7話 死人の甦り
よろずや吉次が、六軒長屋の原賢吾へその話を持ってきたのは、倫太郎が引っ越してから四日目のことであった。
「つまり、用心棒ということだな」
「左様でございます」
賢吾はあごを掻いた。
「お気に召しませんか」
「いや」と答え、直ぐに「わかった」
と頷いた。
「おまえが持ち込む話だ。面倒はあるまい」
「ありがとうございます」
「第二の役目とはなんだ」
「間諜、でございます」
さらりと言った。
「間諜、か」
話はこうである。
小網町河岸の廻船問屋
そこで腕っ節に自信と、人物に信用のある浪人者を探し始めた。出入りの手配師から口入屋に、そこから吉次へ。そうして原賢吾へ行き当たった。
と、いうのは表向きで、和久井屋から南町奉行所の定町廻り同心堤清吾へ相談があり、吉次へと話が振られた案件だった。
「俺は、和久井屋の間諜か。それともおまえの間諜か」
吉次は、ただ笑んだ。
「子細は聞かんが、そもそも俺で用が足りるのか」
「そこでございます。まさか、原様がとは、どなたも思いますまい」
褒められているのか、そうではないのか。
「特になにかを探って頂く必要はございません。見聞きしたことを教えていただければ十分。ご面倒はおかけしません」
「ひと月か」
「はい」
吉次は、懐紙の包みを差し出した。
「なるほど。ただの間諜ではなさそうだ」
「とんでもございません。手前も和久井屋さんから十分に頂きましたので」
こうして、原賢吾は和久井屋の用心棒として、
それが、芝口の
掛札場とは、迷子が多い江戸の町で、八代将軍吉宗が設けた捜索用の告知板だ。迷子や身元不明人の特徴を、七日間貼り出すことができる。
しかし、今回そこに
そうして半紙に小柄。
──白、参る。
「さあ、ここからが大騒動の始まりだ!」
早速
「迷子が戻るは嬉しいが、今回はなんと、死人が生き返っちまった。葬式も済んでいて困ったのなんのって。詳しくはここだよ。ささ、こっから先は買って読んどくれ!」
「倫太郎様、これ本当ですか?」
二木倫太郎とその侍者里哉、そして日本橋の旅籠、
明けて翌日、大通りのきわで、擦りたてのよみうりに目を通している。
「里哉さん、ばっかねぇ。よみうりがそのまんま本当のわけないじゃない」
「わたしだって、ぜんぶが全部本当とは……」
怪異、妖異、噂話の
「みせてごらん」
倫太郎はさっと目を通し、首を傾げた。
「これが本当だったら困っているだろうね。病死と届けたことが嘘になるわけだ。すでに家督は弟が継いでいるにしろ、なんでこうなったのか、申し開きをせねばならないだろうなあ」
「倫太郎さま、それってまずい?」
「まずいことになると思うよ、たぶん」
「お武家は大変ねぇ。町方だったら、親戚みんなで話し合えばすんじゃうのに」
「こうやって町中が知ってますから、もう内緒にもできないですね」
原因はひとつ。
手元の摺物でも真ん中に絵入りで縄打たれた侍。その胸元に小柄に半紙。
──白、参る。
「掛札場に縄打たれて昏倒していたのは、前御納戸組頭の牧野様とのことです」
南町奉行所の奥まった一室である。
「お奉行もご存知のとおり、この牧野様、先般より
「それで、家督はどうなった」
「弟の親永様が継がれ、先日、
「済んだのか」
御目見とは、大名、旗本が将軍家に直接拝謁することを言う。特に相続人である嫡子の御目見は、その立場が公的に認められたことを示していた。
「なんとも絶妙の時機だの。それで、その牧野だが、どのような人物か」
「うわさ、でございますが」
堤は念押しした。
「すこぶる悪評高い人物で、むしろ」
「攫われ、牧野の家はほっとしていたか」
堤は頷いた。
「それで、おまえの筋はどう見ている」
「
「その悪評に繋がりはあるのか」
「それは、まだ」
「──お奉行」
内与力の小原が、隣室より声をかけてきた。大岡は目配せし、堤を下がらせた。
「小十郎か。入ってくれ」
髷も細くなりかけた、どこかのんびりした風情の人物である。
内与力とは、世襲与力五十騎とは別に、奉行個人の秘書役として設置された役目である。奉行の家臣や特に任命された者が務めた。
小原小十郎は五人の内与力のなかでも、特に古参の家臣だった。
「今のは定町廻りの堤ですな。また、隠密廻りのような真似をさせて」
危ないことをさせるな、とでも言いたいらしい。
「
大岡にとっては、それも頭が痛い。
「騒ぎがこれ以上大きくなるようならば、放ってはおけまい」
「御支配違いとも言ってはおられませんな」
事実、吉宗の側近から事件の詳細を求められている。
「おまえの方でも、奉行所内でのうわさに気を配っていてくれ」
不在が多い大岡にとって、小原は信頼できる耳目でもあった。
「承知しました。──ところでお奉行」
小原は膝を進め、本題に入る。
「先般、佃島で海釣りをいたしましてな。これが、まあ大変な大漁で」
「陽堂先生」
夜分、戸を叩く者があった。
「あら、吉次さんじゃない」
戸を開けたのは、おふくだった。
「よかったら、お茶でも飲んで……」
目の前に立つ美貌のよろず屋に、ほんのり頬を染めた。ちょうど陽堂から、恋占いを教えてもらっていた最中だった。
「吉次どの、どうされた」
灯火を背に、陽堂がぬっと現れる。
「夜分に申し訳ありません。原様は戻っておられますか」
「いや、吉次どののしごとで、しばらく出かけると申されていたが」
ひと月ほどかかるかもしれないと言い置いていた。
吉次は一瞬ためらった。
「実は、昨日から原様と連絡がとれないのです」
「しごと先ではありませんか?」
「昨日より来ていないと」
用心棒先の小網町河岸の廻船問屋
「それは妙ですね」
奥から、聞き慣れぬ声がした。若い武家だ。陽堂の客か背筋を伸ばして座り、こちらへ顔だけ向けている。灯火でぼんやりしているものの、声の調子から闊達で人好きのする人物のようだった。
「あなた様は?」
ああ、と小川陽堂は手を打った。
「吉次どのとは初めてですな。こちらは
「二木です。どうぞよろしく」
若侍は、にこりと笑んだ。
(続く)
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