第四章四幕 神の規律
視界が消えたのは一瞬だった。
次に目を開けた時は地面に倒れ伏し、全身がきしむように痛みが走る。
「十樹しっかりしなさい!」
「十樹さん頑張って!」
再び耳にするイヴの声と姿が記憶とリンクする。が、体の調子は同じではなかったようだ。
「がふっ、ごふっ」
口の中から大量の血を吐き出し、地面を紅く染める。心なしか呼吸も上手くできない。ただくらっと意識が飛びそうになったものの、痛みで覚醒してくれたのは嬉しい誤算だった。
「トゥーレ何もそこまでしなくても」
「いや、そんなに強くした覚えはないのだが……」
聞き覚えのない台詞を言っているが、どうやら過去に戻ったことは変わりないようだ。左腕を見れば腕時計は健在で、しっかりと時刻を刻んでいた。
「ふん、最高位から地に落ちた女神とそのパートナー。本当にあなた達お似合いね」
「っあんたずっとこの時を狙っていたわけか」
どうやら流れは同じようだ。しかしならば急がなくてはならない。このまま這いつくばっていては同じことの繰り返しになりかねない。何故なら、あのカグヤはイヴと同じだけの力を持っているか、最悪上だからだ。
腕時計が教えてくれたカグヤの実力を考えれば、恐らく拮抗ではなく上のはず。
全身全霊をかけて立ち上がり、治っている右手に再び腕時計を握りしめる。
「イヴ!」
二人の神がやり取りをしている間を割り込むように名前を叫ぶと、彼女はこちらを一瞬だけ見てくれた。その時に心臓部分を親指で指す。
「あなたが私をぞんざいに扱うからでしょ!」
──俺がこれからどうなっても攻撃は止めるな。絶対に。
これで伝わったかどうかはわからない。
イヴは以前心を読まない宣言して以来読んでいる素振りはなかった。だからこんなことで伝わるかは完全に賭けだった。
「ごふっ」
再び血を吐き出すも口元を拭い、足を前へと差し出す。
「私がいたのに、私だっていたのに。なのにあなたは!」
最早倒れるように十樹はカグヤに向かって力弱いながらも拳を突き出した。
「邪魔だぁ!」
振るわれた光球は歴史をなぞるように壊れ、粉砕される。腕を襲う痛みも同じだが、体がボロボロため痛覚が麻痺でもしているのか殆ど感じられず、倒れながらもただ叫ぶ。
「────今だ!」
一瞬だけ。
刹那にも満たないかもしれない一瞬だけイヴの時間を早めた。
「しまっ」
カグヤは焦り顔を浮かべる。
「貰った!」
イヴはしたり顔をしながらも腕を突き出す。
十樹の賭けは、成功していた。
切り替えして振るうカグヤだがイヴのほうが早かったようで、イヴの腕がカグヤの心臓部を貫いていた。
「────ぁ、どぅ、して」
「どっかの馬鹿が私のために無茶してくれたからよ」
腕を引き抜かれ、体に力が入らないのかカグヤがたたらを踏み、ぐったりとした状態でこちらへ視線を向けてくる。
「あぁ、時間、を……」
「そういうことよ」
自慢気にイヴが言ってくれるのは嬉しいが、そろそろ十樹は限界だったようだ。倒れたまま意識が遠のきかけたところで、聞き慣れた指パッチンの音が届いた次の瞬間、覚醒し体の痛みも消えていた。
「え、え? なんで?
「まったくもってその通りよ。でもあんたよりもっと馬鹿な奴がやらかしたから面倒なことになったわ」
「どういうことだ」と言いかける前に、世界が、割れた。
「もうおいでなすったようね」
イブが空を睨みつけており、釣られて見るもそこには何もいない。
念の為にと周囲を見渡しても何もいなかった。いたはずの観客も全て消え失せている。
何が起きているのかと焦りが生まれるが、それに応えるように声が聞こえた。耳でなく直接脳内に。
『規律を破った神よ、今罰を与えん』
規律を破ったとはイブのことだろうかと視線を向けるが、睨んでいるだけで怯えた様子は欠片もない。しかしカグヤはゆっくり後退りしており、顔は恐怖に歪んでいた。
「あ、俺に攻撃したからか」
「わかったようね。はぁ、あんなんでも私の配下ってなるなら、お遊びならともなく命かかってるし助けるしかないか」
「ちょ、わかるように」
「神は規律を破ると、いたという痕跡を全部纏めて消されるのよ。そうなると歴史の中からもいなくなる。始めからこの世に存在しなかったように扱われるのよ」
そこまで言われてやっと理解した。今この場に最高神が来ていることを。
「それは聞き捨てならないな。カグヤは僕のおもちゃだ。勝手に消えてもらっては困る」
「でしょうね。それは私も同じよ」
「なにかできることは」
「ない。私がどうにかする以外には」
「そうかわかった。従者が世話をかける」
イヴは簡単に言うが、この状況をどうにかできるとは到底思えない。
「勝算は、あるんだろうな」
「当然でしょ。じゃなきゃ気まぐれで相手をするような神じゃないのよ」
胸を張って言い切ると、持っていた光球を胸の内に入れ、パチンと指を弾いた。するとイヴの隣で空と同じように空間が割れ、そこからもう一人のイヴが表れた。
「偉い面倒なことになってるようね。しかもあれ
一目で状況を理解したのか、言いたいことを言うと二人のイヴは重なり合い、一つへと変化していた。
「ひょっとして……」
「これが純度一〇〇%の私よ。あぁ今はカグヤの力を意図的に一部引き抜いているから相乗的に上がってるけど」
「レベルが最高だったのは嘘だったのかよ……」
「それは本当。今はカグヤの力を取り込んで上限を更に引き上げただけよ」
最早何でもありだなと呆れてしまう。
しかしだからだろうか、不安などはどこにもなく、安心して彼女を見ていられた。
『邪魔をするのか』
「えぇそうよ。悪いけど消されたら私も困るのよ。そいつ私に相手されなくなって癇癪起こしてただけだから、見逃してもらえないかしら」
『ならぬ』
時界神がざわりとささやくだけで、戦うための舞台として作られていた空間が音を立てて消えていった。
残されたのはイヴとカグヤ、十樹の三名だけ。シモーヌとトゥーレはいなくなっていた。
「シモーヌ、トゥーレ!」
叫んではみるが返事はなく、周囲の闇色の中へと消えていくだけだった。
「二人は元の世界に戻されただけよ」
イヴが言うのだから間違いないのだろう。となると今度は自分が残されたことが不思議なのだが、聞くよりも前にイヴは答えてくれた。
「あんた過去に戻ったでしょ。あれの影響で二重にカグヤが禁を犯していることになるからそのせいよ」
「人間の枠を越えるとか言われたけど、それと関係があるのか?」
「まぁそんなところよ。要は使ったタイミングが最悪だっただけ。後はあんたにはまだ早かったから止めようとしたのよ。今はもう治してるからいいけど、あんたあのまま放置してたら一分もしない内に死んでたくらいには重症だったし」
「そこまで酷かったのか!?」
考えもしなかった。能力の反動は生命力を失いうことだけだと思っていただけに、予想外だ。
「だってあんた自分の限界越えて能力使ってたでしょ。火事場の馬鹿力でやったようだけど寿命を纏めて燃やして、しかも
十樹が求めるよりも先に、どういう状態だったのかを脳内に送られてきて、思わず顔をしかめてしまった。
脳へのダメージから始まり内蔵は全部スポンジのようになっており、至るところで出血をしていた。全身の筋繊維もズタズタで動けていたのが不思議なほどだ。
「ま、見直したわ。十樹」
イヴに笑顔を向けられ思わずドギマギする。
だが今はそれどころではないと無理矢理に思考を切り替えた。
『規律を守らねば、時間は壊れてしまう』
「えぇそうね。それは重々承知よ。実際壊れた
『ならば何故』
「何故も何もないわ。今回のことで
「どういうことだイヴ」
犠牲になるだなんて聞いていない。
それでは何のために助けたのかわからないではないか。
「早とちりするな馬鹿」
しかしピシャリと言い止められ、大人しく見守ることに。
「どう、今の私なら歪んだ分程度は簡単に補えると思えない?」
『可能だ』
「ならさっさとやりましょ」
『月の神カグヤ、それでよいか』
「イヴぅ……」
「あんた何泣いてんのよ」
「らって、らって……」
あれだけ言い合いをし、果てには殺し合いをしていたように思えた二人だが、カグヤはイヴの胸の内で泣いていた。
──ひょっとしてカグヤってイヴのことが好きで、愛憎が裏返っただけなのか? 可愛さ余って憎さ百倍的な。
すがりつくように泣いている辺りそういうことなのだろう。言われてみれば近いことを口走っていたことを簡単に思い出せた。
そうなるとこれまでの苦労はなんだったのかと思わず肩を落とす。
「ま、カグヤのことは私の顔に免じて許してやって」
「わかったよ。お前もさっさと帰ってこい。でないとあることないことシモーヌに言っちまうぞ」
「ふん、やれるもんならやってみなさいこのグズ」
「お、そんなこと言うかこの駄女神」
互いに罵り合うが、前のような不愉快さはない。
「カグヤ、あんたも帰ったら言うことあるうちに来るように。逃げたら承知しないから」
「うん、うんっ」
頭を叩くイヴを合図に、カグヤは涙を流し鼻水をすすりながらも離れる。
「じゃ、行ってくるわ」
軽い言葉を残してイヴは消えていき、それと同時に視界は瞬時に切り替わり、周囲を見渡すといつものダイニングキッチンへと戻っていた。
カグヤがいないことから各拠点へ戻したのだろう。しかし、やはりと言うべきか、いるのはシモーヌだけでイヴの姿はどこにもなかった。
「ご無事でしたか十樹さん!」
戻るやいなやシモーヌが駆け寄ってくる。
彼女は上から下までじっくり見ており、ちゃんといることを確認しているようだ。
「よかった……いつものように戻ったのだと思いましたら、二人共どこにもおられなかったので心配していました」
「悪い。ちょっくら呼び出しをくらった」
「ところでイヴ様はまだですか?」
「あぁ、あいつならそのうち帰ってくるよ。いつかはわからないけどさ」
いつもイヴが座っていた席はもぬけの殻。
誰も座っておらず、戻ってくる気配もない。
でもいつかは戻ってくることを願い、今だけは郷愁を胸に、主のいない空っぽの椅子をじっと見つめるのだった。
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