第99話

 神楽の君様はチクチクと、禊ぎの折に今上帝様と幾度となく重ね合わされた、左胸の痛みをお感じになられている。


 ……あれは……


 神泉に映し出された今上帝様は、それは気怠げに繧繝縁うんげんべりの畳に座され、御単衣おんひとえの上に御大袿おんおおうちぎを重ねて羽織られ、それは物憂げに碁石を打たれておられた。

 これは今上帝様しか、許されぬお姿だ。

 三位以上で勅許を得ておられれば、冠直衣かんむりのうし姿での参内がお許し頂けるが、大概は束帯そくたい姿での参内が当然だ。

 関白様は大政大臣をも兼任されておいでで、従一位であらせられ、叔母君様に当たられる皇太后様の御子様であられる、今上帝様に拝謁の折とあらば、冠直衣姿でも充分お許し頂けるご身分であられるから、当然の様に藤の花の紋様が入った直衣を着用されておいでであった。

 その関白様が白の碁石を打つ度に、今上帝様は物憂げにおよびを口元に持って行き、するりとひと撫でされると黒の碁石を碁笥ごけより取って打ち据えられる。

 その体のなんとも艶やかで気怠げなご様子に、神楽の君様は泉に引き込まれんばかりに魅入られてしまわれた。


 ……見た事も無い主上のお姿よ……


 それを思うと、チクチクとが痛い。

 人々に蔓延しかねない流行病を阻止する為に、陰陽寮の陰陽博士という、以前よりちょっと責任のある位についた、なぜか気に入ってここ最近は用も無いのに呼び出して親しくしている琴晴と、神気の高い神泉の周りに生える薬草を採りに行き持ち帰ったから、この痛みに効きそうな薬草を口にしてみたが、全く効き目がありそうにない。

 一体どうして、しまったのだろう、と思う。

 天より駆け付けて来た、白馬の背に揺られながら、この痛みはずっと続いていた。

 栗毛に乗り慣れた琴晴が心配してくれたが、神楽の君様は微かに口元を綻ばせる事しかおできになられなかった。

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