第38話 21日目続きの続き

 ここにいてはいけないとの危険信号は点っていなかった。

 好奇心は猫を殺すのは知っている。

 けれどもそのどれともは違う、新しい迎えるべき意識。

 叡智ともいうべきもの。 

 それはひとつの構えを俺に告げていた。

 物事への信じ方。

 メルスが窓から外の雲を眺めている。

 晴れ上がった青空にはっきりした重なり合う雲らしい雲。

 それは遠景だ。

 目指さられるべき、全きそうなるべきもの。

 俺はささやかなれどふさわしき次へと足を踏み入れた。

 変わってしまったわけではない。

 持ちようが変わったのだ。

 興奮はなかった。

 静かだった。

 こういうものなのか。

 そこに存在するものたちが祝福を贈ってくれている気がした。

 でも簡単に成ってしまっていいのか。

 もっと、試練なり問題なりがあって乗り越えて手に入れるべきもののような……。

「そむ、おなかすいた」

 現実に引き戻された。

 深く入り込んでいたようだ。

 時間が経過している。

 もうメリスはテーブルに着いていた。

 背嚢をガサゴソ豪快にかき回している。

 まずは、丈夫な紅い大きめの布をばっと広げる。

 ドライデーツとドライブルーベリー、ナッツ入りのパンをいそいそと取り出す。

 携帯コップに、慎重にワインを注ぐ。

 すぐにでもがっつきそうだったが、辛抱強く準備を進めている。

 外へ出て行き近くの井戸から水を汲み、小鉢に水を入れて戻り、手に取りやすい場所へと置く。

 窓を開ける。

 ゆるゆると風が入り込んできた。

 部屋が活きている。

 目を眩しそうに細めてごく自然な所作で。

「ねえ、ソム」

 ん?

「わたし、おかしくなった」

 ひどく困り顔。

 メルスも、このアセント状態を認識しているのか?

 ぐー、きゅるきゅるきゅる。

「おなかへりすぎてしにそう」

 そっちかい!

「かんじてないものかんじてる」

 !それは、どんな感じ?

「しっかりしゃっきりがぐるぐるー。ふわふわーって、めっきり」

 よく分からんな。

 くるりとこぎれいだが、優美に回って見せる。

「これ!」

 ますますだ。

 くるくる回りながら、方向転換して席に着いた。

「いただきます!」

 限界だったか、すまん。

 メルスは席に着き、「いただきます」

 気迫がこもっているが、なるべく所作が乱れないよう、食べている。

 静かな食事の音がささやかながらに主張している。

 こん、と屋根に何か当たった。

 ばっと、メルス、立ち上がり、

「分かった!」

 なんだなんだ?

「自分が少し見えてきた!」

 そうか、それはよかったな……って、言葉!

「言葉?」

 そう、それだ!

 メルス、お前、ちゃんと言えるようになっているぞ!

 メルス、ぷくーっとほおを膨らませて、

「前からちゃんとしていたもん」

 うーん、どういったらいいんだ?賢さが見える的な?

「普通に考えられるの?」

 今までも普通だったがより自然になった!

 そうだよ、靄が晴れたんだよ!

 これはここの特性なのだろうか? 

 それよりも、すごく嬉しかった。

 メルスが、成長してくれた。

 それも、通常では不可能な手段によって。

 一時的なものかもしれない。

 それでもこの今の奇跡に感謝したい。

 歌うように言葉遊びしながら食事するメルスを見ていると、不意に濡れているイメージが湧き起こった。

 これは……泣いている?

 ただの小石であるはずの俺が、人間の感情を爆発させている!

 メルスの手前、抑えているが、大声で叫びたかった。

 まだ、俺は人間だぞ!!

 まだまだ人間をあきらめないぞ!

 そうか、心のどこかではだいぶ自分がぐらついていたんだな。

 見失いかけていたと言ってもいい。

 しんしんと降る水気を含んだ雪のように重く積もっていたのだ。

 なるようにしかならないとしても、人間だけは失いたくない。

「ソムはかたい」

 もくもく食べながらメリスは何でもなさそうに言う。

 目を閉じて味を噛み締めている。

 読みすぎかもだが、ダブルミーニングの気がする。

 いや、トリプル、マルチか?

 ――そんなことは、どうでもいいんだ。

「俺の意識は、人間から離れているか?」

「離れているというより、ほぐれていない。意識が本来の働きをしていない」

 まるで下とか、ちっとも関係なかった。

 ここでは先生が生徒であり、生徒が先生だ。

「人間の意識は、尊いものだと思う?」

「人間というより、超え出たものだ。人間という括りは狭い」

「人間ってなんだろう?」

「それは己自身で見て、知って体得するしかできないものだ」

 ぱたん。

 糸がふっつり切れたみたく、メルスは食事を前に、テーブルにもたれかかってぐったりしている。

 大丈夫か?!

 何度呼び掛けても応えはない。

 すうー……。すうー……。

 よかった、呼吸はしている。

 気を失ったか、眠ってしまったみたいだ。

 すごく自然な姿に見えた、

 ここではそうであるのが当たり前みたいに。

 ぶるるっ、

 嫌な妄想はやめよう。

 ここは見守るしかない。

 いつでも気持ちよく答えてやれるように根気強く待ち続けるのだ。

 根気強くはない、こちらも自然な態度で臨むのだ。

 臨むのでもない。しているようでしていない。

 いつも通り、普段着のままだ。

 さりげなく、きがねなくも、だ。

 食べ物の匂いを嗅ぐわいながら、何かが始まろうとしていた。

 いつのまに。

 21日目、終わる?

 

 

 

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