第33話 19日目
目に見えるかわからないぐらいの細やかな雨が空から降っていた。
メルスと俺は気がついたその端からすぐ寝起き、そう遠くない木陰に哲学馬と一緒に避難していた。
雨用の装備は簡素なものしか用意していないので、本降りになると厄介、しばらくはここにいることになりそうだ。
野ウサギが隣人であった。
木の根元に陣取り、丸まっていた。
ときおり、感じられるかどうかの皮膚感覚の風が撫でてくる。
訥々と時間が過ぎていった。
枝葉から滴り落ちてくる雨粒を見ながら、何気なく「殺すか?」と聞いた。
メルス、黙って雨粒を見ている。
なあ、と畳み掛けようとしたら、
「おなじきょうぐう。ふさわしくないとおもう」
と、やんわりとだがきっぱりと有無を言わさない口調で。
この時ほど、自分が本当に小石になってしまったんじゃないかと自分を見つめ返したのはなかったろう。
それほど、忘れかけていた感覚だった。
旅をする者的には間違ってはいない。
人間としてもそう考えるときもあるだろう。
食糧として常識ともいえる。
しかし俺は、それすらも忘れかけて、単純にボディも心も脇に置いて考えている自分に気づいてしまったのだ。
このカラダだからこそ自覚してしまっていっそう過敏に反応しているのもある。
人間をやめかけようとする一歩を踏み出そうとしていると思い込んでしまってもいた。
メルスはそこには触れないでおいてくれた。
ざざざざっと、まとめて溜まった雨が流れ落ちた。
「かこのじぶんにあっかんべー!」
可愛く舌をちろっと出して、メルスが独り言を言った。
過去は過去で大事だ。自分を形作ってきたものだから。
けれども、そこに拘泥し過ぎても自分というものは成長していかない、前に進んでいけない。
メルスは本当に、かつてのメルス自身にあっかんべーをしただけかもしれない。
それでもここでは、ダブルミーニング、いやさ幾重にも含まれていた。
噛み締めるように感謝して尊んだ。
雨が数滴、俺の入っている袋を叩いた。
と、突然意識がジャミングした。かと思うと、俺の意識の目には違う光景が映っている。声もボリュームを上げて聞こえてきた。抜き差しならぬ状況というのは伝わってきた。
ひとりのフード被りを、軽装ではあるが屈強な男たちが取り囲んでいる。
男たちは抜剣している。
ここと似たような場所だ。
なんだこれは?
視点は、見下ろしている。もっとちゃんと見ようとすると、急遽視界が下がり、フード被りと重なった。
いまわたしは、ハメられているのをむしろ歓迎している。
妙な高揚と興奮を味わっていた。
数は七つ、得物はてんでバラバラだが特殊武器なし、盾も無し。
何よりも、軽装だが慣れてなし。
――偽装兵か。
二重の意味で、なおも静かに高揚した。
鎮めてくれる雨に感謝したかった。
抜剣はしない。
それが私のスタイルなのだから。
話からも、骸からも何も引き出せないだろう。
じりじりと男たちは距離を詰めている。
――ならば。
一見で、包囲の緩い方めがけて姿勢を低く駆け抜け、一挙に距離を詰める。
ワンアクションで、抜き、鎧と鎧の間の急所を切り、また元の懐に収めた。
当人は何をされたのかもわからず、その場にくず折れる。
そのまま通り抜けて、軸足を落として固定させぎゅるんと回転し、男たちの方を向く。
男たちは何が起こったのか何瞬も遅れて自覚し、慌ててフォーメーションを変更する。
それをフード被りが見逃すはずもなく、最も近い斧持ちの男に、愛刀で変異抜刀術をお見舞いする。
鎧ごと、袈裟斬りされた相手は反動で後ろに吹き飛ぶように身体が斜め上に跳んだ。
収めた身で多く相手にできるポジションに円運動で最短距離を取り、待ち構える。
男たち場数を踏んでいるのかもたつきはしたものの、フード被りに合わせられるようになってきた。
フード被り、抜剣し、より多くを捉えられる向きと構えをとる。
我流ではなく、型があり、洗練された動きだ。
声がけなどできなさそうな圧がある。
もうひとつの意識もある。
そちらはメルスの腰の布袋に入っている自分を自覚していて、メルスと一緒に雨止みを待っているのだ。
ときおりメルスが気遣わしげに袋をさすってくる。
無垢の感情が伝わってくるようだった。
同時に、パラレルに俺はいるみたいだ。
もうひとつは視界を共有でもしているのだろうか?
雨はしばらく止みそうにない。
哲学馬も雨天での行軍は消耗を要する。
このままではいかんと、ちょいとばかり周囲を探索した。
物陰に浅い窪みを見つける。ギリギリのラインだが、寝るだけなら十分で、角度的に雨の侵入もなさそうだ。
クマなどの御用達場なのだろうか。
お邪魔して、ここでこの日をやり過ごすことにした。
落ち葉が入り込んでフカフカだ。
食事は干し肉と硬いチーズ。
それに干し葡萄の入った保存の効くパンひとつ。
眠りは程なくやってきたのだった。
19日目終わり。
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