その三 幼馴染、お凛と真慧


 花六軒に住まう輩は様々である。


 もっとも早起きなのは破戒坊主の真慧しんねだ。

 なんでも西国の古刹こさつに稚児より勤め、十六の年に出奔したとか。

 理由は黙して語らぬが、言動と不釣り合いな優しげな容姿に、いつも女の姿が絶えなかった。

 朝起きが先か、後朝の別れにサッサと蹴りをつけたいのか。向かいに住む女医者の佐々凛は、絶対に後者であると断言していた。


「つまりさあ、せんせ」


 真慧しんねは、さながら患者で戦場と化している凛の住まい兼診察室で寝転び、カリカリとあごを掻いた。


 凛先生の家は、さる家中で代々御典医ごてんいを勤めたが、度重なる大名改易かいえき、御家お取り潰しに伴い失職、江戸で裕福な町人相手に開業して大成功。

 男ばかりの兄妹の末っ子で、実家のに目を瞑りきれずに出奔。細々と長屋で医師をしている。世にも奇特なおなごであった。

 細い身体に目ばかり大きな容姿は、黙っていれば〝可愛らしげ〟なのだが、真慧に言わせると

「あいつは栗鼠りすだ」

 怒らせたら、獰猛なることこの上ない。


 しかしこれがまた大繁盛。診療代はあるとき払い。物納推奨とかで、流し際には野菜やら、干し魚やらが山と積まれていた。


「うるさい! そこを退け!」

 凛が叫ぶと開け放した戸の外で、生後半年あまりの赤子が火がついたように泣き出した。

 母親はたいそう若い。オロオロと心配そうにあやしている。


「ほーい、ほいと」

 真慧は母親から赤子を受け取ると、背中をひと撫でした。どういうコツかピタリと泣き止んだその間に、凛が素早く赤子の腹を診る。

「便通は?」

 柔らかく腹を撫でながら、母親へいくつか注意を伝えて煎じ薬を含ませた。それがたいそう美味いのか、赤子は口をパクパクしながらもっととねだる。

「次!」




 その日の診療がひと段落したのは、昼八ツ(午後二時)を過ぎてからだ。

 凛は真慧が作った雑炊をかっ込みながら、

「御坊から知らせが」

 とだけ言った。

「まあ、仕方ねえな。おいらの役目は飯炊きだよな」

「昔からね」

  真慧は目を細め、どこか遠くを見た。昵懇じっこんの女どもが涼しいと騒ぐ目だが、凛に言わせれば、、である。

「しかしまあ、なんでそんなことになっちまったんだか」

「本人に聞くしかないわね」

 鍋の最期のひと匙を頬ばり、

「昼寝する」

 とその場で横になってしまった。

 真慧はいそいそと布団を掛けてやると、守るかのように背を向けて座り込んだ。

「まあ、面白くなるわな」

 返事はなかった。



(続く)

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