エピローグ
最終戦から一夜明けた朝。
澄んだ空気は気持ちよく、十樹は一人ベッドの上で背伸びをした。
首を左右へ振ると、小気味よく音を立てて関節が鳴る。
「今日も目覚めは快調だな」
掛け布団を剥いでから履き慣れた黒にライムカラーの線が入った運動靴に足を入れる。
ブルーのパジャマを着ており、着替えてから下へ降りようかとも思ったが、特に予定もないことからそのまま自室を出て一階へ下る。
階段を降りている時にはすでにいい匂いがしており、寝起きの体なのに胃袋が誘惑されているのが十分すぎるくらいにはわかった。
「おはようシモーヌ」
「おはようございます十樹さん。もうすぐできますからちょっとだけ待っていてください」
チラリとフライパンの中身を見ると、スクランブルエッグを作っているようだった。既に皿にはベーコンとトマトが乗っており、殆ど完成間近なようだ。
──今のやり取り、新婚みたいでいいな。
シモーヌとの言葉の掛け合いに、一人ニヤけているとツッコミが入る。
「あんた今相当キモい顔してるわ。考えてることが筒抜けよ」
「うっさい。妄想くらい許せ」
花が咲き誇っていた脳内から一辺、一気に萎れていってしまった。
それもこれも向かいの席にいる地球の女神、イヴのせいである。
「昨日はあんなに私のことでむせび泣いていたのに、もう別の女の尻を追いかけ回すとか、プレイボーイか」
「誰がむせび泣いたんだ。というかプレイボーイってなんだ?」
「あぁそっか、これはちょっと前の言い方か。え~っと遊び人とかそんな感じよ」
満足の行く回答が見つかったのか、笑みを浮かべながらもイヴは答えていた。
「誰が遊び人だ」
時間の修復とやらで消えた彼女が戻ってきたのは昨日のことだった。
そう、昨日である。それも十樹とシモーヌがイヴの座っている椅子を眺めていると、唐突に戻ってきたのだ。
壊された空間から十樹が帰還して一分か二分しか経っていない。暫く会えないのだと思って、色々あったことを思い返していたところに帰ってきてしまったため、情緒もへったくれもなかった。
「できました。どうぞ召し上がってください」
シモーヌの料理も完成したのか、テキパキとテーブルへ並べていく。
今日のメニューはイギリスパンに昨夜の残りのオニオンスープ。スクランブルエッグにカリッと焼いたベーコンが乗っていた。
「ソースはお好みでどうぞ」
そう言ってテーブルに陶器が置かれた。あの中にはトマトソースが入っており、シモーヌのお手製だ。これがまた絶品で是が非でも使いたく、手をのばし掴み取った。
「あ、何神より先に使ってんのよ」
「いいだろそれくらい。直ぐ渡すんだから」
小さいことを気にする神だと思いながらも手早くソースを皿へと落とし、陶器をテーブルの上をこすらせるようにして投げる。が、途中で止まってしまった。
「下手くそ。届いてないじゃない」
「そんなもんいつものように神の力でどうにかすればいいだろ」
「できたらとっくにやってるわこのハゲ!」
「ハゲてねーよまだふさふさだよ!」
つまらない言い合いをしているが、イヴが言っていることは事実だ。
帰ってきたあの日、イヴは力の大半を失ってしまったようだ。それだけ修復が大変だったのか、それとも代償に力を時界神へ差し出したのかは知らない。
ただ前ほど万能な能力は存在しないのだとか。
証拠と言うわけではないが、イヴは現在前着ていたヴェールのような服装ではなく、シモーヌお手製の黒いシャツの上にノースリーブの青いドレスを着ていた。
彼女曰く力の節約だそうだ。
それでも多少は力を使えるそうだが、力を行使するための原動力────イヴ曰く天力というらしい────が減っているとか。前はほぼ無限に近い有限だが、今は底が簡単に見えてしまいそうなほど浅い有限に変わったそうで、家の維持で一杯一杯なのだと嘆いていた。
修復がどれだけ大変だったかイヴは教えてはくれなかった。どうせ人間にはわからないと言って。
でも自分のことを気にかけてくれているのはわかるだけ、ちょっと、いやかなり嬉しかった。
腕に巻いている腕時計がその証だ。
なんでも力を失う前に作った品物だそうで、見た目は同じでもこれまでとは段違いの性能なんだそうだ。今もつけていることを忘れてしまっていたほどにフィットしている。
「イヴ様どうぞ」
「ありがとうシモーヌ。やっぱどっかのクズと違ってシモーヌは優しいわ」
「それは悪ーござんした」
軽口を叩きながらもそっと腕時計に触れていると全員食べる準備ができたのか、手を合わせる。
いざいただきますと言いかけ、盛大に玄関を開ける音がしたことでそちらへ意識が持っていかれてしまう。
「イヴ。イヴ! いるのでしょ。なんで帰ってきたことを教えてくれないの」
聞き覚えのある声に思わずげんなりしてしまった。これから幸せな朝食の時間となるはずなのに。
イヴを見れば彼女もうんざりしてるのがわかる。
仕方ないと後ろを振り返ってみると、そこにはトゥーレと知らない女の人が立っていた。
「おはよう。飯食うか?」
「いや、帰ってから取ることにしている」
「そうか。で、そこの人は?」
もしやトゥーレの彼女だろうかと内心ヒヤヒヤする。
彼がこの世界に来たのも自分と然程時間的に変わらないことから、これがイケメンの力なのかと。
しかしそれは杞憂に終わる。
「だから慎重に行けと言っただろうが。お前が先走るから誰もわからずどうしたら良いのか困っているぞ、このグズ」
「ご、ごめんなさいトゥーレ。でも、でも」
「でももくそもない。あぁ、お前はクソだったな。いや豚か?」
「そ、そこまで言わなくてもぉ」
涙目を浮かべているが、顔は赤面している辺り嬉しいのだろう。そしてこの声と頭の上にあるうさ耳。
「まさかお前、カグヤなのか」
「ふふん、今更気付いたの。疎かな人間ね」
声は一緒だ。白いうさ耳も一緒だ。しかしブロンドヘアーだった髪は今や白く染まり、着崩していた和服の下から出ていた胸は消え失せ、しっかり着付けのされた和服は上から下までストレートだった。
「わかるかよ……胸ないし」
「うるさいハゲ! 人が気にしていることを言うとかデリカシーなさすぎよ!」
「髪の色が変わったり胸がしぼんだのは事実だろうがマヌケ」
そっくりな言い返しにチラリとイヴを見ると、一緒にするなと睨み返してきた。
「で、どのようなご用件で?」
「そうよそれよ。イヴ、あなた力はどうなったの。本体は平気!?」
カグヤはイヴへと詰め寄る。
「見ての通り貧弱よ。ま、死にはしない程度には平気よ」
「よかった~。私が殺すならともかく私のせいで死んだら嫌だもの」
「そんな戯言を言うのはこの口かしらね」
「うぶぶぶぶぶぶぶ」
イヴに両頬を掴まれたカグヤは情けない声を漏らしていた。
二人のじゃれ合いはどこからどう見ても神のそれではないが、微笑ましくはあった。ただ人様の神相手にあのようなことをしていて問題ないのだろうかと気になり、トゥーレへ問いかける。
「いいのか、あれ」
「問題はないよ。それにあなたの女神とは気が合いそうだ」
「そういや似たようなことをあいつも言ってたな」
「それは光栄なことだな」
サディスト同士気が合うのか。それともカグヤがどうみてもマゾヒスト体質だから苛め仲間として認めあっているのか、十樹にはわからない。ただ二人は共感しあっている様子で、そこへ飛び込みたくはないものだ。
「そういや今日だっけ、
「あぁ、ギルド本部に専用の窓口があるそうだ。そこへ手続きすると貰えるらしい」
「っとそれよイヴ。そのことでも話があるの」
聞こえていたのか、カグヤは掴まれていた両頬の手を惜しむように離しながらこちらの話を拾ってきた。
「今回は私たちの負けにしてほしいの」
「なんで? あれは決着がついてないからドローになっているでしょ」
結局最終戦の行方はお流れとなってしまった。
そのため場合によっては一位が複数いることもある。
今回の成績は十樹とトゥーレは二勝一敗ずつであるため、必然的に両者が同率一位となってしまう。
そして気になる賞金といえば一位の金額を一位の数だけ山分けとなり、二位の賞金は二位がいない場合次回以降に回され、その下からは順位に従って賞金が払われることとなっている。
今回の一位の賞金は金貨百枚のため五十枚ずつ貰うのが普通なのだが、カグヤはそれがお気に召さないらしい。
「でも私が壊しちゃったし、私の責任だし」
「それを言ったらこっちなんて話にならないくらいけちょんけちょんにされたわ。ねぇ十樹」
「そこで俺に振るとか鬼お前は」
「確かにあのままなら勝てたな」
「トゥーレお前も冷静に判断するな! いやまぁ、負けてたのは事実だけどさ……」
やいのやいのと騒いでいると、シモーヌが手を叩いたことで視線が彼女へ集まった。
「食事が冷めてしまいますし、皆さん召し上がってください。お二人の分も今ご用意しましたので、よかったらどうぞ」
シモーヌが話に参加してこないと思ったら、どうやらいつの間にかトゥーレとカグヤの分まで用意していたようだ。
「だが僕たちは」
「いいからここは受け入れとけ。シモーヌの飯は美味いぞ」
トゥーレを引き止める。拒むかとも思ったが、それ以上抵抗することはなく素直に席についた。
「え、ちょっとトゥーレ」
「お前もさっさと座れグズ。相手の厚意を無下にするつもりか」
「でも……」
「ほぉ、僕の言うことに逆らうつもりか。では一人で帰るんだな」
「わかった。わかったから一人にしないで」
しょんぼりしつつもノロノロと椅子へ腰掛ける。トゥーレはなんだかんだでカグヤに気を使っているのだろう。イヴに近い席を譲っているのだから。
──これでこっちの席が近かったから座った、なんて言われたらそれはそれで驚きだな。
ちょっとしたことを推測しつつも手を合わせるように促す。
「食べる時はこうやって手を合わせてやるんだ」
「知ってるわよ。トゥーレもやってたんだから」
そう言えばトゥーレが日本に住んでいたと言っていたのを思い出す。
ならばもう気を使う必要はないなと皆に視線を巡らせ、一斉に口にする。
「「「「「いただきます」」」」」
直後になり始める食器の擦れる音と話し声は、おだやかで実に家庭的な一面だと思いつつも、十樹はじっくりと噛みしめるのだった。
時を止める能力こそ最強!-だと思っていたら実は最弱だった!?- アザロフ @azarohu
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