新作落語小説「落語家のユメ」

山岡咲美

新作落語小説「落語家のユメ」

 「えー、わたしの友人の落語家に変な男がりまして、その男が先日 わたしみょうな事を言うんですよ」


ここは小さな寄席よせ落語らくご専用の演芸場、客入りは半分といったところ。


「師匠、僕このあいだ 変なもの見たんですよ」


「まあ友人ってのが 真打しんうちったばかりのボンクラで、そいつが言うには高座こうざで妙な体験をしたって言うんですよ」


「は!?、何かい?て言うと御前おまえさん落語している最中に白昼夢はくちゅうむを見たって事かい?」


「イヤ師匠、白昼夢どころの話じゃねーんですって」


「その男が言うには落語で話したことが高座にあふれて来たって言うんです」


「例えばね、御客さん、わたし蕎麦そばはなしをしたとしましょう、当然わたしも落語家のはしくれだ蕎麦をすするとなればこう扇子を持って…」


落語家はふと下に目をやる、まるで座布団ざぶとんの前に何かが有るように。


「ズズズっと…音をてて…」


落語家はゆっくりと扇子を右袖みぎそでに置き、ゆるりと何かを高座の床から持ち上げ、それを両の手で持ちパチリと割った、いや割ったように…見えた。


「ゴクリ…」


まただ、その落語家は今度は左手で何か小さな湯呑ゆのみの様な物を持上げてる様にみえる。


「はあ…」


落語家は割り箸を使い蕎麦でもざるからすくい上げ食べる、いや恐る恐るモソモソと食べて居る様にみえた。


「ささくれだ」


落語家は口の中から何かを小さな物を取り出し、座布団の下へとなすりり着けた。


寄席は小さな笑いに包まれる。


「ねえ、」


「まっ、まあ?そんな変な噺を聞きましてじゃあ…、何かい?…、っあんだ熊さんだーってーと、そいつ等が出て来て喧嘩けんかでも…おっぱじめるって事かい?」


てっ!!」


落語家は座布団から前につんのめる。


「ちょ、ちょと待てオメーさんわたし、私が悪かった、喧嘩なんてこの御時世ごじせいだコンプライアンスに問題が有るからけーってもらえないか?、いやかえって下さい!」


師匠は客席に背を向け、深々ふかぶかと土下座をした、もしそれで駄目なら座布団から降りて、もう一度するくらいのいきおいだった。


落語家は「フゥー」と息をつく、そして天を見上げ何やらブツブツとつぶやいている、何かの練習のように見えた、ざわつく寄席の客を尻目に落語家は崩れた着物を直し羽織を脱ぐ、羽織を脱ぐは本題に入る合図だ、そして一呼吸ひとこきゅうして噺を始めた。


「えーわたしには妻と娘が居たんですが、居たって言うとまあ今は天国ってところで…」


寄席の常連客じょうれんは気付く、今日のし物と違う。


「その落語家が見たものがもし本当なら、もしその場にわたしが居たら、私にはやらなけりゃならん一席いっせきがあるんですよ」


客は神妙しんみよう面持おももちで落語家の話を聞き始める。


「なにね、その話ってーのはただの子供向けの童話なんですが、娘のやつが父ちゃんの落語が聴きたい、寄席に行きたいとか言った事がありまして、わたしは「落語何てガキが見ても解りゃしない」って一蹴いっしゆうしたんですよ」


客は落語家の話に入り始める。


「でもねわたしその言葉が嬉しくってひそかに準備してたんですよ、「ええ」娘の為に、二人が事故でって以来想うんです、客席に、いや、高座のそでで良いから妻と娘に聴かせてやりてえって」


落語家はずは客席から見て右の上座かみざそして下座しもざを見る、下座見た落語家は少し立ち上がろうとして思いとどまる、下座に待ってくれと言わんばかりに両の手を開きそっと座り直す。


客は「ゴクリ」とつばをのむ、客はそこに二人が居ると思った。



「人魚姫」



落語家が今日の落語の題名を一言ひとこと


「えー、皆さんは人魚ってもんを御存ごぞんじですか?ええ、その人魚です日本では古来こらいその肉を喰うと不死に成るとか、不死に成った女が比丘尼びくにあまさんに成ったとか言うあれです、けれども西洋ではおもむきが違うようで」


始まりは今寄席に居る客に合わせ日本の怪奇譚かいきたんから。


「ある満月のの事、海の中では人魚の姫マリナが15歳の誕生日祝っておりまして、人魚にとって15となれば晴れて海の底に在る人魚の国から人の世界、海の上まで行く事が許される年齢と言う訳です」


落語家は客をおとぎ話へといざなう。


「そして海上へと行く末っ子のマリナに14人の姉達が声をかけます」


「まずは一番上の姉が声を掛けました、いいマリナ上に行く時はゆっくりゆっくりよ、体を水圧の変化にれさせるの」


「続いて二番目の姉が言います、マリナもし海が荒れていたら直ぐさま 深く潜るのです海の中が一番安全なのだから」


「三番目の姉は警告します、海の上には人間がおります人間には近付かんように」


「四番目の姉が、でもねお舟や陸地に近かなければいいのよ」


「五番目の姉は言います、マリナ人間は泳ぐのがへただ、いざとなったら海に引き込んで御仕舞おしまいなさい」


何だか落語家の様子がおかしい、しきりに何かをけているようだ。


「六番目は続けます、そうそう人間なんて恐くはないわ水に落ちたら息も出来ん」


落語家は六番目の姉に足を引かれた、いや引かれたらしい。


「すまないが落語の最中だ足を引っ張るのは止めてくれんか、あと尾ひれ目に入りそうだからたのむ」


客はくすくすと笑う、客には一人相撲にしか見えてはいない筈だがそれが面白い。


「ありがとう御嬢おじょうさんがた、次に七番目の姉が毒のある海蛇うみへびに気を付ける様に、八番目の姉はさめにと、番目の姉はお弁当もった?十番目はハンカチとポケットティッシュは?十一番目は鍵は無くさないでね、十ニ番目はスマホちゃんと充電した?十三番目は日曜朝の変身ヒロインアニメは録画してBlu-rayにダビングしておくから大丈夫よ、そして最後十四番目の姉が言いました」


落語家は神妙しんみょうな顔で…。


「無事に帰って来るのよ」


それはその落語家の妻と娘への想いだったのかも知れません。


「もちろんよ姉さん」


「マリナはそう言うと流行はやる気持ちをおさえる事が出来ず、尾ひれを強く弱く強く弱くとリズミカルに振り海面へと上がって行きました」


「海の上はと言うと風は強く吹くものの満月の美しい青の世界が広がっていた様子で」


「風って気持ちいい」


「マリナは初めて触れる空気、風、お月様の光に感動し手を高く高くかざし、もっともっとと体を伸ばし、さらには水をり高く何度も飛び上がります」


「…ふっと見ると遠の海の上にお月様とは違う橙色だいだいいろの小さな灯りが見えました、マリナの胸がドキドキと音をたてます」


「船だ」


落語家と人魚の目が合います。


「あ、いや御嬢おじょうさん不安そうにこっちを見ないでくれるかな話が進まねーからよ」


落語家はシッシッ手で追い返す。


「マリナはわたしの事をまるで役立たずでも見るようにプイっと背を向け船の方へと泳ぎ去ります」


「マリナが船まで近付いたころには風は更に強く成っており、船は大きな帆船はんせんでしたが風にあおられぬようたたんでいました」


「ちょと落語家さん、あそこ人が居る!」


落語家はあごをクイックイッっと前へと出して話掛けるなと伝えます。


「そして風は嵐となりマリナは大きく揺れ始めた船の甲板の人影が心配になり近付きます、その一時いっときの事!甲板上の男とマリナの目が合い「綺麗な人」マリナが思った刹那、「海に人が?」と驚き身を乗り出した男が船から落ちたのです」


「おい何やってる御嬢さん!早く助けるんだよ!」


「マリナは突然の事に動揺している、仕方ねーってんでわたしが指示をだします」


何だか高座は大混乱に成って来ました。


「いいかい御嬢さん!溺れた人間を助ける時は後ろかだ、必死の人間は何かをつかもうともがくから掴まれんよううしろへ回りこみな、そうそう良いだ、それじゃ御嬢さんあごを持って顔だけ水の上へと出してやんな!人間息さえ出来りゃ死にゃあしない!」


落語家は「ゼイゼイ」と息をととのえていく。


「ま、まあ、そんなこんなで男を助けたマリナはその男を近くの浜辺へと連れていきます、すでに夜は明け嵐は去っていましたから人に見らねぬようそっと波打ちぎわに置き心配なので岩影から様子をうかがいます」


「人?」


「浜辺近くの道を歩いていた修道女が男に気付き駆け寄るってーと」


「王子様?」


「修道女はその男を王子と呼びました、そして王子は目を覚まします」


「あなは?僕は確か海に、修道女さん貴方が僕を助けて下さったのですか?」


「修道女は浜辺に打ち上げられていた王子を介抱したと言いました」


「王子はその美しい修道女にかれます、マリナは少し寂しい気持ちもありましたが相手は人間、関わってはいけません、マリナは深い海の人魚の国に帰りました…」


落語家は座布団に座り直し客と自身のみゃくととのえます、まるで幕間まくあいつくるかのように。


そして続きに入る。


「マリナは人魚の国に居てもあの王子の事ばかり考える様に成っていました、心配した姉達が最もながく生き最もに優れた魔女の人魚に相談しては?と声をかけます、ええ魔女にです…」


「マリナそれは恋の病だよ、幾人いくにんもの人魚がそのやまいにかかり命を落としていった、人魚にとって愛は永遠、愛する者がいる限りその想いから逃れるすべは無くその身を絶望が泡とするまで想いに苦しみ続ける、そしてそこから助かる道は二つに一つしか見たことが無いとかたります」



「その男と結ばれるか、その男を殺すかだ」



「マリナには一つしか選択肢がありませんでした、マリナは王子様の愛を手にする為、地上へ人間の国へと行く決心をし、そして魔女が渡した人と成る魔法の薬を手にマリナは海面を目指します」


「マリナの頭に魔女の言葉が繰り返される」


「良いかいお嬢さんまずはその人間を想う事、想いが無ければこの薬は人魚を人間には変えれない、そしてこれは劇薬だなにせ人魚の体を人間に変えようってんだ飲んだその時ノドが焼ける様に痛み声が出なくなる、そしてヒレは足へと変わるがその足で歩けばその足には強い痛みが走る、それでも良いんだね」


「マリナはそんな魔女の言葉すらあの王子様に会う為なら希望の言葉と変わりました、しかし地上でマリナを待ち受けていたのはその思いを打ち砕く絶望でした」


「王子様が結婚?あの修道女は戦争から逃れて来たお姫様?」


「浜辺に打ち上げられていたマリナはあの日の修道女いえ姫君が居た修道院の修道女達に助けられていました」


「声も無く痛みで歩くのも辛そうなマリナを可哀想に思った修道女達が保護して居たのですが、王子と姫君の結婚式の準備がこの小さな修道院、二人が出会った想いでの場所で始まりマリナはその事実を知るのでした」


「私の想いは永遠に叶わないの?ずっとこの胸の痛みに苦しみ続けるの?」


「マリナの希望は絶望へと変わり王子様への想いはその大きさの分だけ苦しみへと変わってしまいました、マリナにとって地上は人間の国は絶望の国に成ってしまったのです」


「マリナ、マリナ、こっちよ、こっちを見て」


「マリナはどうする事も出来ない現実にただただ泣いてた幾日いくにち目かの夜の事です、マリナは眠れずみずからの想いに押し潰されそうに成ると寝巻きの上に毛布を羽織り海へと向かうのです、足の痛みも波打ち際にさらすと痛みがやわらぐ気がして、もし泡と成るならせめて海に帰りたくてそうしていた気がします…」


「マリナ!!!」


ねい様?!」


そこには一番上の姉がいました」


「姉様…わたし、夢をみているの?」


「マリナこれを…」


「姉様髪が!」


「マリナは長く美しい髪を短く切りつめた姉の姿に驚き目を覚まします」


「あれはやっぱり夢だったのかな…」


「次の日の朝の事、マリナはベットで足下あしもとの濡れた毛布と手の中のに気付きます」


「マリナよく聞きなさい、貴女あなたにはもう時間がありません、貴女はもう直ぐ泡と成って消えてしまいます、私達わたしたち14姉妹の髪を使い魔法をかけたこのナイフを魔女が作ってくれました、このナイフで王子を刺せば貴女の想いは消え果て、想いを失った貴女からは魔法の薬の効果が無くなり貴女を人魚へと返します、貴女が助かる最後の道です、貴女が泡と成る前に王子を刺しなさい」


「必ず生きて私達の元へ帰って来て!」


「姉様…」


「マリナはナイフに写った自分を見つめます」


「王子様よ!お姫様もいるわ!」


「修道女達が騒ぎだします、お姫様は寝食しんしょくを共にした修道女の友達に囲まれ話をしています、王子様はと言うと修道女達を上手じょうずわし海の見える修道院の裏庭へと向かって行きました」


「貴女が泡と成る前に王子を刺しなさい」


「姉達がまるで導くかのようにマリナはナイフを修道服しゅうどうふくへと隠し王子の元に向かいます、足の痛みにも気付かれぬよう不信な動きが無いようにただの修道女がただ御挨拶ごあいさつでもしに来たようにマリナは静かに王子に近付きます」



「君はあの時の人魚だね」



「マリナは驚きを隠せませんでした、王子が私の事を憶えていると、そして押し黙るマリナに、いな 話す声を失ったに人魚に話続けます」


「あの時は本当にありがとう、貴女あなたのおかげで生きていられた」


「マリナは思います王子様がわたしを憶えていた、あの時のこと忘れないでいてくれた、マリナは自分の想いを伝えようとしますが声が出ません、溢れ出る涙と何かを必死で訴える娘が王子様の前に居ただけでした」


「ありがとう人魚さんでも僕にはその想いにこたえる事が出来ない」


「王子様は命の恩人が話そうとする言葉を声なき想いを目をすませ、一生懸命理解してくれたのです」


「マリナは何故なぜ?と返します」


「人魚さん僕には愛する女性が居ます、ここに一緒にきた女性です、修道女としてこの修道院に隠れ住んでいた姫君です、貴女に助けられたのちあの方が僕を介抱してくれたのです、そして僕は姫君でありながら一人ひとり国を離れ暮らして居たあの方にはじめは同情して居たつもりでした、でも違ったのですあの方に起こった事は僕にも起きうると共感して居たのです」


「王子は残酷にも、そして正直にマリナの何故に答えます、マリナは涙と共に真っ直ぐにその話を聞き続けます」


「僕はあの方を、姫を愛しています…だから…僕は貴女の想いに応えることは出来ません」


「マリナは涙を必死にぬぐい言います」


「正直に答えてくれてありがとう、わたしこの想いを失くす事は出来ないけど許して下さい、でも、だから、だからこそ私は貴方の幸せを願えます、王子様どうか幸せに成って…」


「マリナは気付いたのです、たとえ王子様を魔法のナイフで刺したとしてもこの想いは消えない、絶対に消したくない、そして愛する王子様を想い続け王子様を殺した罪の意識に押し潰され泡と消えるのだと…もしそうならばマリナは王子様が生きて幸せになる未来の中消えたいと…」


「王子様、花嫁をおいてこんな所に居てはいけません、疑われてしまうわ」


「マリナは笑顔で精一杯の虚勢きょせいを言った、そして王子様は少し微笑ほほえみ照れくさそうに花嫁の元に帰って行く」


「もう良いんですかいお嬢さん?」


落語家は最期に言葉をかける。


「ええ、わたしここできます、だってここは王子様と私の想いでの場所に成ったんですもの…だからここが良いんです」


落語家は最期の言葉をつむぎぎ出します。


「マリナは王子様への想いと、想いでの場所の中で泡と成ります、そして風に乗り天の国へと昇るのでした」


落語家は天を見上げ、そして高座口こうざぐちに目をやり客には聞こえない声で言います。


海奈まりな、父ちゃんの落語…楽しかったかい?母ちゃん…海奈の事 たのんだぜ」


落語家は高座口に向かって微笑み、やりきった表情で胸をり客席へと目を移します、客達は押し黙り夢現ゆめうつつの中にます。


落語家のめのお仕事です、お客さんを落語の中から現実の世界に戻さなければいけません…。


「スゥー」


落語家は一呼吸。



「さてと御客人おきゃくじんわたしは本当に見えて居たんでしょうか?」



落語家は「ニヤリ」みを浮かべ言葉を続けます。


「おあとよろしいようで」


落語家は深々と頭を下げた。


楽しい落語ユメの時間は終わり落語家は高座口へ、最期に落語家が小さな子を抱きめるよう駆け寄ったかに見えたのは…きっと客が見た白昼夢だったに違いない。

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