第62話 34日目

 扉の隙間からの光の差し込みで身を覚まし、人がいないのを確かめて、顔を洗い水浴びをした。

 身なりはそれほど乱れていないし、汚れも少ない。

 あの世界は現実ではないからなのか?

 多くの建物が立ち並ぶ方へと足を向ける。

 街の一角だ。

 霧が立ち込め、人気はないが死んではいない。

 さもしいが、食べ物はないかと探してしまう。

 ふらふらとしていると鼻腔をくすぐるにおいが漂っていた。

 おいしいにおい!

 導かれて釣られて行った。

 裏路地だ。多種多様なにおいの中に、腹を満たすのを嗅ぎ取り近づく。

 籐の籠を慣れた動作で運ぶ女性とばったり出会した。

 籠の中には焼きたてのパンがが山盛りだ。

 ぐっきゅるるるるぅ。

 メルスはその場にへなへなとへたり込む。

「あらあらあら」

 女性は快い笑顔でメルスに言った。

「中に入りなさいな」


 食堂兼宿屋といったつくりだろう。

 陽の光が差し込み始めて、木のテーブルと椅子を照らしていた。

「そこに座って……横になっててもいいわよ」

 くたら、っとメルスはテーブルを枕にすーすーし始める。

 食欲をそそるにおいが漂ってきた。

 半眼でヨダレが垂れそうになりながら腹を鳴らす。

 女性は肉と野菜の炒め物とスープ、多めのパンをトレイで運んできた。

「おまちどおさま」

 ご馳走を前に、メルス、

「……いいの?」

「召し上がれ」

 遠慮も知らずがっついた。

 スプーンやフォークを使えていたのがせめてものマナーだ。

 瞬く間にほおに食べ残しをつけながら平らげてしまった。

 女性は次に、パイ包み焼きと野菜の盛り合わせを持ってくる。

 これも瞬殺する。

 食べっぷりを見ていて、そういえばまともなものをしばらく食べていなかったなあと惚れ惚れだ。

 合わせて七品目を食べ切り、メルスのお腹はぽこんと膨れた。

「眠たくない?ならあなたちょっとにおうから水浴びしてきなさいな。裏手に水場があるわ。私のだから気兼ねなく使ってちょうだい。さあさあさあさあ」

 言われた通りメルスは水場で身体をゴシゴシ洗い、汚れを落としたのだった。

 戻ってくると女性が服を用意して待っていてくれた。

 立派な街娘の装いだ。

「じゃあまずは掃除からやってもらおうかしら」

 そうなると思ってましたよ。

 モップを手に立ち尽くすメルス。

「……できない、です」

 多少厳しかったが手取り足取りやり方を一から教えてくれる。

 メルスに合った教え方で、知悉しているお母さんかと勘違いするほどだ。

 体力はある方だったので、元気よくしているとミスをしても温かい目で見てくれていた。

「じゃあ今日はこれだけ覚えて。来る客に“いらっしゃいませ”と帰る客に“ありがとうございました〜”だよ」

 よく見ると服は給仕用だ。

 それでもメルスは嫌がっていなかった。

 それどころか楽しそうだ。

 ソム!仕事ができるよ!

 重畳だ。

「おはよーございます」

 赤毛のそばかすの少女がやってくる。

「いらっしゃいませ!」

 少女は怪訝な顔で、手の甲でをしっしっとやり、

「おはよう。あたしはここの従業員だから、次から気楽なやつでいいから」

 そのまま奥へと入っていく。

 ぽかんとするメルス。

 メルス、一緒に働く仕事仲間のことだ。

 ここはたくさんの人間がいそうだ。メルスにとって新鮮な環境となるだろう。

 忘れていたことだが、メルスにここがどこだか聞いてもらった。

「ダラスキアのザムクードだよ」

 なんと!故郷だ。

 思えば遠くから来たものだ。

 周り回って本当のはじまりの地に立ち直した。

 これは運命の悪戯だろうか。

 何かが俺を引き寄せでもしたのだろうか。

 先ほどの少女も給仕服へ着替え終わり、程なくして店は開店した。

 客が入ってくる。

 間髪入れず、メルスがいらっしゃると言う。

 客はメルスに注目する。

 にこっ、とメルス。

 客はメルスのその容姿に惹かれたようだ。

 惚れたのではない、メルスは規格外だったということだ。

 これまで比較対象が皆段違いだったから俺の目も慣らされていたが、メルスはそこらでは敵わない美少女だったわけだ。

 次々やってくる客の羨望にあって、メルスは戸惑っていた。

 ――しばらくすれば慣れるだろう。

 一生懸命な姿を肴に、偶然の幸運を噛み締めていた。

 ――このままここで。

 驚くことに、次は明日ではなく1週間後になる。

 34日目終わる。

 

  


  

 

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