出逢い

「ねぇ、大丈夫!?」

目を開けると先程の少女が心配そうに覗き込んでいる。傷は大丈夫だと思うが、出血のせいで身体はほとんど動かない。とりあえず水が欲しい。池をご存知ありませんか?そう言おうとしたのだが、声が出ない。少女は必死で読み取ろうとしてくれている。もっと単純な言葉にしようと思い、「み」「ず」と息を吐きながら口を動かした。

「水が欲しいの?」

伝わったことに安心し、ゆっくり頷く。

「近くに池があるけどあれ塩水で…」

それで良いです、と言うように二回頷くと、彼女は待っててと言い残して林へ入った。しかしほとんど待つ間もなく彼女は器に水を入れて現れた。

「口開けて」

言われるままに口を開いたが、半分くらいは口に入らずに横を流れていく。少女は申し訳なさそうな顔をしたが、月夜様曰く、触れるだけでも良いので零れても問題は無い。喉から、顔の表面から、水が身体の中に入って来るのがわかった。しかし出血が続いているので身体の中の水分量はあまり増えない。何も言わなかったが少女はすぐに林に戻って二杯、三杯と水を飲ませてくれた。身体の感覚がある程度戻って来た。同時に傷の痛みも甦る。

「あの」

再び水を汲もうと林に戻ろうとした彼女をなんとか絞り出せた掠れた声で呼び止めた。

「…案内して…頂けませんか……」

「歩…ける?」

少女は声が出たことに一瞬驚いた後で、不安そうに手を差し出した。その手を取ろうとして、思い直して手を引っ込めた。綺麗な手を汚してしまう。

「有難うございます」

手を取る代わりに、遠慮するように手で彼女を制すると、全身に力を込めて立ち上がる。よろけて近くの木に手を付いたが、なんとか体勢を整えた。それを確認して彼女は心配そうに振り返りながら進む。するとその池はすぐに見えてきた。あまり大きくはないが程々に深さがある。池までもう少しの距離で木が途切れた。未だに感覚の戻らない左足を引きずって進み始めたところで右膝がかくりと折れ、体が傾いたが倒れはしなかった。隣で彼女が支えている。汚さないでおこうと思っていたのに…。

「すみません…」

応えずに池の側まで付き添ってくれた彼女はゆっくりと私を座らせるように手を離すと、自分は淵に座った。

「無理は出来るときだけにしなよね」

言わんこっちゃないとでも言いたげな表情だ。私は座ったままそっと池の中に足を入れた。曖昧だった感覚がどんどんはっきりしてくる。あちこちが痛む。少し力を抜くと身体が傾き、派手な音を立ててそのまま池の中へ落ちた。とても久しぶりに水を浴びた気がする。身体はゆっくりと底へ沈んだ。やはりあまり深くない。完全に水中の状態で目を閉じる。まるで郷に帰って来たようだ。暫く息を吐きながら沈んでいた。全て吐ききって自然に息を吸って慌てて顔を水から出した。激しく咳き込む。そうだ、人間なら水中では息ができないのか。本当に人間に近い身体になっているのだと実感する。

「ちょっと、何やってるのよ。大丈夫?」

呆れ顔の彼女に、大丈夫と伝えるよう少し笑ってみせた。

「すみません、つい…」

体調はだいぶ楽になった。痛むのを堪えて水から上がり、今度は足は水中のまましっかりと座り直した。それをじっと見ていた少女が、私を覗きこんで心底不思議そうにしている。

「ねぇそれ、髪の毛なの?」

言われて彼女の視線の先を見て合点がいく。血が水に洗い流されて綺麗になった髪の中で、あの鮮やかな青色をした髪が異彩を放っている。指に青い髪を絡めて自分でも見つめる。

「ええ。これでも私の髪ですよ。何故こんな色をしているのか、自分でも分からないのですが」

「そうなんだ…」

彼女は吐く息に混ぜるよう呟き、まだ見たことのない奇妙な髪から目を離さないでいた。そして突然思い出したようにぱっと私の顔のほうに目を向けた。

「…あの、えっと…、何があったか訊いても良い?」

私のぼろぼろの全身を見ながら、さっきとは打って変わって沈んだ声だ。隠すことでもないので、鶴を逃がしたこととそれについて彼らが怒ったことだけをかいつまんで説明する。青い目の下りは勿論省いたが。すると、第三者であるはずの彼女は悲しそうに眉を曇らせた。

「そこまですることじゃ…。ごめんなさい。はるばるこの村まで来たのにそんな目に合わせてしまって。この頃は気が立っている人が多いの」

「貴方の謝られることではないでしょう。仕方がありません。ずっと雨が降らず食べ物も採れない中に現れた格好の獲物をよそ者に逃がされてしまっては腹が立つのも分かります。まあ、流石にここまで滅多打ちにされたのは分不相応だと思わざるを得ませんが」

苦笑すると彼女は少し驚いた表情をした。

「村がこんなことになっているの分かってて来たの?」

考えてみれば普通は確かにおかしいかもしれない。

「ええ。だから参ったのです。簡単に言えば仕事の一環なのですが、この村に雨を降らせて頂く為に」

「降らせてもらうって誰に?」

心底不思議そうに間髪入れずに訊く彼女に少し圧される。でもあまり詳しく言うのも良くないかも知れない。そもそも素性は隠すように月夜様から言われている。

「すみません。詳しくは言ってはいけないことになっていて…」

「残念」

彼女はたいして残念じゃなさそうに言うとじっと此方に向けていた目を戻した。

「それより傷の手当てどうしよ」

当たり前のように言う彼女に驚く。

「そんな、気にかけてくださらなくても自分でどうにか致しますので。有難う御座います」

「そんなこと言ったって…」

何もしようがないと言うように池の他には草木ばかりの周りを見渡した。確かに使えそうな道具は無い。

「これからどうするつもりなの?」

一つため息をついて彼女が訊く。

「今晩はここで休んで明日から動こうと思っています」

世話になったので簡潔にだがきちんと答えると、訊いたほうは怪訝そうな顔をした。

「動くってその足じゃ歩くことだって…」

そう思うのも当然だろう。私自身、左足首の周辺は未だにほとんど感覚がなく、まともに動かすことができない。だから今晩はこの水のある場所で出来る限り治そうと思っていたのだ。術が使えれば傷の癒えを促進できる。

「大丈夫です。一晩あれば歩ける程度には治せると思うので」

補足したが彼女はますますわからないといった表情になる。あれと思い、ふと気が付いた。つまり人間も術は普通使えない生き物か…。術のことも知られるとまずいのだろうか。どうにか話を反らしたい。暗くなり始めた空に偶然目がとまる。人間は夜には住み処に戻るものだと聞いていた気がする。この少女は戻らなくて良いのだろうか。

「あの、貴方は…」

言い出したものの、どう訊けば良いのか少し迷い、止まった。もし帰る必要がなかったとき、この問は暗に去ってほしいと言っていると捉えられてしまうかも知れない。かといって帰るべきなのに遅くなってしまっても申し訳ない。どうにか上手い言い方を探して数秒が経つと、彼女がふと気が付いたように口を開いた。

「あ!そっか忘れてた。私の名前は白百合。さっきも言っててわかったかもしれないけど、ここの村長の一人娘で…って、ごめんなさい、もしかしてそういうことじゃなかった…?」

貴方は、で止めてしまったので素性を訊かれたと思ってしまったのだろう。対する私の反応にそうではなかったと気付いたようだ。しかしこれは私の言い方に非があった。

「いえ、勘違いさせてしまうようなところで止めてしまって申し訳ありませんでした。えっと、では…白百合様、先程から気になっていたのですが、もうだいぶ日が低くなってきたので… 」

「えっ、ほんとだ!帰らなきゃ」

空を指差して言うと彼女は慌てて立ち上がった。やはり言って正解だった。

「そういえばあなた、水だけで随分元気になったみたい。ちょっと安心した」

小さく微笑んで少し土の付いた裾を払いながら此方を向く。

「まあ、動けなかった原因は水なので。体質上そこだけは気力で解決できなくて困ります。ご心配お掛けしました」

頭を下げると少女はじゃあね、と背を向けた。林を出ようとしたところで心配そうに振り返る。

「お世話になりました。有り難うございました」

そう遠くないので大声は必要ない。礼を言い直すと彼女はまだ心配そうに、でも少し笑顔を見せた。その笑顔に安心しながら、彼女にも安心して頂けるよう自分にも笑顔をのせた。やっと顔を戻して足早に進むその小さな背を見つめる。月夜様の言葉を思い出す。確かに人間は、悪い者ばかりではないようだ。

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月に咲く花 @lily_skymoon

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