第十六話 立つ剣

 暗い……。


 暗い……。


 暗い……。


 寒い……。


 意識と無意識の間……あの世とこの世の境界線……。


 真っ暗を……わたしはおよぐ。

 思い出す……。

 泳ごうとして、手足を一生懸命バタバタするけどブクブク沈んでいく……そんなわたしを見るお父さんが「へったぴだなー」って笑っていたっけ……。

 何故だかそれが嬉しくて……。


 真っ暗に……わたしはしずむ。

 もう、何も考えたくない……抱きしめてくれたお父さんは……もう……。


 闇にまっすぐ落ちていく……ちいさな意識は少しずつ消えていく……。


(じょー……じょーーちゃ……じょーーち……)


 わ た し 死ん じゃうの かな。


(いきてる……だれか……ちが……とま)


 誰? 声 ? あ あ さむい……もう いい。


(じょーーちゃ……じょーーちゃ……)


 薄っすら見えた光、それもすぐ瞑る。


「——嬢ちゃん! 嬢ちゃん!」


 声がする……わからない……なにも感じない。


「嬢ちゃん! 意識が! サユはまだか!? 血が止まらん!」


 物凄く眠たい……もう何もかも忘れてこのまま眠りたい……。

 酷く嫌な悲しいことが……あった……、とてもとても……辛いことが……思い出したくない。


 このままでいい……このまま……。


 ——声が一段と大きくなり叫ぶ。


「おう!! サユ! 来たか! この子のお腹を見てくれ! 血が止まんのじゃ!」


「見せてくれ」


 おんなの人の声がする。


「酷いな、腹に大きく裂傷、右足骨折、全身を強く打っているな……よくがんばったな、すぐ治してあげる」


 優しそうな声……。


「友よ、私の声を聴け、その力を見せろ……聖なる巻き戻し鳥ホーリータイムトラベル


 暖かいなにかが私をつつむ……。


「これで、大丈夫」


 その声を最後に……わたしは眠りの海に沈んでいく……、こんな せか い だい きら……。


 誰にも届かない声、ストレンジャー達と共に。


 …………。

 

 少女が眠りについた後の声。


「これで大丈夫よ」


「よかったじゃ、危機一髪じゃったぞ、サユ」


「でも……この子、人の子よね? 精霊術での体の治りがよすぎるわ。どうして……? かしらね」


(まさかね……)


「団長、この子の血を少しもらうわよ」


「はー? なんに使うつもりじゃ?」


「ちょっとね、調べもの。面白いことがわかるかもね」


 女は男の持つ、少女の血止めに使った布をもらい、背を向ける。


(さて……他に生きている人間は……)


 女は団長と呼んだ男を放って、まだ煙を上げ熱のある戦跡せんせきの隙間を器用に飛び歩いていく。


 それを眺めて、団長と呼ばれた男が。


「はー、自由すぎじゃろ、あやつ……まあいい! 嬢ちゃんをどこか暖かい所に寝かせんと」


 男は壊れ物を触るように少女を抱き上げ、歩き出す。


 災厄襲来から次の日の朝の事だった……。




 □□□□□□□□□□




 暗い道を歩いている。


 誰もいない、わたしだけ……。

 ひとりで歩いている。

 体は重くて辛い。もう、歩きたくなんかない……だけど、足が勝手に動いて前に進む。

 

 暗い道を歩いている。


 どこに向かって歩いているなんか知らない。知らない。知らない……ここで倒れて馬鹿みたいに泣きじゃくって終われたら……どんなにいいだろう……。


 悲しい……。


 いやだ。


 いやだ。


 いやだ。


 わたしはしりたくない。


 わたしはみたくない。


 意識……が、浮かびはじめる。


 大嫌い。


 大っ嫌い。


 こんな世界。


 いらない。


 だいきらい。


 きえてしまえ。




 □□□□□□□□□□




 暖かい……。


 パチッパチッと、弾ける音が時々耳に入ってくる。

 焚き火……?


 薄っすらと選ぶように瞳を開く……。

 息を吸うと、冷たい空気が肺に入ってくる。

 私……生きてる……。

 空には雲ひとつなく、星が瞬いていた。

 

 夜……?

 

「おー! 嬢ちゃん! 起きたかー! どうじゃ? 体はどうじゃ?」


「団長、そんなんじゃ、ビックリして怖がりますよ。ほら……大丈夫?」


 聴き覚えのある女の人の声、と男の人の声。


「つい、嬉しくてな……」


 寝ている私は声のした方を見る。

 体の下には何か柔らかい物が敷いていて……痛くは無かった。

 女の人が私に掛かっている毛布を優しく掛け直してくれた。


「あの……助けてくれたの……?」


「すまんかった……わしらがもっと早く、ここに着いていれば……」

 

 早く……? 私は恐る恐る聞く……。

 すこし震える体は気のせいじゃなくて……。


「……大きな剣を持っている人を……見てない? でしょうか……」


 大きな男の人に尋ねる。


「大きな剣? それなら村の中央……元広場と言えばいいのかの……そこ……」


 私は最後まで聞き終わる前に——毛布を跳ね避け、立ち上がり走り出す。


「嬢ちゃん!? どうしたんじゃ!」


 痛いっ! 軋むように身体中が痛い……でも……。


 走る。

 走るのをやめない。

 その裸足は地面に転がる鋭い瓦礫を踏み、切れ、鋭い痛みが襲う。

 走る。

 地に点々と赤い血を付けて走る。


 後ろで女の人の大きな声が——。


「馬鹿団長! もう! 待って! 君の体は限界なのよ! 治したと言っても……まっ……」


 小さくなる声。

 走る。


 お父さん!


「ああっ」


 黒焦げになった家の残骸が、道に立ち塞がる。

 私は、すぐにその邪魔する瓦礫の山をよじ登ろうと……手を伸ばす。


「ダメじゃない!」


 ——突然、後ろから抱きかかえられて……、持ち上げられる。


「君の傷は治ってるけど、それは私が精霊術で無理やり元に戻しただけなの。君は死んでもおかしくない状態だったのよ? 今はゆっくり休まないと……」


 髪を振り乱し、私の腕中の少女が叫ぶ。


「お父さんが! お父さんが! そこにいるかもしれないの! ……だから……お願い……行かせて!……行かせてください……」


 小さく震えながら……。


「助けてくれてありがとうございます……でも、いいんです。お父さんの所にいきたいんです……離して……ください……お願い」


 ひょいっと持ち上がるほど軽い。

 そんな小さな女の子が私の腕の中で、こんな言葉を口から吐き出しながら……泣いている。


 ……こんなことがあっていいのだろうか? 世界に絶望して……父親の元に行きたいと泣く……。

 私は……この世界が、神が……

 こんな、小さな子が絶望する世界が……。


 憎い。

 だから戦う。


 ……出来るだけ優しく、私は話しかける。


「いいんだよ……君の名前は?」


「リリー…….」


「私はサユ。リリー、わかった……そこに連れて行ってあげる……少し待って」


 私はリリーを離し……。


「友よ、私の声を聴け、力を見せろ……、空に浮かぶ臆病者エアフローチキン


 精霊術を発動させ、リリーの手を取る。


「さあ、おいで。空を飛ぶのは初めてかな?」


 私はわざとらしく戯けて笑い……手を取り、軽く地面を蹴り、飛ぶ。

 リリーは一瞬、びっくりした顔をしたけど、落ち着いて手を掴み、じっとしている。


 地上から二十メートルぐらい浮かび、広場に向けて飛び進む。スピードは遅めで二十キロほどだ。


「お、おねーちゃん、これはなに? どうして飛んでるの?」

 

「精霊術さ、詳しい事は後でね、さあ、お父さんの所に行こう」


 私はリリーの手を強く握り返し飛ぶ……何度も見てきた光景が頭をよぎり、思い出す。

 奥歯を噛みしめる……。

 また、救えなかった……自分の無力にどうしようもない気持ちになり、嫌な感情が止まらなくなる。

 リリーに知られないように……感情を抑える。


 冷たい空気と微かな風に乗り、二人は飛ぶ。

 しばらくすると……開けた場所にたどり着く。


 そこは……何もかもが異様だった。


 溶けた大地は星に照らされ微かに光り、くぼんだすり鉢状の底には数メートル伸びたガラスの棘が無数に生えている。

 そのすり鉢の中心からの周りは、全ては吹き飛んでいて半径百メートルは何もない……。

 立っているのは……その地に降り立った私と、リリー……二人と……。


 ——地面に突き刺さった剣のみだった。


 所々欠けた、鈍色の大剣が……、一本窪んだすり鉢状の底に突き刺さり、立っている。


 それはまるで、墓標の様でもあり、最後まで戦い抜いた戦士の記憶にもみえた。


 夜雲の一つもない空に浮かぶ星が地を照らし、三つの月が、真っ直ぐ光を剣に伸ばす。

 この世の物とは思えない……凄まじい幻想的な景色を見せていた。


 物言わぬ大剣にフラフラと歩いていくリリー。

 私はなにも言わない、なにも言えない。

 黙っている。

 私にはそれしか……出来ない。


「お父さん」


「お父さん」


「お父さん……」


 大きな剣に触る。これは……お父さんが地下室から持って行った……。


 まだ乾いてない血だまりが剣を支えるかの様に、そこにあった。


 あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ……。


 ——あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!


 声なき声。


 心の慟哭。


 悲しみの果て。


 世界の終わり……。




 ……………………。


 ………………。


   …………………………。


  …………………………。




 どれぐらい経っただろうか? 少女は泣き疲れて座り、独り話しだす。


「……お父さんの……嘘つき……帰ってくるって言ったのに……」


 うっうっうっ……。


 その泣き声を遮るように私は言う。


「リリー、君の父親に……私なら少しだけ……会わせる事が出来るかもしれない」


 ゆっくりと虚ろな顔で振り返り、私を見る。


「だが、それは余計に辛さを増すかもしれない……どうする?」


「……お姉ちゃん、本当? お父さん……お父さんに逢いたい……」


 私は、座り込み、生きる事をやめようとしているリリーを、抱きしめ……。


 発動する。


「友よ、聴け、その力を見せよ、理を変えよ……魂の残光と物語ソウルアフターグロウ


 そして理が、変わる。


 大剣から薄っすら紅い靄が生まれ……話し出す。


(よかった……リリー、無事だったんだね)


「お父さん?」


 その、頭に響く声はリリーの父親のだった。

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