第41話 23日目

 メルスがいる。

 どこかに向かって駆けている。

 追いかけっこだ。

 俺は追いつこうとして、手を伸ばし――手がないことに気がついた。

 それどころか、身体さえない。

 俺は一体なんなんだ?

 メルスはどんどん離れていく。

 先に、光が待っているのが分かる。

 俺もそこへ行きたいんだ。

 なのに、視点だけが切り離されてここに据え付けられているみたいだ。

 違う、こんなんじゃない。

 俺は紛い物ではないんだ。

 ちゃんとして、れっきとした――なんだ?

 記憶が降りてきて、雪崩れ込んでくる。

 今までの光景だ。

 旅してきた思い出の記憶。

 真夜中の村。

 ちんまい女の子がいる。

 ……俺だ。

 あの夜の出来事。

 視点は……これはメルスのものだ。

 駆けている。

 光に向かって、メルスとなって、メルスの身体で。

 とうとうひとつになっちまったか。

 それならばこの存在感だけをメルスに譲りたかった。

 俺は何もいらない。

 他のものの幸せを願ってやりたいんだ。

 それなのに、これは――

 気がつくと、メルスの口の中だというのが分かった。

 メルスの気が雪崩れ込んでくる。

 大丈夫だ、生きている。

 傷は――治っているようだ。信じられない。

 どういう奇跡が彼女を救ったんだ?

 意識に境が出来始め、剥がれかかる。

 どうやら目覚めたみたいだな。

 ……むにゃ?

 メルス、……まずは俺を口から出してくれ。

 命じられるまま、のろのろと唾液たっぷりの俺を口から取り出し、ゴシゴシやって腰袋に入れた。

 まあ、いい。

 それよりも大丈夫なのか?

 緩慢に自分の身体を見回し、うん、と頷く。

 地べたにへにゃりと腰を落とす。

 ぐっきゅるるる

 盛大な空腹を知らせるお腹の歌。

 チーズとワイン、それでいい、ちびっとけ。

 夢遊病者の動きで背嚢(残っていたのだ!)から取り出し、ちびちび齧り、啜る。

 いくらかははっきりしてきたようだった。

「きれいな風景……見えたよ……」

 一回、死んだのか。境を彷徨ったのか。

 それよりと、あたりに注意を向ける。

 相変わらず剣呑としているが、先ほどまでの膨れ上がる殺気がない。

 ひとまずやり過ごしたのか。

 メルス、どこか身体に嫌なところはないか?

 ん……動ける、よ。

 しっかりしてきたみたいで、あたりから無傷の確かめ棒を見つけ出す。

 もじもじしている。

 察した。

 意識を閉じているからして来いよ。

 臭いよ?

 お、おう(そっちかい!)。

 何とも言えない間が発生する。

 こんな時は好きなことを思い返しているに限る。

 昔よく読んでいた本にこんなものがあった。

 どこかの川が多い街で、係留していた船で生活している男性の話だ。

 フィクションなのかノンフィクションなのかはわからない。

 小説なのか随想なのかエッセイなのかもはっきりしていない。

 その男は俗世間からは距離を置き、日がな読書をしたり見える景色をただただ眺めながら過ごす。

 長々と書かれているのだが、言ってしまうとそんな文章なのだ。

 体裁はともかく、何となくだがそういうのに憧れていた。

 冒険と勉学が落ち着いたら、行き着く先がそこで納得している自分がいる。

 仙人ぶるつもりはない。

 他の人間とは細く関係を持っていればいい。

 必要最小限の取り止めのないやり取り。

 それでも、想ってしまうのだろうか。

 自分が独りでいることに――。

 傍に、――がいてくれないことに。

 意識が乱れた。

 初秋の体感が小石ボディを浸した。

 元気良い呼び声が聞こえる。

「ソム~!」

 声が出ていた。

 使い分けてくれているのだろうが、たまに慣れない。

「小川と変なものある」

 そうか、清拭は足りたか。

 変なもの?

 意識を外に向けると、確かにちょろちょろとした小川が流れており、その傍に赤銅色の金属製の装置らしきものが据え付けてある。

 同じく金属製のパイプが縦横に伸びていて、岩壁に埋まって続いているようである。

 うっすらと湯気が立ち上っていた。

 中央に取っ手付きの扉があり、ボタンやらレバーがいくつか備え付けてある。

 場違いなシロモノだ。

 さらに言えば、胡散臭い。

 メルス、扉を開けてみる。

 ちょ……!!

 ぶあっとした湯気が広がり、肉や野菜、魚が手が込み、妙なる香りを漂わせて調理されてぎゅうぎゅうに入っていた。

 何だこれは…?

 食欲を誘う美味しそうな香気。

 じゅるり。

 まてまてまてまて。

 まずは、きちんと調べてからだぞ、メルス。

 見ているうちに認識が改まった。

 危なっかしげなのだが、メルスは、わきまえているようだった。

 それはこのみょうちくりんなからくりも同じだ。

 時間をおいてみると場に溶け込んでいるのだ。

 どちらも異物なのかもしれない。

 でもそれは常にまわりとやり取りをしている異物なのだ。

 振れが異物寄りなだけであって、その場を悪質にさせはしていない。

 寄生や融合、乗っ取りではなく共生。

 どちらでもあるし、どちらでもない、いうなれば分有のような在り方。

 世界はただそれひとつではない。

 メルスを通して新たな見え方が開眼した。

「におい、よし。見た目、ダイジョブ。嫌な感じ、しない。ソム、これは贈りものだよ!」

 俺はこれを利用しているものを想定してみた。

 いくらこの世界に摩訶不思議があるといっても、しかるべき決まりごとがきちんとあるはずなのだ。

 破ってしまえばその報いが返ってくるようなタブーというか。

 食べ物は別として、妙なところはなかったか?

「あったよ」

 おお?23日目、続く、だ。

 

 

 

 

 

 

 

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