4話 よろずや吉次
よろずや吉次は、文字通りの便利屋である。
──よろずひきうけ
住居の外には、小振りな木札がさがっている。〼の字の横に酒徳利のいたずら書きがあるが、どう見てもヒラメの逆立ちだ。
通りから一本入った間口の狭い借家で、瀟洒な割に、なんとはなしに胡散臭い風があった。
その吉次の元へ、南町奉行所定町廻り同心 堤 清吾がやってきたのは、弥生も十日を過ぎた頃合だった。
「伊織さん、いるかえ」
イオリさんとは、吉次のことらしい。曖昧な
「どうしました」
(相変わらず人の気を読むのがうまい)
堤は独りごちながら、招かれるまま中へ入った。
住居のあるじは、二十代半ばの町人である。地味ななりをしているが、一筋すっと通ったものがある。
なによりも目をひくのは、その容姿だ。
女顔といってもよい秀麗な容貌に薄く笑みを浮かべている。
なにを考えているのかわからない──よくそう言われる笑みだ。
「このところ姿を見せねぇから、心配していたんだが。調子はどうだえ?」
「調子もなにも。堤さんの仕事で留守にしていたことを忘れましたか?」
「忘れちゃいねぇさ。帰ってきても挨拶にも来ねぇから、気鬱の病がぶり返しでもしたかと心配したのさ」
伊織は笑みを深めた。
「まあ、いろいろとあったので」
それ以上の詮索を避けるように、ところで、と切り返した。
「なにか足りませんでしたか? 留蔵さんへお伝えしたこと以上には、まだなんとも」
「それとは別件だ」
堤は小さな庭に面した敷居ぎわにどっかり腰を下ろした。障子が開け放たれて陽が注ぎ、なんとも気持ちがいい。
「伊織さんよ、お前さん〈白〉のこと、なにか聞いているかい?」
ああ、とかすかに眉を寄せた。
「あれは、御支配違いではありませんか?」
伊織は角火鉢で沸く湯を注ぎながら、ふと手を止め、代わりに奥から酒徳利を持ってきた。
「こっちにしますか?」
酒か白湯か。
──聞くまでもない。
湯呑みに冷酒を満たし、手渡した。
「やらねぇのか?」
「
伊織に探索のいろはを教えたのは、堤清吾本人だった。
それをもとによろずや始め、今では知る人ぞ知る、腕利きの密偵となっていた。
「あれは、厄介そうですよ」
「どう厄介なんだ」
言葉を選ぶように目を宙空へ向けた。
「恨み、つらみ」
「ふん」
「金子ではありません」
「なぜだい」
「危険を犯しすぎている。世間に知れ、とばかりですよ。それに」
と、笑った。
「旗本や小大名の賄い方は火の車。金子が目的ならば、商人にすればいい」
「順当だな」
と、堤はどこか嬉しそうだ。
「で、どうする」
「これ以上は掛りがでますが、よろしいですか?」
どきりとする上目遣いで、伊織は言った。
「ひでぇな。師匠筋からもカネをとるのかよ」
「それも堤さんからの教え。それに、この一件は危なっかしい」
堤は、懐紙の包みを渡した。
「危険手当込みだ。しかし、命は掛けるな。まずいと思ったらすぐに引いてくれ」
「私に大望があることは、堤さんがよくご存知のはずだ」
夜陰の月のような笑みを浮かべ、伊織は引き取った。
「足りなければ言ってくれ。この件の財布は俺じゃねぇ」
「ますます
誰、とは聞かない。いつものことだ。だか、堤は逡巡した。
──言っておくべきか。
この男にしては珍しい。
先んじたのは伊織だった。
「言わないでください。聞くとかえってよくなさそうだ。私は堤さんのために動く。堤さんは、私を金子で雇う。それが一番単純で、わかりやすい」
「そうだな」
万が一を思って同意した。しかし、その万が一が起きてはいけない。
「この件の調べは三日に一度、必ず知らせてくれ。俺がいない時は、留蔵へ繋いでおいとくれ」
堤が最も信頼する、五十絡みの御用聞きである。
「おお、怖い」
いつにない慎重さにふざけて見せながら、伊織の目はしっかりと頷き返していた。
(続く)
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