第443話 生還を求めて

 逃げられる先を確保できても、状況が好転したと言えるものではない。


 敵は、なにからなにまで規格外の存在だ。それほど強大な敵から、簡単には逃げられない。逃げるのであれば、わずかでも隙を作らなければ命に関わる。


 なにがあっても生きて戻らなければならない以上、その見極めはとてつもなく重要だ。とはいっても、強大すぎる力を持つ奴と真っ向から渡り合うのも同様に危険である。


 どうにかして、外に近づかなければ。それさえできれば、勝機は見えてくる。


 できれば、このままの位置状況で戦いを進めたいところであるが――圧倒的な出力を持つすべての竜を相手にして、それは簡単なことではない。そもそも、いまの位置状況を摩耗とした結果、負けてしまっては本末転倒だ。


 最優先とすべきは生き延びることである。『棺』の中枢さえ破壊できれば、こちらを始末するために現れた奴も終わることになるのは間違いない。すべては大成がやってくれるかどうかにかかっている。彼のことは信用しているが――相手のことを考えるとかなり厳しいものになるのは確実だ。こちらは、できる限りのことをするしかない。ここを切り抜け、生きて地上へと戻るために。


 みずきの顔が頭に浮かぶ。いま地上はどうなっているのだろう。地上にも恐らく、なにかしらの戦力は送り込まれているはずだ。ティガーたちがそれを押しとどめているのであれば、まだ遺跡の中は無事のはずであるが――地上の戦況も厳しいものとなっているのは間違いない。いつその均衡が崩れるかわからない状況だ。


 そんなことを頭に巡らせながら、竜夫は周囲に対して感覚を広げる。


 たった数秒押しとどめた程度では、外はまだ遠い。無理矢理壁をぶち抜いて外に到達するのは非常に困難だろう。竜の力を完全開放すればできるかもしれないが、人の身では広すぎるこの回廊であっても、竜と化せばかなり窮屈な場所になる。自由に動き回れるようになるためには相当の破壊をしなければならないだろう。すべての竜がいるいま、そのようなことなどしている余裕などあるはずもなかった。


 やはり、少しでもいいから動きを止めて距離を稼ぐしかないか。


「貴様らは、何故そこまでする?」


 目の前に悠然と佇みながら、すべての竜が言葉を投げかけてくる。


「たいした理由なんてないよ。そもそもこっちを狙ってるのはあんたらじゃないか。だから戦ってる。狙われてないなら、戦いなんてしねえよ」


 もともとは、手に入れた竜の力を使って元の世界に戻る方法を見つけるのが目的だったのだ。竜どもを全滅させようなどと思っていたわけではなかった。自分の目的を果たそうとしたら狙われることになって、戦わざるを得ない状況となり、最終的に絶滅させなければというところまで来てしまっている。


 本当に因果なものだ。自分の望まぬ出来事は簡単に起こってくれる。望んだものが来てくれることなんてほとんどないというのに。


 なにがあろうと成し遂げるのだ。地上への帰還。いますべき最重要事項はこれだけだ。そこに邪魔者がちょっかいを出してきただけのこと。戦わずに終えられるのなら、そのほうがいいに決まっている。


 だが、それは不可能だ。なによりこちらは竜どもを絶滅させようとしている。すべての竜の本質が保管されている『棺』を破壊しようとしているのだから。自分たちを絶滅させようとしてくる奴らに無抵抗を貫くなど、狂人以外の何ものでもない。


「僕はあんたらがこっちの命を狙ってこないのなら、積極的に戦うつもりはないんでね。お互いのために、見逃したほうがいいんじゃないのか?」


 竜夫はすべての竜を見据え、言葉を投げかける。


「人が我らと交渉をするつもりか?」


「僕らみたいな下等生物となど交渉する義理はないと?」


「貴様らがただの人間であれば、我らもそうするだろう。しかし、貴様は違う。我らとここまで戦ってきた強者だ。それだけの相手となれば、交渉するというのもやぶさかではない」


「じゃ、そうしてくれないか? さっさと見逃してくれよ。こっちに手を出さないなら、僕だって自らあんたらをどうこうしようなんて思わないからさ。お互い、悪くない話だと思うけど」


「生憎だが、貴様とともにここに来たもう一人の異邦人が、『棺』の中枢を破壊しようとしている以上、できん相談だ。ここから奴を説得することなどできんだろう。であれば、やるべきことは決まっている」


 即答し、静かに唸るような力がすべての竜から放たれ、周囲の空気が鋭くなった。


「……まあ、そうなるよな。もしかしたらと思ったけれど、さすがにそこまで馬鹿じゃないか」


 結局、お互いやることは変わらない。奴の目的はこちらの殺害。こちらの目的は地上への生還であるが、状況的に逃げるのはほぼ不可能だ。であれば、やるべきことは決まっている。


 先ほどと同じく逃げられるだけの猶予を作り出すか、奴を倒すかだ。どこまでもシンプルな答え。非常にわかりやすい。逃げて地上に戻るのであれば、ここで奴を倒してしまうのがベストだろう。


 だが、在り方からして違う奴を倒すのは非情の難しい。そもそもとして、こちらとは保有する出力が違い過ぎる。まともにぶつかり合って、どうにかできる相手ではないことは嫌というほど理解させられた。だからこそ、それを打破するために、外に近いところにまで逃げようとしているのだ。


 さて、どうする?


 いまの状況は逃げ道を背にして状態で蛇に睨まれた蛙だ。背後に逃げる先はあるものの、相手がそれを許すはずもない状況。


 なまじ、光明が見えてしまっているのが嫌なところだ。厳しい状況で見せられるわずかな希望というものはある種の毒と言えるだろう。縋ることはできるが、縋った結果絶望の淵へと落とされるとなれば、それに耐えられるものは多くない。人間の意思などたかが知れている。どれだけ強い決意があろうとも、折れるときは一瞬だ。たぶんそれは、竜の力を得たいまであっても、それほど変わっていないだろう。


 刃を握る手に嫌な汗が滲む。判断を間違えば、そこで終わってしまう可能性は充分にある。なにがあったとしても、間違えることはできなかった。


 アースラがいてくれたら、逃げるのも容易になっていただろう。奴の能力は逃げるときにもっともその効力を発揮する。


 しかし、それをどれだけ望んだところで、自分たちを『棺』に行かせるために、彼はその命の限りを尽くし、この世を去った。死んだ人間に頼る手段などあるはずもない。ここを切り抜けるには、自分の力だけでやらなくてはならないのだ。


「来ないのか?」


 すべての竜が挑発的な言葉を発する。そこからは一切の疲れは感じられなかった。まともな生命であればとっくに死んでいるはずのダメージを受けているはずなのに。圧倒的な出力があるばかりか、通常の手段ではおよそ殺すこともできないというのはまさしくチートとしか言いようがない。


「諦めているようには見えないが――まあどうでもいいことだ。我らはなにがあっても貴様らを殺さねばならんのだからな」


 そう言い終えた瞬間、周囲の空気がさらに鋭くなる。奴から常時発せられているエネルギーによって空気が刺々しいものに換えられてしまったかのようだった。


「来ないのであれば、行かせてもらおう。ここで睨み合いをしている理由などなに一つとしてないからな」


 すべての竜は左手に持つ槌に力を込めて――


 およそすべての蹂躙するかのように、こちらへと向かってきた。

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