第55話 30日目

 火の手が大地を舐め回していた。

 宙を馬車や飛竜、屋敷が飛び交っている。

 煙があちこちから立ち上り、怒号が唸っている。

 ――何があった?

 自分たちの馬車は渦中にあり、テルティ=妖精はその一端を担っていた。

 竜人、鬼人、魔人までもがこちらへ向かってくる。

 テルティ=妖精が舞うように空を薙ぐと、糸が切れたかのように次々と倒れてゆく。

 大粒の汗玉を吹き出し息も荒い。

「遅かったね」

 俺は首飾りに戻るかと思いきや、テルティ=妖精のそばに猫として、ふらふらとするメルスを伴って現れ出でる。

 今までいた場所よりはマシだ。

 緊張から一気に弛緩した間が訪れた。

 猫が意思に反して後ろ足を広げ、尾をピーンとあげ、踏ん張り始めた。

 おい、もしかして……。

 ぶりぶりぶりぶり。

 穴違いで不浄なるままに、この世に新しく生まれ出でた。

 すっきり爽快顔の猫はメルスを見るやギッと目を細め暫し睨んでいたが、フイっとそのままどこへやら駆けていく。

 ばしゃ。

 急にシャッキリとしたメルスが水袋から水をかけ、着ている服の端でごしごし擦る。

 テルティ=妖精が香り粉をかけてくれた。

 ぎゅっと、優しくもある握り抱擁をしてくる。

「……!」

 泣き叫びはしなかった。

 もっと深い、果てのない心が伝わってきた。

「感動の再会のところで悪いんだけど、急いで」

 メルスに大丈夫か、と。

 うん。

 まだふらついているが、足元はしっかりしている。

「かなり価値あるものと思っているみたい。気が付いた連中が互いに争いながら向かってきているわ」

 一体どういう……。

「この上ない存在が目をつけていた商品がワタシも含め勢揃い。欲しくなるのは当然でしょ?」

 ワタシも?

「ワタシのいた洞窟は概念によって構築された、とても重要なある場所だったの。その一構成要素として、ワタシはいた」

 あそこはなんだったんだ?

「世界に最も近い。意識と意識が発生するトポス」

 くらっとメルスがよろめくのを、テルティ=妖精は抱き止めた。

 愛おしく微笑むと、包み込むように唇と唇を重ねた。

 数秒が永遠に思われた。 

 名残惜しく糸を引いて唇を離すと、メルスの瞳がバッチリ開かれる。

 身体のふらつきがまったく無くなっている。

「何、これ!」

 フンフン身体を動かし、くるくる振りをつけて回っている。

「精力の息吹。良かった、効いてくれて。あなたにはどうなるかわからなかったから」

 妖精の姿に戻っている。

 かなり弱々しく見えた。

 言葉をグッと飲み込んで

「ありがとう」

 とだけ。

「逃げ場所はあるのか?」

 この質問はしたくはなかった。

「この物語ははじまりから巡っている。ワタシは意識を代弁するもの。昂進が次なる物語を呼び込む……」

 尋常ならざるものたちが迫ってきていた。

「どうすればいい!」

「握りつぶして」

 メルスも顔が曇っている。

 この状況でご機嫌なやつなどいない。

 誰もが状況を変えようと必死なのだ。

 それでもこの選択肢は拒否反応が起きた。

「それでどうなる?」

「解放された力はまわりのものをこの世界からシフトさせるわ。構成されているものごと異界へと送り込む。ねえ、もうこのままでこの世界にいてはだめなの。力ある存在はどこへいようとも嗅ぎ取ってしまう。異界へと渡る過程で、いったん構成されている要素を洗い直さなくては」

 時間はそんなに残されていなかった。

 だがメルスにそんなこともさせたくはない。

 ふわふわと妖精はメルスの手のひらに収まる。

 メルス、戸惑っている。

 それもそうだ。

 罪なき者の殺生はしたことがないのだから。

「アリでもちびり潰す感覚で」

「あったかいよ……」

 手に持ったままメルスが涙ぐんだ。

 アタマの中で懸命に手繰り寄せている。

 世界、世界、別世界……。

 世界はどこまでついてくるのだろう。

 ネビュラさん、あんたならどういう……。

 !

「なあ、妖精。まだ名を聞いてなかったな」

「ディーだよ」

「なあディー、媒介とするものや、親しみ深ければ別世界移動は死ななくてもいいのか?」

「理屈ではそうだけれど……それは難しいよ!そんな経験なんてどこにもない!」

 ニヤリ。

「それがあるんだ。それもとびっきりの異世界。媒介もある」

 それはなに、と身体全体で促している。

「ゼムクリアン」

「!なぜ、その世界の名前を知っているの?」

「俺たちはそこにいたんだ。どうだ、できそうか?」

「とびっきりの世界だよ!わかった、ワタシをそのまま持っていて!」

 ディーが集中し、力を開放するとそこを中心に目に見えないさざ波が立った。

 魔手はすぐそこまで迫っていた。

 すべては一寸のうちに終わり閉じられた。

 何もない空間をあらゆるは殺到し、衝突しあって相転移を起こす。

 残ったものたちはすぐさま感覚を研ぎ澄ますが、対象の影さえももはや残っていないのだった。

 30日目、日を跨ぐぞ。


 

 

 

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