6話 そして花見の宴
翌日は、まさに引越し日和であった。
二木倫太郎とその侍者里哉は、良徳和尚を伴って、寺から三町先の六軒長屋へ引っ越した。
特に荷物はない。道中の荷は、すでに
代わりに良徳から持たされたのは、米と味噌だ。倫太郎はそれを背負ってのんびり歩いていた。自分が運ぶといった里哉へ、
「お里は、書を運びなさい」
先に立った倫太郎に、里哉は良徳にもらった書物を抱え、必死について行った。
「ああ、里哉どの。あれがおすすめの米屋でしてな、その向こうの青物屋はいい品を揃えておる。なによりも夫婦そろって働き者だ」
道すがら、良徳は暮らしの
やがて通りを一本入り、昨日の路地をたどっていくと、木戸の向こうに佐々凛が立っていた。今日はきちんとした身なりに、白い筒袖の羽織のようなものを羽織っている。
「おまえ……、倫太郎か?!」
女医者は叫ぶなり、裾を蹴散らして駆け寄った。二十歳を過ぎた
「本当に、倫太郎か? こんなにデカくなって、おまえ、ほんとに、本当に、倫太郎か?」
確かめるように、身体の前後をペタペタ触る。
「お凛。変わらないねぇ」
のんびりとした当人の口調に、きっと上向いて睨みつける。
「おまえもだ。そのトロいところは相変わらずだな。あ、あの時、どんなに心配したか……っ」
あとは言葉にならない。泣いているのか、笑っているのか、怒っているのか。顔中をドロドロにして、その顔を倫太郎の胸元に擦り付けた。
木戸の先には、小川陽堂が待ち構えていた。
「二木倫太郎殿ですな。大家の小川陽堂です。わからぬこと、困ったことがあれば、何でも言ってくだされ」
「倫太郎様、こちらです!」
里哉が手招いた室は、北側の真ん中だ。二階で二間に狭い土間と賄いの流しがついている。真新しい畳のよい匂いがした。
目を引いたのは、開け放たれた障子の向こう、畑の真ん中にある満開の桜である。
一幅の画のように、今を盛りに花弁を散らしている。
「花六軒の謂れが、あの桜でしてな」
倫太郎と里哉は荷物を置き、良徳と並んで一尺ほどの濡れ縁に立った。
「見事ですなあ、御坊」
畑はまだ白茶けているが、直に青々と茂りそうだ。
「おーーーーーい」
その桜の下で、ひらひらと手を振る人影があった。
桜の下に
「真慧どのは、昨夜から忙しく支度をしておられたようですぞ」
陽堂が言うのは、料理のことだろう。
「凛センセ、昼飯だ!」
それを合図に、良徳和尚や小川容堂だけではなく、おふくや他の住人たちが、わらわらと湧くように姿を現した。
「行くよ、チビ」
「チ、チビっ!?」
里哉は金魚のようにパクパクと口を動かしながら、あわてて凛の後を追った。
「牛若」
歩み寄った倫太郎に真慧は腕を組み、じろりと睨みあげた。背は、倫太郎の方がわずかに高い。
「久しぶりだな」
「おまえにまで迷惑をかけるはずではなかった」
「わかっている」
「しばらく、やっかいになる」
「そうか」
真慧は笑んだ。遠目にもわかる、滲み入るような笑みだった。
春の日差しの中、舞い散る桜の元で、倫太郎が皆と笑い合っている。
その光景は終生、里哉のこころに残ることとなる。
(続く)
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