第437話 すべての竜

 いままで進んできた道だというのに、まったく違うもののように見えた。


『棺』の中は相変わらず静まり返っていた。数分前まで、ヴィクトールと戦いをしていたとは思えないほどの静けさだ。


『棺』を壊すために残った大成の力はもう感じ取ることはできなかった。距離を隔てたうえ、とてつもないエネルギーが『棺』から放たれていることにより紛れてしまっているせいだろう。


 本当に彼を残してきてよかったのだろうかと、進みながら自問する。『棺』はとてつもない存在だ。たった一人で倒すにはあまりにも大きすぎるだろう。こちらも、彼と同じく命を賭けて戦うべきではなかったのだろうか?


 しばらく考えて、嫌と思い直す。


 彼は、彼なりの思いを以てああ言ったのだ。その思いを無下にするべきではない。なにより、二人とも死ぬよりは、どちらか一人が生き残ったほうがいいというのもまだ事実だ。


 そして、大成はもう長くない。ヴィクトールを倒すために支払った代償がどのようなものなのかはわからないが、それが決して安くないものであることは間違いなかった。


 無論、もう長くないからといって彼の命に価値がないというわけではない。どのような状態であれ、命の価値に差などないはずだ。だからこそ、彼がこちらに戻れと告げ、あそこに残ったことが正しいと思えなかった。


 駄目だ。竜夫は首を振ってその考えを否定する。


 余計なことを考えるな。一人でも助かる可能性を高めるために、大成はこちらに戻れと言ったのだ。その思いは、なにがあったとしても無下にするものではない。彼の思いを無駄にしないというのなら、ここから逃げなければならないのだ。こちらが逃げ切ることができなかったのなら、彼が『棺』を破壊できたとしても、その思いは果たされないことになってしまう。


 そんなこと、あってはならなかった。なんとしても、生き延びてここから脱出をしなければ。余計なことを考えるな。『棺』はとてつもなく広大だ。一切邪魔されることなく、全速力で駆け抜けていったとしても、脱出できる場所まで到達するのに相応の時間が必要になるのだから。振り返るな。足を止めるな。なにがあったとしても前に進み続けろ――


 竜夫はさらに進んでいく。


『棺』は相変わらず静けさに包まれていた。それが、どことなく異様な雰囲気を醸し出している。いまのところ、追手の姿はない。だが、状況を考えると、邪魔をしてこないとは思えなかった。いつでも、戦えるよう気を引き締めておく必要がある。


 外へと続く方角を時おり探索しつつ、さらに駆けていく。


 最悪の場合、竜の力を解放して脱出することも考えられる。大成が『棺』の中枢部の破壊をするまでにどれだけの時間を要するかは不明だが、崩壊する『棺』と心中するわけにはいかなかった。彼の意思を尊重するのであれば、生きて戻らなければならないのだから。


『棺』の中には自分の足音だけが響いていた。来た方角から『棺』の力が感じられる。恐らく、まだ破壊できていないのだろう。となると、なにかしらの邪魔が入っているのだと思われた。


 それも当然だ。あれを破壊されれば、竜たちは終わりなのだ。なにかしらの防衛機構があって然るべきである。となるとこちらも――


 その瞬間、人の姿が目に入る。


 それは、誰のようでもあり、誰のようでもない存在。女のようにも、子供のようにも、老人のようにも見える、人の形という総体のようなもの。


 見た目こそ人と同じ姿であったものの、それは明らかに人から逸脱した存在であった。そいつからは、先ほど戦ったヴィクトールよりもさらに大きな力が感じられた。いや、それどころか、先ほど眼前まで迫った『棺』に匹敵する大きさだ。


 それを視認した竜夫は足を止め、刃を創り出した。


「行かせぬぞ、異邦人よ」


 誰でもない人型の声が響き渡る。それは、どこかで聞いた覚えがあるようにも思える声であった。その声からは、物理的な質量をぶつけてきたような力が感じられる。


「貴様らだけはなんとしても仕留めなければならぬ。我らの復活のために」


 誰でもない人型はどこからともなく槌を引き抜く。黄金に輝くそれは、敵を叩き潰すためだけの武骨なものでありながら、気品が感じられる。


「あんたは……何者だ?」


 竜夫の問いに対し、誰でもない人型は「竜だ」と返答する。


「私は、ここに眠るすべての竜たちが自身を守るため生み出したその総体の片割れだ。喜べ異邦人よ。我らは、貴様らをそのすべてを以て打ち倒さなければならないと判断したのだ」


 奴から感じられるその力は単一の存在ではあり得ないほど強大だ。すべての竜たちそのものであるのなら、その強大さも頷ける。最後に戦う相手として、これほど相応しいものはない。


 そして、片割れということは、もう一体のほうは大成のところにいるのだろう。どこまでも最後に戦う相手としては相応しい存在だ。


 奴がすべての竜たちそのものであるのなら、それはまさしく奴らにとっても、総力戦ということになる。こちらは、奴らにとってそのすべてをもって倒さなければならない敵となったのだ。


 同時に、奴を倒せさえすればこちらを阻むものがいなくなる。なにがあっても、倒さなければならない相手であった。


「こっちが、ここまでしなければならない相手になったのなら、敵として光栄なことだ」


 奴らがすべての竜そのものであるのなら、考える間でもなく、その力は並大抵のものではない。そもそもとして強度が違う。対抗するのであれば、相応の力が必要になるだろう。


 竜夫はすべての竜を見据えながら、いま持てる力を解放していく。竜と化して戦った時と同等の力を出せるように。


 焼けるような力が身体の内部から発生し、末端まで行き渡っていく。


 奴らがなんであろうと関係ない。持てるすべての力をもって、奴を打ち倒すだけだ。生きて帰るために。


 竜夫は刃を構え、行く手を阻むすべての竜に向かって踏み出していった。

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