第42話 刑事告訴
棚ぼたコピーと名付けてもよい、桜田から靖子経由で渡されたコピーを見て、本多は肩の荷が下り軽々と動きやすい環境が整ったのだった。これで心置きなく北原の弔い合戦に臨むことができ、近書院の不正を白日の下に曝せるのだ。
「桜田氏は君がお気に入りのようだね」
コピーに目を通してから本多が微笑みかけると、
「ライバルが現れて、直則さん、少し不安でしょう?」
靖子も笑いながら軽口をたたいた。何とも言い表しようのない、爽快な気分に満たされているのだ。父の調子もいいし、本多との婚約も成った。それに久し振りに京都へ帰って来て彼のマンションにいる。これだけでも浮き浮きと心ときめくのに、桜田が危険を冒して途方もない物を手に入れてくれた。嬉しくなければ木偶の坊というものであろう。
「それじゃ、仕事に取りかかるか」
鼻歌交じりの靖子を尻目に、本多は苦笑しながらソファーから立ち上がった。コピーを持って隣の書斎へ入ると、携帯で友人の楠岡を呼んだ。彼は最近、大手全国紙の科学部嘱託にもなったので、事情を話して社会部へ連絡を入れてもらうつもりなのだ。
「お掛けになった電話は―――」
電源が切られていて、アナウンスが聞こえるだけで、携帯で楠岡を呼び出すことはできなかった。仕方なく自宅へ電話を入れるが、こちらもまだ帰宅していないとの返事だった。
「ポケベルを鳴らしてもらって、すぐ本多先生のところへ電話するよう伝えてもらいます」
娘の百合が答える。小学校六年生だが、躾が行き届いていてテキパキと要領よかった。
「もしもし、こちら楠岡」
五分もしない内に楠岡から電話があり、事情を話すと、
「よし分かった。被害にあった西岡という作家に取材を入れて、事情を話してみるよ。藤野さんの方は、こちらの調査の過程で明るみに出たということで新聞発表が可能か、検討しておくよ」
当方の事情を汲んで動くことを約束してくれたのだった。
桜田の資料が役立ったようで、二日後の朝刊に近書院の不正経理記事が掲載された。一面トップ、五段抜きだった。
「新進作家を育てると称し、彼らを食い物にする許し難い、極悪非道、最低の出版社である」
西岡という作家が過激な表現で近書院を非難し、詐欺罪で告訴すると結んであった。その隣には靖子の穏健なコメントが掲載されていたが、
「再版分の出版契約は解除し、以後は東京のS社に委ねるつもりです」
最後のくだりは、さすが法学部の講師と納得させる事務的かつ簡明な表現で、また、新人作家とは思えぬ手際の良さだった。
新聞発表は日曜の朝刊のこともあり、近書院は休みでさしたる混乱はなかったが、社員宅はマスコミの取材に晒され、すわ一大事かと思わせる混乱の一幕が訪れたのだ。単なるコメント発表だけの自分の取材でもこれほどまでかと、その多さに驚き、靖子が心配になって桜田宅へ電話を入れると、
「うまいこと言うて、アンタもマスコミの人間やろ!」
美佐子に危うく断られかけたが、
「いいえ、藤野といいまして、先日〈ライン川のほとりで〉で桜田さんのお世話になった者です」
桜田との関係を話すと、ようやく信用して彼に取り次いでくれたのだった。
「いやー、やりましたね。僕の望んでいた通りで、安心しました」
電話口に出た桜田はけろりと普段通りの口調で、むしろ事件の展開を楽しんでいる風だった。
「会社から何か言ってきませんでしたか?」
「ええ、会って話がしたいから、五時に車を回すって先程社長から電話がありました」
靖子の問いにも淡々と答えたのだった。
「直則さん、桜田さんは無警戒だったけど、大丈夫なのかしら」
靖子は心配になり、社長からの電話を本多に伝えると、
「‥‥‥うん、呼び出しに応ずると危険だな。社長はタチの悪いヤカラとも付き合っているらしいから。―――楠岡に連絡を取って、何とか阻止してもらおう」
彼は早速親友に電話を入れ、桜田の安全を守るべく緊急措置を話し合った。
「桜田氏が退社する今月末まで、しばらく彼にボディ・ガードを付ける必要がありそうだな。小林君に頼んで、彼の空手部の後輩たちにアルバイトでもしてもらおうか」
携帯を切ってから、本多は不安顔の靖子に微笑みかけたのだった。
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