第60話 32日目続き

 メルスの身体が大きくのけぞり、跳ねた。

 目は閉じられ、ふらふらしている。

 再び、びくん、びくんと身体が反応する。

 よだれが口からだらしなくツーと垂れてくる。

「……なぜだ」

 その姿はなんら中の意図を持って自然な舞を繰り広げているかのよう。

 身体が反応するたびに、メルスの表情は無へと還る。

 滅ぶ、と言う言葉は適切ではなかった。

 なぜなら、どんなものにも可能性の芽はひっそりとしめやかにあるものだったから。

 隔てることとまじることは安易ならず、かといって雑なるままも久しからず。

 ままならぬ中、嵐の吹き荒びにあってなお懸命に飛ぼうとするものがその先を知りうるのだ。

 メルスは生来の意識の足場の上に乗っていた。

 それはごく当たり前の配置で打たれていた言葉だった。

「しった……」

 それで何もかもがその裡にきした。

 追い払うでも、打ち負かすでも、取り込むでも、しかしてそのままでもなかった。

 メルスが一番嫌っていたものが、一番彼女を救いうるものであった。

 それは確かに、一部であり核心であり続けるのだ。

 ――だいこんは「当たらず」、「新しい」を貰い受ける活力そのものなのだ。

 どこかでムン、ネビュラさんの、夜子さん、遠くてすぐに近くで囁く力強い意志が入り込んでいた。

 ――静かになった。

 苦しそうだった。

 でもそれは痛みからではなく、相手を思うがゆえと悟った時、内と外は弾けた。

 数え切れぬ助けと自らの勁き心によって、もしかしたら最も難しきイベントホライズンを抜けていた。

 思わずメルスは腰を落としてへたり込む。

 肩で荒く息をしている。

 額にに玉の汗が浮かぶ。

 俺の方もふんじばるので精一杯だ。

 反動は後から、一挙に押し寄せてきたのだ。

 ハアハアどちらも喘ぎながら、消息不明の魂に思いを馳せた。

 ――無かったことではなかった。

 記憶には居座り続けるが、いずれ砂の楼閣となるのだろう。

 不覚だが少し動いて壁に寄りかかったまま眠り込んでしまう。

 短くも永い戦いだった。

 意識の深く、ヴァーチャルにのんびりと草原を戯れた。

 どうやらこの世界は根付いたようだ。

「ソム、大きいよ……」

 どんな夢だ、夢の世界で見る夢とはこれいかに。

 ヴァーチャルでは1年間ダラダラ過ごした。

 現実では2時間くらいだろうか。

 ふー。

 互いに状態を確認しあって、大きく伸びをした。

 ――うん、踏ん張れる。

 メルスも身なりを整え、進んでいくと円形状のだだっ広い空間に出た。

 天に向かって突き抜けている。

 たくさんの鳥が激しく飛び交っている。

 風も入り込んでいた。

 ここは……。

 まるで天に空けられた穴だ。

 ん……。

 風の出入りが激しい。

 中央から、ごうっと気流の本流が目に見えた。

 ソム、たぶんだけど。

 おう、俺も思っていたところだ。

 「「逆さ穴だ」」

 これは上向きのこの世界からの出口なのだ。

 風が強まり、鳥たちがよりダイナミックなダンスを踊っている。

 メルスは身体のものをしっかりと結びつけ、固定させた。

 迷いなく空間の中心へと足を運ぶ。

 中心は恐ろしく静かだった。何もかもが鎮まっている。

 上を見るのと、鳥たちが騒いだのが同時だった。

 想像もしなかった風圧が下から上へと吹き上がる。

 身体が持ち上がった。

 浮かんだ、飛んだ。

 ふわっとして、それから一挙に空へ向かって飛び貫く。

 鳥もまとわりつき上昇を助けていた。

 雲が見え、あっという間に中へと入り込む。

 速く、もっと疾く。

 ズギュンと闇き裡へと突き進む。

 星だ……。

 まだまだ上へと通じている。

 目を閉じた。

 爽快だ。

 少なくともメルスはそう感じているようで、表情から読み取れる。

 周りが速すぎて光の回廊と化すと、意識が迫り出している感覚に襲われた。

 小石ボディからはみ出した感覚は異質としか言いようがなかった。

 やはり、意識と身体は不可分なのだ。

 我々は意識を何か浮いたような体感として捉えているかもしれないが、それはあくまでも内からの把握のようなもので、意識は常に身体とペアを組んでいる。

 俺が強く思うのは、精神体というものもボディイメージがあって成り立つものではないだろうか。

 このちょっとしたズレだけでも本質に関わる省察を得ることはできた。

 何より今の自分がメルスの意識と並んで見て、どれだけ差異があるものか感情の意味で意識してしまう。

 それでも人間であろうとするのは習慣だろうか、固執なのだろうか。

 孤独を恐れる。

 誰だって1人は嫌だ。次なるステージに新たな仲間がいるのかもしれないが、それだって可能性の話で不確かこの上ない。

 そこは異人たちの踊り場であるかもしれないのだ。

 元来精神は安定を求めていて、新し物好きではあるけど土台があって、ホームがあって足を伸ばすこともできるものだ。

 上昇と安定のジレンマというやつだろう。

 身体由来ならば尚更なのだ。

 人間は自ら牢獄にいるのを望んでいるのだ。

 俺も首の皮一枚で繋がって安心している、やはり人間なのだった。

 翔ける光の束となり、事象面を突き破った。

 別世界、現実への相転移だ。

 32日目終わる。

 

 

  

 

  

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