の姿はなかった。

 拐かされたいた間の出来事を、二人はほとんど覚えていなかった。

──お船に揺られるように、ゆらゆらしていた。

 唯一、絢の証言である。

 和久井屋利三郎は、喜久を今戸の寮へと移し、松助ことかつて松井清史郎と名乗っていた手代を通わせた。

 時が満ちていたのか、拐かされたいた間に何かあったのか、喜久は少しずつ失った時を埋め始めたのだ。

 絢はというと、日本橋小網町河岸かしの和久井屋の店に移り、利三郎の娘として暮らし始めていた。

 喜久が母であることは、未だ伏せたままであるが、聡い娘は何も尋ねることなく、新しい暮らしに馴染み始めているという。



「伊織さん」

 堤清吾は、よろずや吉次宅で顎を掻いていた。事件から十日ほど後、非番の午下りである。

「あの長屋、どう思う」

「深川の花六軒」

「ああ」

 堤はだらしなく寝そべり、かなり際どい仮名草子をめくっていた。

「挨拶がてらに見てきたが、棟長屋らしからぬ備えといい、得体の知れない住人たちといい、大屋の大源寺の和尚といい、ありゃ、絶対にだな」

「どういうでしょうね。堤さんのはこわいからな」

 どうしましょうと促す。

「それとなく気を配っておいてくれ。原という浪人者とも、手間仕事で繋いでおいてほしい。それと、」

「二木様」

「ああ。これまでどんな暮らしをしていたのか。そもそも、あんなところに住むじゃねえぞ、たぶんな」

 百両という大金にさえ、目の色ひとつ変えなかった。

「私は、なんだかあのお人が好きです」

 吉次が、めずらしいことを言った。堤はおのれも同様に感じていることに気づき、苦笑する。

「ああ、俺もさ」

 だが、それとこれとは別だった。

 あの男と長屋。放っておいて危険はないのか。御公儀に、まさか仇なすような徒党になるのではないか。

(まあ、話はもう上へ投げちまったから、あとはどう出るか)

 決めるのはおのれではない。何がどう動いてくるか、それを見てから考えることにした。



 倫太郎の侍者里哉が本復し、床を上げたのも、事件からやはり十日ほど後のことだった。

 季節は卯月。春盛りである。

 障子戸を開け放して春の風を楽しむ。畑も淡い緑色に変わり、菜花が勢いよく伸び始めていた。

「寒くはないか?」

「倫太郎さま、私は幼童こどもではありませんから」

 心配しすぎるな、ということらしい。

「この間、外出されていた日も、一晩中真慧しんねさんが寝ずの番をしていて」

「うん。私が頼んだ」

 心配性過ぎます、と里哉は笑う。そうだね、と倫太郎も笑み返した。

 江戸へ来たら何かしら一波乱は覚悟していたが、思いもかけないだった。

(さて──)

 今後、なにが起きるのか。

 倫太郎が見上げた空は晴天。一筋の雲。番いの雲雀が囀りながら、天へ天へと飛んで行った。




(続く・第一章了)

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