第十三話 父と娘

「あ、あれは……災厄」


 僕はリリーを強く抱きしめ、睨む。

 真っ赤な、燃えるような夕日が鬼を照らしている。

 赤い夕日と……全身が血の如く紅き鬼が……立っている。


 ——まるで、そこだけが世界から切り取られたかのような異質の光景。

 見る者に畏怖と恐怖を植え付ける王。

 ゴクリと飲み込む唾の音が、うるさく、現実を思い出す。


 あ……、あれは? 


 目を凝らすと、そこに一筋、狼煙があがっている。

 ……あの赤い狼煙は緊急事態の合図……ビリオットさんだろうか?

 腕の中で震えている娘を見る。

 こうしてはいられない……僕がしっかりしないと。

 大きく息を吸い、吐き出し、四肢を叱咤し、グッと力を込めて立ち上がる。

 

 ——燃えているのだろうか、所々から黒い煙が上って上っている。


 人々の怒る声。


 困惑の声。


 泣き叫ぶ悲鳴。


 逃げ惑う混乱の声と足音。


 鈍く揺れる地面。


 遠く、門の方から何がが壊れる大きな音が響く。


 一瞬にして地獄、もしくは戦場に村は変貌していた。


 「くっ、なんなんだ……よ、これ」


 僕はリリーを一度離し、シャメリーさんに話しかける。


「大丈夫ですか! シャメリーさん!」


 グッタリしている彼女を寝かせ、大声で呼びかけるが、ピクリとも反応しない。

 気を失っているみたいだ。


 ——素早くシャンメリーさんの袖を捲り上げ、脈をみる。

 リリーが心配そうに後ろからのぞいているのが分かる。

 弱々しいが……微かにある。


「よし」


 僕は片手でリリーを抱きかかえ、シャメリーさんを背負い。


「解放!」


 声を上げ、二人を持ち上げると、家に向かって走り出す。

 どうすれば……いい、まず二人は地下室に……、あの化け物の相手を……できるだろうか……。


「お父さん! お父さん!」


 リリーの声が意識を戻させる。


「お父さん! どこへ行くの?」


 走る僕の足音が——夢であって欲しい地面に溶けて消えていく。

 だけどこれは、現実だ。二人の重さが教える。遠く聴こえる悲鳴が……耳にこびりつく。


「シャンメリーさんをこのままにはしておけない、リリーと一緒に家の地下に隠れていてもらう!」


 リリーは僕にギュッと抱きついてくる。


「お、お父さん、あの赤い鬼はなに? 絵本に出てくる……災厄に似ている……そうなの?」


 僕は驚いて、こんな時なのに嬉しくおもう。賢い子だ。

 本当は、今、抱きしめて褒めてあげたい、けど。


「大丈夫!」


 僕は精一杯の笑顔で笑いかける。


「あんな鬼、お父さんの敵じゃないよ。安心してリリーは、お家でお留守番しておくんだよ」


 ——着いた。

 見慣れたドアを蹴って開ける。

 急いで奥の部屋に入りリリーを降ろし、シャメリーさんをベッドに寝かせて、顔色と状態を確認する。


「大丈夫」と、僕は言い、二人を残し隣の部屋に行く。


 ——ガシャーン。


 床の地下室に続く扉を開ける。


 急いで戻り、シャメリーさんを背負い、リリーを連れて地下への階段を降りる。

 カビと埃の臭いが鼻につく。ここは薬の材料や在庫を保管している倉庫だ

 薄暗い薬品が並ぶ棚の中、シャメリーさんをゆっくり下ろし寝かす。


 ……外の喧騒が嘘みたいに静かだ。


 リリーは僕を見て、なんて言えばわからないみたいに、手を口元にあげ、目を伏せ……でも、僕をしっかり見て、


「お父さんはどうするの?」


 ——抱きついてくる。


 僕は娘の頭を静かに、優しく撫でる。


 この温もりが僕は大好きだ。


 この声が大好きだ。


 この匂いが大好きだ。


 この子が大好きだ。


 だから、戦える。


 ——戦う。


 君を守るためなら僕の命なんて安いもんだ。


「大丈夫。あの鬼をこらしめたら……すぐに帰ってくるよ」


 涙を溜めた青い目が僕を見上げる。


「……絶対に帰ってきて、お父さん」


 強く強く、僕を抱きしめてくる……小さい両腕。


「大好きお父さん」


 こんな時、なんて言えばいいのか、僕は恥ずかしいけど……わからない。


 父親失格だ。

 だから、出来るだけ、出来るだけ強く、抱きしめる。


 ——抱きしめる。

 最後にしたくないから。


「……リリー、いい子にして待っていて」


「うん」


 涙を流す、娘の頭をわしゃわしゃとなでて……、服の下……、僕はいつも肌身離さず持っていた物を取り出す。


「それは?」


 聞いてくるリリーの首にかけてあげる。


「お守りだよ、中には何でも治るお薬が入ってるんだよ」


 それは、三センチぐらいの小さな瓶が、先に付いているネックレス状のものだった。


「シズカ……お母さんを治す為にお父さんが作ったんだけど……効かなかったんだ、あの病気には……」


「お母さんのお薬……」


 首にかかったネックレスを触るリリー。


「お母さんが亡くなってから……お守りがわりに身に付けていたんだけど、リリーにあげるよ」


「そんな大切なもの、いいの?」


「リリーに持っていて欲しい」


「……うん、大切にする」


 僕はリリーから離れ、壁に掛けている大剣を手に取る。

 二メートル以上ある、叩き切るに特化した鈍色の相棒。

 こいつを使うのは、本当に久しぶりだ。


 その剣で軽く指先を切り、その血を剣に着ける。

 ボンヤリと光り出す大剣。


「こう見えても、お父さんは強いんだぞ。この神器になった剣で、えいっえいって、やっつけて来るから大丈夫!」


 肩に剣を担ぐ。

 空いた手で、ポンっとリリーの頭を叩く。


「いってきます」


 頭に置いた手をリリーは掴んで、「痛いよ、お父さん」と笑う。


 そして何秒かして、リリーは僕の手を離し……、「いってらっしゃい」と手を振る。


 僕は階段を一段づつ上がっていく。

 振り返り、リリーを見て笑いかけて、静かに地下への扉を閉める。


 ——ガシャーン……。


 しっかりと閉まったのを確かめ、僕は立ち上がって家をでる。


 風に乗って飛んでくる血と煙りの臭い。

 村は燃えていた。

 動く人は見当たらない。


 シズカ、ごめん。


 両手で大剣を持ち、『ヒュンヒュン』と右に左に空間を裂き、何度も振る。


 ——何度も。何度も。何度も。


 思ったよりそっちに……早くいく事になりそうだ。


 上段に構え、踏み込みながら振り下ろし……素早く上に切り返す。

 大剣が空を切り裂く音が辺りに響く。


 リリーがどんなに可愛く育ったか沢山話そう。


 「解放」


 ——ガ、ガガッガッ!

 ボンヤリと光っていた大剣が激しく光だす。

 重さを、力を確かめるように……ゆっくりと振り上げ……、真下に叩きつける!


 ——ドンッ!!!!

 爆発する地面。


 願わくば……リリー。

 君を理解してくれる誰かに会えますように。


「元、ランクAのエクスプローラなめんなよ、災厄」


 光る大剣を肩に担ぎ直す。


「父親は、娘の為なら100倍強くなれんだよ……」


 ……なんだ、これ。


 目から……勝手に涙が……。


 上を向くが止まらない。


 伝う感触。


 今から死地に向かうと言うのに……。


 やっぱり、本当は死にたくないさ。


 もっと君と居たかった。


 リリー。


 こんな想い、弱虫ってシズカに怒られるな。


 ……行こう。


「か、い、ほ、う!」


 命の火を燃やす。


 奴を殺す。


 ——殺す。


 巨大な白い光が立ち上がる。


 ——ダンッダンッダンッ!


 地を蹴り走る。


 走る。


 走る。


 災厄の元に。


 運命を切り裂く為に。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る