第34話 20日目
身体感覚で、と言っても小石での経験感覚だが、朝を感じた頃雨は小降りになっており、靄が立ち込めていた。
視界は良好と言えないまでも、注意して歩けば見通しは悪くない。
メルスは「みちているよ」と先の先まで射抜く視線で俺に素直な言葉で語っていた。
小鳥の声と、大気の循環の唸りまでもが聞こえてきそうだった。
大丈夫、身体は冷え込んでいないようだ。
夜、夢の中にまで昨日の視界は割り入ってきた。
決して臆しはせず……。
大勢を前にしても、精密機械のように、流麗に。
斬。
ひとつひとつを、確実に。
斬。
戦術的に逃げ出すものにも容赦はしない。
斬。
――一仕事終えた後の心地よいまでの水浴び――。
まるで戦女神だ。
当たり前のように、あの荒場を切り抜けた。
残照のようにわが記憶に刻まれている。
メルスはといえば、軽く水浴びをし、パンとチーズとワインを少しと、別口の水袋を口にしていた。
頃合いに、哲学馬が乗るように促してくる。
メルスは俺をしっかり確認すると、迷いもなく乗り込んだ。
足取りは慎重で、かつ無駄がない。
行先は決めていなく、馬だよりだったが、この哲学馬は何をすればいいか、良く知悉しているようだった。
なので、メルスと馬に任せて、自分は先のロードマップを思い描いていた。
すぐに街にはありつけないだろう、ここは辺境だったはずだ。
夜、星座と星の位置を確認し、さらにこれまで通ってきた地形から大体の把握はとれていた。
おそらく、ここは大大陸クルトだ。
世界で一番大きな大陸、多くの国々がひしめき合うもっとも活きている大地だろうと当たりをつけている。
それは村での話し言葉の特徴・文化・風俗や、動植物相の具合、地形のパターンからぼんやりと読み取れる。
先の道筋。
ひとつ、街なりに潜り込み、地道な生活を積み上げていく。
ひとつ、冒険業に身を投じ、ハイリスクな日常を送ってゆく。
このまま放浪の旅人のように成り行きで日々を経てゆくのも悪くはなかった。
どれもが開かれており、いかなる可能性も成さしめうるものだ。
メルスに肉体労働は難しいだろう。
この考え事は2回目だな。
そもそもこの世界は娯楽のお話で書かれているような、多種多様な力満ちる異世界ではない。
人間は、知恵と持って生まれた肉体を何とか使いこなし、より集まって怪物、魔獣等の脅威に立ち向かっていく、ガチリアルな無慈悲寄りなのだ。
魔法もあるにはある。しかしそれは表立って見えず、隠密裡に振舞われている、いわば触れざわらるる禁忌のようなもの。
俺が知らないだけかもしれないが、これまでの人生はそうだった。
あずかり知らぬところで並々ならぬ力の応酬が行われているのかもしれない。
ただしそういうのは国を巻き込んだり、世界をどうこうする輩しか引っかからない秘事だと思う。
これまで変事に見舞われてきたが、それは俺のボディ由来のことで、おそらく俺自身は奇々怪界とはさほど薄いと信じてみたい。この事態はアクシデントだった。
つまり俺の意識・記憶は重要ではないわけだ。
こうなる前の出来事、シチュエーションと俺のボディが何もかも引き寄せている。ならさしめている。
そうなるとこのアンバランスがどうにも危うい。
かなりボディ寄りに触れているが、これからでも降りかかってきそうではある。
だからといってメルスと別れるのはこれはいくらなんでもナシだろう。
ネビュラさんの言葉が思い起こされる。
事はそう簡単ではないのだ。
うー、全てが蓋然としすぎていてまとまりがつかない。
それとも流れに身を任せるべきなのだろうか。
そもそもなぜ小石に意識が宿った?
ぽーんと、鳥の鳴き声で気付かされる。
遠く、考えすぎている。
自分の足元さえ見ていない。
何が、ではなくて、直近をどうしていくかなのだ。
それは衣食住であり、金銭面の問題でもあるはずだ。
まず身近な幸せを掴み取るべきだ。
それさえもあやふやなのに、より大きな空論を振りかざしてもせんなき事。
といっても村で時間こそ足りなかったが、前払いという善意で用意できるだけたんまりもらってきている。
宝石や嵩張らない見事な意匠の小物類でだ。
メルスに断らせたのだが、ゴードさんが頑として譲らなかった。
メルスも押し負けて、泣き出したので宥めるのにずいぶん苦心したりもしたが。
そうだな、まずはこの目、メルス、哲学馬くんの目で見て、判断してゆこうか。
深い哲学的命題はいつかどこかで行き合わせるだろう。
それまでは折り目折り目で顔を出すとは思うが、「いかに」の思考法でのらりくらりとやっていくとしよう。
雲間から陽光が差し込み、袋を通してでもまばゆさを感じた。
――俺は生きている!
ここにいるぞ!!
?!
20日目は始まったばかりだ。
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