第五十一話 さよならにさよなら
そこには何もなかった。
風もなく。生命もなく。音もない。
ただ、青色があった。
透き通る青。
青色が二人を照らし、包む様に見下ろしていた。
リリーはセイを膝に抱き座っていた。
……戦いは終わった。
遥か昔から受け継がれた祈りは成った。
災厄の一体は、今日討伐された。
数えきれない絶望、悲しみの叫び声。
だが、祈りは成った。
さあ、続き始めよう。
新しい戦いを。
少年、少女は新たな戦場に歩き出す。
終わりの始まり。
物語が音を立てて転がり始める。
神すら結末が分からない物語。
故に神は笑う。
神ですら創れない物語に笑う。
神の暇潰しに生まれた世界『スレイトラッド』は神の手を離れた。
笑い声は世界に響き渡る。
響き渡る。
楽しそうに嬉しそうに。
響き渡る。
コロコロと。
——響き渡る。
□□□□□□□□□□
——ポタリ、ポトリ。
……音が、した。
——ポトリ。
何かが落ちる音。
——ポタリ。
私の耳に。
ずっとずっと。
聴こえていた。
……それは、私の涙が落ちる音だった。
止まらない……。
涙が、止まらない。
どすればいいの? わからない。
わからないよ。
小さな少女のみたく、無力だった。
泣くことしかできなかった。
怖かった。
セイがいなくなるのが、
怖かった。
生きているのが不思議なぐらいに、セイはボロボロだった。
失った手足は災厄との激闘を物語っていた。
セイを抱いて泣いている私は迷子だった。
何度も何度も、見てきた光景が目の裏に蘇る。
——繰り返してきたさよなら。
私の腕の中でセイの命は、ゆっくりと消えようとしていた。
私の落とす涙の音が、どこか遠く聴こえた。
災厄はいなくなった。
夢にまで見た、災厄を倒す事を。
強くなろうと命を賭けてここまで来た。
だけど、私は……負けた。
セイが災厄を倒した……。
腕の中のセイを見て想う。
命が消えていくセイを見る。
——嫌だ。
嫌。
嫌だよ。
一緒にいたい。
一緒にいたいよ。
もっと一緒いたいよ。
ねえ、目を覚ましてよセイ。
私の住む街には、あんみつっていう、甘くて美味しいお菓子があるんだよ。
セイと食べに行きたいんだ。
サユお姉ちゃんも紹介したいし、サイランも。オマケでミーシャも。
だから、セイ。私を……、私を独りにしないで……。
嫌だよ。
死なないでセイ。
こんなのってないよ。
さよならは嫌だよ。
さよならは……。
静まり返った地に涙の落ちる音。
その時、カランと小さな響が……。
リリーは気付かない。
もう一度、カランと音する、リリーの胸元からだ。
その時、リリーの耳に声がした。
懐かしい優しい声。
『リリー、胸の小瓶……、……、を彼に……、飲ます……んだ』
……、——お父さん!?
『時間がない、リリー……、く……すりを……彼に……』
——無意識にリリーの動く体。
私は、首から下げているお父さんの形見である小瓶を取り出して、紐を引っ張り千切る。
蓋を開け、一気に口に含みセイの唇に自分の唇を重ねる。
私の口から、セイの口の中に液体が入り込む。
ゴクリと小さな音を立てて、セイの喉を通る液体。
空になった小瓶を握りしめて、セイを見る。
変化はない。
目を瞑り、微動だにしないセイ。
息を呑み時を待つ。
——その時、風が吹いた。
リリーの前髪を揺らす、気づかないぐらいの弱い微かな風が。
……ゆっくりと……、セイの目が開く。
ボンヤリと焦点が合わないのか、何度か瞬きをし、そして真っ直ぐに私の目を見る。
胸が揺れ、涙がまた溢れ出す。
私は——、私の口から出た言葉は自分でもわからないものだった。
「バカ」
音が転がる。
吐いた言葉が世界を彩る。
二人ぼっちの世界に色がつく。
虚しい青色が、光を連れて輝き出す。
私を見上げたセイは一瞬、戸惑った顔をして、そして真剣な表情して、笑った。
心底嬉しそうに私に言った。
本当に嬉しそうに。
「勝ったぞ」
破顔して笑うセイ。
「お前、泣きすぎだろ……、夢の中まで聴こえていたぞ……う、ん……? なん、だ? 魂が……少し再生して——」
俺の言葉は最後まで言えなかった。
何故なら、リリーに抱きしめられたから。
小さく聴こえるリリーの声が俺に気付かせる。
「よかった」と泣くリリーの声が顔のすぐ隣からする。
守ると誓った筈なのにな……ごめんな。
強くなる想いが魂を燃やせと叫ぶ。
——俺の死に場所はここなんかじゃない。
俺を抱きしめたままリリーが、
「お父さんの声がして、セイに飲ませろって」
俺は頷いて返す。
「そうか……形見だったんたろ? ありがとうな。おかげで目が覚めた」
リリーの声を聴きながら考える。
(しかし、もって……サンマルマルか? 魂のカケラか……一か八かだ。ナビ! 聴こえるか!?)
——マスター!! よかった! 返事が全然返ってこなくて……生き返ったんですね! ゴキブリ並みの生命力です! 嬉しいです!——
(いや、なんかその言い方はどうかと思うが……まあ、いい、時間がない。ナビ、ここら一番近い魂のカケラの場所は分かるか?)
——はい! 南南西に五キロの地点に一つ反応があります……、ああ、そうですね——
なんだ分からないが、その時ナビが笑った気がした。
——サンマルでカケラを入手、取り込みマスターの魂を回復、ですね! 了解! いきます! 『オーテンシステム』起動。神血は魂のダメージを考慮、『0.00001パーセント』創造、マスター! カケラの座標は随時、示します! まずはその傷ついた肉体を——
「オッケー、神血確認。リリーちょっと待っててくれ」
セイが私に突然言い、光った。
瞬時に再生する手足。傷ついた体が治っていく。
驚いて涙もとまった私にセイが立ち上がり、振り向きながら言う。
「ちょっと、揺れたら勘弁な」
セイに抱き上げられる。
えっ? えっ? お姫様抱っこ? え?
混乱する私に、
「行くぜリリー。生きるか死ぬかのチキンレースだ。『絶血——
フワリと浮く感覚。
私はお姫様抱っこされながら宙に浮いていた。
ギュンっと音がしそうなぐらいに飛び立つセイ。
風を切る音が耳を打つ。
突然の事でつい、うっかりセイに抱きつく。
「世界はな! 誰のもんでもねー! 俺たちのもんだ!」
「え? ちょっと、セイどこに!?」
私の声を置き去りにセイは物凄い早さで飛び出す。
でも、笑っていた。
私は笑っていた。
そうだね、そうだ。
「世界はきっときみのもの」
だから行こう、最後まで。
二人で。
閃光の如くの光りが青い空を切り裂く。
それは、白日の流れ星。
少年と少女は出会い、運命が変わった。
世界は未だ沈黙していた。
だが、風が吹いた。
この『スレイトラッド』に。
神の笑い声がする。
それは、幸か不幸か誰にも分からない。
世界が変わった瞬間だった。
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