第54話 29日目続きの続き

 なんとかして自分の側に持っていきたかった。

 それにおぼろげながらも、天秤にかけるものがなんであるか知っていた。

 それがつまり俺を規定しているからだ。

 かけるのは、まさに今、ここでなのだ。

「取引がしたい」

 話の腰を折られたことで、子供はやや不機嫌に眉を吊り上げた。

 女の子だ。

 大好きなぬいぐるみを取り上げられた誰かを想起させた。

「なに?」

 間が開く。

 力強い言葉を、相手に叩きつけたかったからだ。

「物語だ」

「は?」

 明らかに場違いだとでも言わんばかりの、突拍子のないその言葉は明らかにカオスを生み出していた。

 ――俺にとってはこれが最大だ。

「だから物語だよ。俺の物語を売りたい。物々交換に使うのさ」

 沈黙の中にただならぬエネルギーを嗅ぎ取っていた。

 子供は身じろぎひとつしない。

 いや、できないのか。

 場の圧はこれほどまでに高まっているというのに。

 子供の肩にこれほどと言って過言ではない緑の小鳥がいつの間にかいた。

「バイキャクノシハライフカノウ〜

バイキャクノシハライフカノウ〜」

 高らかに宣言していた。

 子供はやっと声を絞り出した。

「……いつ、分かり得た」

「俺は俺のやりたいようにやるだけだぜ」

 これは実に巧妙で絶妙な駆け引きだった。

 早過ぎてはかちにならず、遅すぎると向こうに主導権をすべて持っていかれてしまう。

 俺の人生の中でもトップクラスの試されだった……に違いない。

 メルスの笑顔が思い浮かんだ。

「俺が、なんだって?」

「……お前は世界の秘密を覗いたのだ。小石になる前の姿でな。詳しくは言わない、また訪れるかもしれないからな。普通はそこでアセントが起こる。わたしたちと同じ、上の存在となるのだ。ところがお前はなぜかそれを拒否した。そのまま去ろうともした。……世界にはバランスというものがあるのだ。たとえ知識でも、大きすぎるものは過ぎたるもの。世界はわれわれに助力を求め、落としどころをはかったのが、今のお前の姿というわけだ」

 また世界に触れたかもしれないことは、黙っておいた。

 随分と込み入った迷路の中にいるようだ。

「世界との関わりを持ち、排されてもなお、力点のように振る舞うものもある。われわれはそのようなものを、“突き出し”と呼んでいる。なお世界の律からはみ出そうとする存在のことだ。そのようなものは、いろいろと引き寄せるものであるし、理解に苦しむ現象も起こしうるのだ」

 まるで厄介者扱いだな。

「お前は人間に戻ることもできる。だが、普通ではいられない。上人(オーバーロード)として生きねばならなくなるだろう」

「なんだ、それは?」

「別の言い方で言うと半神、メトセラだ。どこぞの集団なりに崇められるかもしれん。めんどくさいぞ、いちいち望みを聞いていくのは。だから大抵は極地か僻地に隠遁する」

 人間ではあるけれど高みにいる。それでも人間の姿が欲しいのか。

 意識というものは、人間が出発点としてあれば超え出ようとも十分ではないのか。

 そもそも人間は変化してないようで常々変わりゆく動物であるはずだ。

 しかし、だからこそこの選択肢は選べない。

 それは俺の生き方、在り方に関わっていた。

 冒険やつまらなくないことは求めているが、それはもとの人間での能力の範囲内での際を攻めた生き方であった。

 自分ができる範囲で、頑張れるだけ頑張ってみる。

 上の人間にももちろんリミットはあるだろうが、できることが多分ありすぎて俺の手にはほとほと余る。

 長くやってきたせいか、人間での相応が身の丈に合っている。

 新しい世界への好奇心、欲ももちろんあった。

 俺は人間が好きだ。

 人間であることが俺なのだ。

 階段をのぼるように進化したならばまだわかるが、飛び越し飛躍は望むところではない。

 どこまでもともに人間として寄り添いたい。

 だから答えはすでに出ているも同じだ。

「もうひとつの道。ただの小石となって世界との接点、関わりとしてはほとんどなくなる。ただ、知った秘密の内容によっては記憶の消去の重みで完全な力の除去はできなく、いかほどかの力の漏れは起きてしまうのだが」

 俺はいったい何を知り得たというのか?

 非常に蠱惑的であったが、メルスの顔が頭から離れることはなかった。

「歓迎はしているのだぞ、ソム・マドルク。クラヴィスをこえたお前は、その資格が十分にある」

「このままがいい」

 しっかり、はっきり、力強く言い切った。

 と、子供の見えが融解した。

 天を目指して、占めて塗りつぶしていた空間が上昇を始めていた。

「もう会うこともないだろう……」

 漂白されていく場に、もとの景色であったのだろう、薄寂れた家屋が上書きされていく。

 光のさざなみが引いていき、あとには――メルスが自然な姿で寝込んでいる。

 駆け寄り、優しく抱き起こした。

 目の焦点が合っていないが、俺を感じ取ったのか、ほにゃらと相好を崩した。

 お姫様抱っこで外へ出ると、メルスと一緒に家屋の壁を背に並んで足を伸ばし、楽な姿勢でもたれかかる。

 目を瞑り、暗闇へと下りゆく。

 どこからか声が聞こえていた。

 29日、変わり目だ。

 

 

 

 

 

 

 

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