第61話

 そして直ぐに琴晴のは、誤りではない事を確信する。


 一度は腹を括った琴晴は、それでも迷いがあった。

 皇太后様からは、今上帝様のお身体を慮り、一年の猶予を与える様に命ぜられている。無論初夜の儀の事である。

 だがそれとは反対に、今やこの中津國なかつくにで最も権力を持つ摂政様からは、やんややんやと若すぎるご夫婦の床入りを急かされ続けている。

 兎に角早く自分の孫を帝につけたいと、それはそれは浅ましい限りだ。

 陰陽寮は表向きは中立な立場の存在だが、上の人間にしてみれば、そりゃあ力のある方につきたいが人情だ。

 下っ端の琴晴ですら、できる事ならそうしたい。

 そんな事を考えていると、琴晴は後院から再び名指しでお呼びがかかった。

 摂政様当たりであれば、それこそ同僚に睨まれる処だが、さすがにさっさと政から身をおひきになられた上皇様だから、大して気に留められる事もない。


「今上帝は如何ですか?」


 後院に着いて女官に廂に案内され平伏すと、当然の様に御廉みすは巻き上げられており、以前同様に御几帳越しにお声をかけられる。


「摂政様から急かされました者が、吉日を占いまして初夜の儀について上奏致しますと……」


「今上帝は体を損うたか?」


 上皇様がご心配される。


「はい。御心地悪おんここちあしきと致されまして……」


「なんと……」


 上皇様の顔が曇られる。


「まぁ?……で?朱はなんと申しておる?」


「朱?」


「神楽の君である」


 空かさず上皇様がフォローしてくださる。

 久しくお妃様と後院でお暮らしゆえか、元々のご気性なのか気さくにお声をお掛けくださる。


 高々の陰陽師の琴晴が、神楽の君様の御名を存じているわけがない。

 上皇様やお妃様が、最愛なる親王様の事をそうお呼びになられて語られるのを、偶々仕える女房が聞いて広めた綽名だ。

 かぐらの語源は、神座かみくらが転じたとされ、神が宿る処、招魂・鎮魂を行う場所を意味するとされるから、大神様がそう呼ばれている事など、琴晴を始め高々の人間達が知っているはずがない。



「あ……神楽の君様は……」


 琴晴は言葉に詰まってしまった。

 あの怪き媚術で今上帝様のお気持ちを、丸ごとまんま皇后様に向けようと、画策しているだなどと進言して良いものだろうか?」

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