第五十話 魂はここにある

 ——ポタリ、ポタリ……。


 なにかが……、


 ——ポタリ、ポトリ。


 聴こえる。


 ——ポトリ……。


 ……小さい音だ。


 ——ポタリ。


 聴き耳を立てないと、消えそうなほど……、ちいさな音。


 ——ポタリ、ポタリ……ポトリ。


 どこからかは、わからない。

 しかし、それは……、何故か悲しい音に聴こえた。

 とても、とても悲しいくてよわい音。


 ——ポタリ。


 その音が耳から入り、響くと何故だか胸が苦しくなる。

 思い出せと、気持ちを焦らせる。

 だけどもそれは、わからない。

 大切な、大事な、失いたくない何か。

 頭の中を何度もあさって探してもみても、すっと透明な空気みたく、消えていく。

 空っぽの感じがした。

 俺は……諦め、目を開ける。


 そこには、目を閉じていた時と変わらない景色があった。

 暗闇だ。

 全てを闇が覆っていた。

 俺はその闇の中に横たわっているようだった。

 周りに目線を動かしてみるが、何も見えない。あるのは、果てない闇が広がっているのが見えただけだった。

 自分の体すら見えない。

 呼吸を意識してする。

 何度も息を吸い、吐き出して自分が生きているのを確認する。


 が、


 ……生きているのか死んでいるのかがわからない。

 不思議と不安が無いのがおかしかった。


「俺は……どうなったんだ?」


 発した言葉に、答える者はいない。


「何が……あった? ここは?」


 今の状況に混乱しつつ、立ち上がろうとする。

 手をつき地面を確認する。

 体は動く。

 多少、ふらつく足で立ち上がった時、気づく。


 ——光に。


 唐突に、数メートル先に現れたそれは、最初は豆粒サイズでボンヤリと光っていた。

 そして、存在を主張するかのように次第に輝きが強くなり、ゆっくりと膨らんでいく。

 三十センチぐらいまで大きくなると幾度かまたたき、いきなり音もなく爆発。

 驚きと眩しさで目を閉じた瞼の裏を、光が埋め尽くす。

 全身を真っ白い光が貫く。

 強烈な眩い洪水が世界を塗り替える。


 ……再び目を開いてみた景色は一変していた。

 闇は吹き飛び、白い光に満ちていた。

 前方に、一つの存在が立っていた。

 三メートルはあるだろう巨大な筋骨隆々の赤色の肉体を持つ、


 ——鬼が。


 その瞬間、俺は全てを思い出した。


 異世界、『スレイトラッド』を。

 強くなる為、守りたいと誓った特訓の日々を。

 オリジナルの俺の意思を受け取り、戦った事を。

 神の存在を。

 激闘の末、災厄に勝ったことを。

 そして……、リリーと交わした約束を……思い出した。


「まいったな」……そうか、ここは、こいつの夢の中か。

 多分、神の支配から解放されたからか?

 まあ、いい。

 だけど、


「お前、そんな顔で笑うんだな」


 呪いが解けた様にすきっりして笑う顔を見て、なんだか少しだけ笑ってしまう。

 俺の言葉を受けてか、あいつは一層に笑い、そして右拳を高く上げ……振り下ろす。

 真っ赤な拳は——俺を真っ直ぐにとらえていた。


「やだよ。めんどくせー。なんだよそれ? 後は……、まかした的なやつか?」


 鼻で笑い返した俺に、そいつは頷くと、くるりと背を向け歩き出す。


「後、七体か……俺と約束したしな、しゃーない」


 頭をガシガシとかいて大声を赤い背中にかける。


「いい戦いだったな! さっさと成仏しな! それでまたいつか、何処かで出会ったなら! やり合おうぜ! 神!! 抜きでな!」


 片手を高く上げて答える鬼。


「やってやるよ、じゃーな、元災厄」


 あいつが歩いていく前には、家族だろうか? ボンヤリと似たような赤い鬼が沢山いた。

 小さい子供から大きい鬼まで何体もだ。


「よかったな、家族のところに帰れて」


 最後、あいつは振り向き、俺を少しだけ見て、にっこり笑い、家族と一緒に消えていった。


 俺は誰もいなくなった場所で独り言葉を落とす。

 無意識に。


「生きてるってなんだろな?」


「最後に笑えたらいいかもな」


「あいつは笑っていた、それはきっと……」


 次第に意識が遠くなっていく……。

 あの悲しい音の事を考えながら、俺は気を失った。




 □□□□□□□□□□




 最初に感じたのは音より冷たさだ。

 ポトリポトリと顔に何かが当たっている。

 それが、少し冷たい。

 俺は見る、目を開けて見た。

 そこには、青い目に涙を湛えて静かに俺の頭を……膝枕……? をして抱く、リリーが見えた。

 音はリリーの目から落ちる涙が、俺の顔に落ちる音だった。

 体の激痛に耐えながら、口を開こうとして、先に聴いたリリーのひとこと目は、


「……バカ」


 だった。


 リリーを見て思い出す。あの時、誓ったのにな……。

 守るって。


 俺はその時、本気で想った。

 死にたくねーなと。

 生きてーと。

 もう、ダメかもしんねーけど。

 最後は笑って終わりたいと。

 このままじゃ、終われない。

 リリーの泣き顔を見て、涙の音を聴いて……、そう思ったんだ。


 魂を燃やせ。

 俺は俺を蹴り上げる。

 ここはまだ、終わりなんかじゃない。

 始まりだ。

 だから……もう、泣かないでいいから。

 まだ、ある。

 ここにある、魂を。

 燃やす。















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