第35話 20日目続き

 森に入り込んだ。

 細いくねくねとした道が続き、開けた場所で軽い食事をとると雨脚が強くなり出したので、大樹の下で雨宿りした。

 メルスは嫌な顔ひとつせず、むしろこの雨を楽しんでいるようで、飽きずに降っているのを独特な調子で口ずさみ、身体全体でリズムを作りながらご機嫌に観覧している。

 俺はといえば、昨日の引っ掛かりがどうしても思い返されていた。

 感覚の違い。

 これまでに感じたことのない違和感。

 同じと思っていたものが、ある瞬間に世界がひっくり返ったような直感を得るその時が、やってきていた。

 記憶にある感覚と違う。

 それは自分に対する疑念が鎌首をもたげて我が身に降りかかっていた。

 俺は本当に俺なのか?

 もしかすると意識とは状態が長期間違えば受けるものも違い、そうすると人間だった頃の意識とは変質しているのではないのか?

 残念ながら内からしか知ることができない限界ともいえる。

 神のような存在なら説明できるのか?

 それでもこれだという確証がなんらかで成り立たないと納得は無理なのだ。

 結局は自分で知り、考え確かめて、新たな問題にまた立ち向かいの繰り返しで納得がいくまで腑に落ちないと解決しない問題だと得心するまでにやや時間がかかった。

 そこまで推し進めてみて、まるで初めての心意気のようにとりあえずの出発点に立てた気がした。

 のってくれ、だって

 哲学馬を信用し、メルスが乗ると靄の中をぱかぱか歩き始めた。

 雨は感じるかどうかぐらいの細やかさになっている。

 障害物も、足元もなんのそのだったが、どうも探り探りで歩いているようだった。

 ずいぶん歩いたところで背後から吠え声が轟いた。

 何ものかが俺たちがいたところを駆けずり回っている。

 悔し紛れの何度もの遠吠え。

 ――すげえな、お前。

 哲学馬は肩をすくめたように見えたから、これまたすごい。

 川を渡った。

 浅いようで、流れもゆるゆる穏やかみたいだ。

 魚を数匹、メルスがたどたどしくも楽しみながら捕まえた。

 びしょ濡れになりそうなのを俺が諌めようとしたが、哲学馬くんがヒヒンと鳴いて気づかせてやっていた。

 まるで頼れるメルスのお兄ちゃんが出来たみたいだ。

 結んでの持ち運び方を教えてやり、言い尽くすか思われるまで、魚料理のことを聞きまくってくるのも微笑ましい。

 靄に不安は感じていないみたいだ。

 むしろスピリチュアルさを受け取っている感じ。

 よく顔がうかがえないが、瞳がキラキラと輝いているのがびしばしひしひしなのだ。

 見えてないものを見ているかのよう。

 想像の世界に遊んでいるのかもしれないな、と独り言ちていたら、俺にも見えた。

 といっても、メルスの目を通してだ。

 意識とか心もとかではなく、目だけ共有して、そのものを見ている。

 切り取られた風景だ。

 空間が抜き出されて、羽を生やして自在に宙を駆けている。

 それもひとつだけではない。

 重なったりすれ違ったり混ざったりしながら、環境が自律するかのように新しい現象として振るまっている。

 こういうときは、惑わらされないよう、意識を集中させる。

 メルスはあるがままだ。

 哲学馬も、何かを感じ取ってはいるようだが、確信までには至らずそれが故に平常を保っている。

 現実なのにそれを超えた現実なはみ出した感覚が意識を賦活している。

 集中だけでは切り抜けられないと悟り、メルスにちょっと意識を傾ける。

 光と光が交錯し、眩い煌めきとなって意識の交感が励起し喚起が起こった。

 “自分スケール”がするすると引き出されてきた。

 これは、これだけはという自分の好きなもの、持っているもの、得たものをイメージ・抽象化して不動の動点として意識の底に据える心の持ちようの自我流メソッドだ。

 時間と自分を見つめる自己観察を進めていけば、誰でも実践することができる。

 メルスが無意識でやっている知恵を込められた結びつきで言語化して借り受けたのだ。

 一緒になって受け止められているのが嬉しくもあった。

 風景片とでも呼べばいいのか、は目紛しくも混乱、混沌を生みもしてはいなかった。

 むしろどんどん上書きされるたびに凝縮してサイズダウン、しまいにはひとつの光点へと収斂していき、パッと消えた。

 かと思いきや、突如として闇が広がった。

 邪悪さは感じない。

 物理的な真っ暗闇。

 遠くでゆらめきが霞見える。

 あたりはすっかり黒の帳が下りている。

 どうやらありきたりな冒険物語はさせてはくれないようだ。

 馬は消え失せ、メルスひとりで前に向かって歩いている。

 何とか判別できるぐらいの馬を象った髪飾りをしっかり髪に差している。

 暗さに慣れてくるとここがなんとなくわかってきた。

 どこかの洞窟の中らしい。

 剥き出しの岩壁が左右から迫ってきている。

 先には開けた空間が広がっており、ほぼ中央には焚き火がまるで先ほどまで誰かがいたみたいにパチパチはぜていた。

 何か思うよりも先に、光景がひっくり返った。

 あいかわらず靄の中を慎重に哲学馬くんが進んでおり、もうすぐ森を抜け出せそうに思えた。

 メルスはきょろきょろしている。

 これはなんだ?

 どちらが本当なんだ?

 冒険者の勘として、どちらも現実と認識できる。

 やっかいだな、空間的にふたつを跨いでいるのか?

 あまりにも頻繁に異変が起こり続けているせいで、感覚が麻痺し始めているが、まだ正常な判断力は働いているとは自覚できているのがせめてもの救いか。

 進むたびに靄の中、洞窟の焚き火の前と切り替わり、それぞれでの行為がふさわしく執り行われてゆく。

 それぞれでの意識は別々だったが、同時に認識できるのだ。

 焚き火の前でしばらく腰を下ろして火に当たっていた。

 というより、メルスは闇の中の炎に吸い寄せ、惹き寄せられたのだ。

 奥の奥を見通すかのように、じっと焔の燃え上がりを見つめている。

 見つめていながら、メルスの頭の中では洞窟の奥へと足を進めている。

 さらに分岐したのか?

 それとも心の中、夢の最中?

 ブルルッと哲学馬が鼻を鳴らした。

 どうも意識も奥へ行ったりのぼってきたり、またぎこしたりしているようだ。

 どの場面も、先に何かが待ち受けているだろう予感がある。

 知らぬ間に1日が過ぎていた。

 20日目終わる。

 

 


 

 

 

 

 

 

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