3話 蝋梅の寺
大源寺は、福島橋に近い浄土宗の寺である。
さほど広くもない寺領に、こじんまりとした本堂と
創建は寛永六年。
しかし度重なる火災で焼失したため、定かな寺歴はわからない。
大源寺は深川界隈で、梅の寺としても知られている。
大火でも焼け残った木に、毎年蝋細工のような
時期になると近隣の町民らが酒や菜やらを持ち寄り、盛大に花見で賑わうのだ。
良徳和尚は花が落ちた庭で、
と、門前の賑やかな気配に、道具を置く。
簡素な山門をくぐる若い侍と、さらに若年の従者が楽しげに問答していた。
(あれか)
一人は十二、三の少年で、大きな眼鏡をかけ、子犬のように落ち着きがない。和算の天賦があると聞くが、
──それを活かせる道に進めればよいがな。
才と生まれ、立場の不一致はよくあることだ。
もう一人の若者は、穏やかに微笑みながら、子犬の意見にいちいちもっともだとばかりに頷いている。
その鷹揚さはもちろん、人品骨柄の秀でた様に、
──みな困っておろうな。
苦笑しながら、此度の一件に関わる面々の心情と苦労に思い致した。
と、若者がこちらに気づき破顔した。
良徳は目を細め、思わず笑んだ。ふと重なる面影に、どうにも懐かしさを抑えきれなかったのだ。
「良徳和尚でございますか?」
「さよう。二木様でございますな。ようお越しくださった」
若者──二木倫太郎は早足で歩み寄り、折り目正しい所作で頭を下げた。
「この度はお世話になります」
「なんの。世話ほどのことはできませんが、よい寝床はお貸しできましょう」
「それはなによりです。江戸は不案内な田舎者ゆえ、御坊のお導きが頼りです」
意外に、世慣れているようだった。
「宿はもう引き払いましたかな」
「本日はまず、ご挨拶をと思って伺いました」
江戸で投宿しているのは、里哉の父親から紹介された
「では、人を遣って荷物を届けさせましょう。二木様は、このまま鄙寺へご逗留くだされ。その後、新しい住居へご案内しましょう」
「承知しました。──ところで御坊」
と、庭を振り返る。
「これはすべて蝋梅ですか?」
「ロウバイ?」
里哉が、不思議そうに問い返す。
「唐渡りの花木でね、薬効もあって煎じれば鎮咳、解熱。油に浸せば火傷に効くそうだ」
「へえ。江戸は火事が多いと聞きますので、役に立ちますね」
懐から帳面を出し、書きつける。
忘れてはならぬことは、すべてこうしていた。
特に倫太郎のことは、己のことよりも重い。
「若。あ、り、倫太郎様が花木に詳しいとは知りませんでした」
記憶には自信があるのに、と首を傾げながらも、
「観察してきてもよろしいですか?」
「よく見ておいで」
「はい!」
里哉は背伸びをして、若芽が伸び始めた蝋梅を見上げる。その姿を遠目にしながら、
「母御ですかな」
唐突に良徳が尋ねた。
倫太郎は、否とも
「左様か」
良徳は茶を入れましょうとだけ言って、倫太郎を促した。
「上野で面白いものを見ました」
一服したのち、楽茶碗を手元でもてあそびながら倫太郎が言った。
「ほう。見世物ですかな」
上野広小路は怪しい見世物小屋が立ち並ぶ。軽業、曲乗、生人形。果てはオオイタチだの──。
「人攫いです」
「人攫い」
「はい。武家の駕籠から、知らぬ間にかどわかされたらしい。妖術か、狸に化かされたのか、町方では連日大変な騒ぎです」
無論、良徳も聞き及んでいる。芳しいうわさではない。
「あれは、何者でしょう」
倫太郎は心ここにあらず、という様子だ。
「
「二木殿、人を攫うなど、褒められた者ではありますまい。君子、危うきに近寄らず、と申しますぞ」
良徳は、嗜めるように言った。
「私は君子ではありませんが。御坊の教え、もっともです。それに、危ないことは嫌いだ」
疑うに十分なものいいだった。
「それがよろしかろう」
──
好奇心ほど厄介なものはない。
倫太郎の場合、文字通り身を滅ぼしかねない。
(物見だかいのも親譲り、──で、あろうなあ)
ならば、どうやって鈴をつけよう。
ニコニコと笑いながら、かつて見知った“親”の姿を思い浮かべ、良徳は思案し始めた。
(続く)
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